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2020年東京五輪で残ると思われる食の安全に関連するレガシー
国立医薬品食品衛生研究所
名誉所員 米谷 民雄

1.はじめに

日本中を熱狂の渦に巻き込んだラグビーのワールドカップ2019日本大会を昨年11月初旬に終え、今年はいよいよ2020年東京オリンピック・パラリンピック(2020年東京五輪)の年になった。2020年東京五輪については、そのレガシー(遺産)がよく言及される。五輪についてレガシーが話題になるのは、国際オリンピック委員会(IOC)がオリンピック憲章でレガシーについて明記しているためである。

現行のオリンピック憲章(2019年版)1)の第1章第2項「IOCの使命と役割」(Mission and role of the IOC)の中に、「15. オリンピック競技大会の有益な遺産(positive legacy)を、開催国と開催都市が引き継ぐよう奨励する。」と明記されている。立候補都市の評価にもレガシーが含まれてくるため、当然ながら立候補都市は開催によるレガシーについて表明する必要がある。レガシーはオリンピック憲章に2003年版から表面にでてきている。その少し前にIOC委員の買収事件があったこともあり、オリンピック精神を再高揚させ、五輪が生き残るためにレガシーが採用されたとも言われている。

IOCはポジティブな遺産の継承を奨励しているが、当然、負の遺産も存在するであろう。IOCはレガシーをスポーツ、社会、環境、都市、経済の面で考えているが、本稿では2020年東京五輪で残ると思われる「食の安全に関連するレガシー」について考えてみたい。「食の安全」に関わる変化となると、どうしても行政施策として取り上げられる項目が主となるため、行政サイドが東京五輪の開催を好機としてとらえて施策を遂行し、それがレガシーとして残ることになるのが実際のところである。

2.厚生労働省によるHACCPの制度化

最初は、2019年1月発行の本メールマガジン(154号)でも取り上げたHACCPの制度化である。厚生労働省は1995年の食品衛生法改正で、食品安全確保のためにHACCPの手法を取り入れた総合衛生管理製造過程(マル総)の承認制度を創設した。しかし、製造業種が一部に限られ、かつ内容が「総合」の名称が示すように一般衛生管理までも含む総合的なもので複雑であった。さらに、最初に承認を受けた有名乳業メーカーが大規模な食中毒事件を起こしてしまったこともあり、マル総=HACCPではないものの、中小の企業ではHACCPはあまり普及しなかった。

一方、先進国ではHACCPがすでに義務化されており、また、食中毒が飲食店等の小規模事業者で多く発生していることから、食品衛生法を改正して我が国でもHACCPを義務化し、国際標準レベルでの食品衛生管理システムを構築することになった。義務化の内容は一定規模以上の事業者とそれ以外の事業者で基準が分かれ、それぞれ「HACCPに基づく衛生管理」と「HACCPの考え方を取り入れた衛生管理」とされているが、全ての食品等事業者(製造から調理、販売まで)が対象となっている。2020年東京五輪開催中は法改正の猶予期間中であるが、法的にはHACCPは義務化された状態であり、その後完全実施されることで、我が国でHACCPが五輪のレガシーとして残ることになる。2020年東京五輪の直接のレガシーではないが、五輪を好機ととらえ実施した面があり、かつ、食の安全に最も関連する変化であるため、あえて最初のレガシーに選んだ。

3.国と都による受動喫煙防止対策

食の安全そのものではないが、飲食店などでの受動喫煙防止対策が、2020年東京五輪開催前に強化される。WHOとIOCは2010年7月にたばこのないオリンピックを共同で推進することに合意しており、その後の全てのオリンピックでは罰則を伴う法規制が実施されてきたという2)。我が国の法律(健康増進法)ではこれまで自主的取組による努力義務の形で受動喫煙防止に対応してきたが、これでは全く不十分であり、五輪開催国としてこれまでの開催国と同等以上の対応が必要となった。

そこで、2018年7月に健康増進法を改正し、受動喫煙防止対策を強化した。この法改正の全面施行は2020年4月となっており、2020年東京五輪には何とか間に合うことになる。飲食店では原則屋内禁煙となるが、「原則」が付くように、多くの例外規定がある。一方、東京都もより厳しい受動喫煙防止条例を設定したが、こちらも例外規定がある。比較すると、国(健康増進法)では、個人または中小企業が経営する客席面積100m2以下の場合は、店頭に喫煙可などと掲示すれば規制対象外になる。一方、都条例では面積ではなく家族経営など従業員がいない店が対象外となっている。健康増進法でも都条例でも、どちらも喫煙ルームの設置は認めている。

では東京五輪の会場ではどうなるのか。2019年2月に大会組織委員会が敷地内全面禁煙の方針を示したと、新聞等で報道された。大会期間中は競技会場の敷地内では加熱式たばこを含めて、全面禁煙になるという。ロンドン大会やリオデジャネイロ大会では会場屋外に喫煙所を設けていたとのことであり、屋外を含め会場敷地内全面禁煙となるのは2020年東京五輪が初めてのようである。全面禁煙や受動喫煙防止が東京五輪のレガシーとして残ることが期待されるが、海外からの観客などにどのように周知徹底するのか、十分な準備をしておく必要がある。

なお、一つ注目されるのは、IOCがマラソンと競歩の実施場所として選定した札幌市である。厚生労働省の2016年の調査によると、都道府県別の男女合計の喫煙率は北海道が24.7%と最も高い。IOCによる開催地変更で、将来札幌市や北海道の喫煙率が他よりも劇的に低下すれば、IOCの「たばこのないオリンピック」の目標と合致し、札幌開催のレガシーとして残すことができる。期待したいところである。

4.農作物のGAP(農業生産工程管理)の普及

大会組織委員会は2020年東京五輪で調達する農産物の調達基準3)を示している。詳細については筆者の2018年1月(142号)2019年1月(154号)の本メールマガジンをお読みいただきたい。国際的なGFSI(Global Food Safety Initiative:世界食品安全イニシアチブ)の認証を受けたGLOBALG.A.PやASIAGAP(一般財団法人日本GAP協会が運用)の認証品の他に、農林水産省が平成22年に策定した「農業生産工程管理(GAP)の共通基盤に関するガイドライン」に準拠する各自治体独自のGAP制度で認められた農産物が含まれている。

2019年7月には、大会組織委員会が東京五輪選手村食堂で47都道府県の食材を利用する予定である、と報道された。政府は2018年9月と2019年5月に、「東京大会における食材供給に関する意向調査」を都道府県に実施している。その結果から、調達基準をみたす47都道府県の食材が利用できると判断したのであろう。もし、GAPに適合した国産農産物で選手村での食事の大部分をまかなえれば、農産物のGAPの普及も2020年東京五輪のレガシーとみなせるであろう。GAPが農産物の調達基準の要件に入ったことで、農産物のGAPをレガシーとして残せるようになったと言える。

5.アニマルウェルフェアに配慮した鶏卵は普及するか

農産物の場合、各種のGAPを認めることで、国産品を主体にして選手村の食事を提供できそうであるが、畜水産物の場合は国産品主体で供給しようとすると、調達基準を国内の事業実態に合わせる必要があるため、国際標準よりレベルが低い内容になり問題が多い。

畜産物の調達基準3)では、必要な要件として農産物の場合に加え、アニマルウェルフェアが加わっている。このアニマルウェルフェアについての認識に、海外先進国と我が国で大きな差があるようである。たとえば鶏卵であるが、国内品は生食もでき、安全性の観点からは世界一流であるが、飼育環境はニワトリにとっては大変厳しい多層のワイヤー製ケージ(バタリーケージ)での飼育が主である。一方、ロンドン大会やリオデジャネイロ大会で使用された鶏卵は、平地か放牧で飼育された鶏の卵であった。ケージ飼育の鶏卵はアニマルウェルフェアの観点から使用されなかった。というより、欧米先進国ではケージ飼育が禁止の国もある。国内スーパーでは鶏卵は1パック(10玉)200円前後で販売されており、安売りの目玉商品になった時には100円以下で売られている。低価格を維持するにはどうしてもケージ飼育が必要なのであろう。

一方、先進国に近づいた「平飼いたまご」もスーパーなどで販売されている。価格は1玉当たり10円以上高いが、パッケージの表面には、たとえば「AWFC(Animal Welfare Food Community) Japan」、「JGAP認証農場の畜産物使用」、「農場HACCP認証」などの表示マークが並んでいたりする。我が国にも、このような表示の付いた商品を買い支える消費者が存在していることを示している。

畜産物の調達基準3)には、「生産者における持続可能性の向上に資する取組を一層促進する観点から、農場HACCP の下で生産された畜産物、エコフィードを用いて生産された畜産物、放牧畜産実践農場で生産された畜産物が推奨される」とあり、鶏卵においてはケージ飼育以外のものが推奨されてはいる。2020年東京五輪でこのような鶏卵だけを調達できれば海外からの批判は避けられるが、全部をまかないきれるか不明である。今後我が国で平飼いたまごや放牧たまごが普及していけば、アニマルウェルフェアに配慮した鶏卵が広まった契機として、2020年東京五輪のレガシーの1つになるであろう。

畜産物の調達基準3)には、「環境面の配慮が特に優れたものとして、有機畜産により生産された畜産物が推奨される」とも明記されている。しかし、有機畜産では有機飼料を与え動物用医薬品を避けるなどアニマルウェルフェアに配慮するとともに、当然ながら処理工程での分別管理も必要である。有機畜産推奨と明記されていても、どれほど調達できるかは疑問である。

それよりも、欧州などで禁止されている母豚の妊娠ストールを用いた飼育を禁止する旨を明記した方が、アニマルウェルフェアのレベルが格段に上がると思われるが、調達基準では触れられていない。国産豚肉の調達に支障がでるためであろう。

6.我が国での水産エコラベルの普及

水産物の調達基準3)はさらに複雑な問題を含んでいる。詳細は2018年1月の本メールマガジン(142号)を参照していただきたい。必要な要件としてはFAOの「責任ある漁業のための行動規範」(1995年採択)を満たすこと、資源管理、漁場環境の維持・改善、労働安全の4つがあげられている。FAOは行動規範を示した後に、2005年に海面漁業(天然魚)における水産エコラベルの認証スキームの国際的ガイドラインを、2011年に養殖業・内水面漁業に関する認証スキームの国際的ガイドラインを策定している4)。FAOの行動基準とガイドラインを具体化したのが国際的なGSSI(Global Sustainable Seafood Initiative:世界水産物持続可能性イニシアチブ)基準であり、GSSIの承認が得られると国際的に通用する認証システムとなる。

調達基準3)では最初に「MEL、MSC、AEL、ASC による認証を受けた水産物については、要件を満たすものとして認めている。このほか、GSSIによる承認も参考にして、FAO のガイドラインに準拠したものとして組織委員会が認める水産エコラベル認証スキームにより認証を受けた水産物も、要件を満たすものとして同様に扱うことができる、とされている。MSC(海洋管理協議会)とASC(水産養殖管理協議会)はGSSIの承認を受けた国際的な漁業認証、養殖認証であり、MEL(一般社団法人マリン・エコラベル・ジャパン協議会が運営)と養殖エコラベルAEL(一般社団法人日本食育者協会が運営)は国内版の漁業認証、養殖認証である。

MELとAELについては、最近動きがあった。MELは漁業に関する認証であったが、2018年に養殖版のMEL(養殖)ができ、MEL(天然)とともに、2019年中のGSSI承認を目指している。そしてAELは、日本の水産エコラベルの普及・発展を目指して、MEL(養殖)と統合することになった。

このようにGSSIの承認が順調に進めば、組織委員会が調達基準で最初に認めたMEL、MSC、AEL、ASCはすべて国際的なGSSIが承認したものとなる。このような水産物が多く2020年東京五輪で調達できれば、漁業者と消費者の双方で水産エコラベルの認識を高めることができ、水産エコラベルが2020年東京五輪のレガシーとなるであろう。日本の水産業にも変革が起こるかも知れない。

しかし、水産物の調達基準の問題点は、国等の指針に沿って国内漁業者がまとめた資源管理計画に基づいて漁獲された水産物なども認められていることである。これにより、国産水産物でかなりの部分がまかなえることになるのかもしれないが、生態系保存にも考慮して漁獲された水産物と言えるのか心配である。五輪選手村の食堂ではメインダイニングとは別にカジュアルダイニングを設置し、都道府県の特産品や被災地の食材を用いて、日本の食を提供することになっている。カジュアルダイニングでは各種水産物も用いられると思われるが、水産物の調達基準を下げておかないと十分な日本食が提供できないのかも知れない。

7.廃プラへの対応と食品ロスの削減

この2課題は、2020年東京五輪というよりは、SDGs(持続可能な開発目標)(2016年1月発行本メールマガジン(118号)参照)への対応であるが、食事の提供と関連があるので、最後に触れさせていただく。

2019年6月に大阪で開催されたG20では、2050年までに新たな海洋のプラスチックごみ(廃プラ)汚染をゼロにすることを目指す「大阪ブルー・オーシャン・ビジョン」を議長国として取りまとめた。その直前の5月に政府は廃プラへの対応「プラスチック資源循環戦略」を発表しているが、議長国として取りまとめたビジョンの達成は、はたして大丈夫であろうか。温室効果ガスに関する京都議定書の二の舞にならなければよいが。

我が国ではこれまで約6割の廃プラを焼却し、発生するエネルギーを再利用してきた。この「サーマルリサイクル」では二酸化炭素が排出されるため、国際的には再生と認められず、原材料でのリサイクルや代替材料の使用が、我が国に求められている。

2020年東京五輪で調達される物品においても、飲料用ストローを初め、脱プラスチックの対応がなされるであろう。廃プラ対策がレガシーとして残せるかが試されているといえる。

さらに、大会での食品ロス削減も注目される。「食品ロスの削減の推進に関する法律」が2019年10月に施行され、10月30日が食品ロス削減の日と定められた。国内ではすでに肥料としての再利用やフードバンクへの提供、フードドライブの活動などが徐々に進んでいるが、東京五輪で一時的に大量にでる食品ロスに対応できるか心配である。持続可能なシステム構築の契機になればと期待される。

8.おわりに

2020年東京五輪の「食の安全に関するレガシー」といいながら、厚生労働省や農林水産省の施策の紹介ばかりになってしまった。行政サイドが東京五輪をうまく使って、食の安全のシステムを国際標準レベルにあげたと言えるかもしれない。そのため、開催都市のレガシーというよりは、開催国のレガシーとなっている。

一方、開催都市の東京都は2019年12月に、五輪後の10年間を展望する2020年以降の長期戦略ビジョンをまとめ、五輪後に大会のレガシーを踏まえて、2020年以降の長期戦略をまとめることにしている。五輪の反動をなくし、前進を継続するための戦略である。

「「未来の東京」への論点」5)では5つの論点が示され、論点05「東京の未来のために何をなすべきか」(2030年に向けた課題)の中では39の課題が列挙されている。課題36「オリンピック・パラリンピックのレガシーを、都市のレガシーに発展させる」には、もちろんスモークフリータウン確立も入っている。課題28「「稼ぐ」農林水産業を実現する」では、GAPやMEL等の農林水産物認証の取得促進、課題29「ゼロエミッション東京に向けた大胆な取組を進める」では、プラスチック対策の推進や食品ロス削減の促進があげられている。2020年東京五輪の全レガシーを踏まえて、東京をどのように変貌させるのか注目されるところである。

ここまではポジティブなレガシーを列挙してきたが、2019年秋にIOCがマラソンと競歩の実施場所を東京都との事前協議もなく一方的に札幌市に変更するという事態が起きた。規約上できるようであるが、このような事態が五輪開催都市東京の負のレガシーとして残らないことを切に願っている。

参考文献
略歴

京都大学大学院薬学研究科博士課程修了。環境庁国立公害研究所(当時)および米国カンザス大学メディカルセンターでの研究を経て、厚生労働省国立医薬品食品衛生研究所に勤務。食品添加物部室長・部長および食品部部長として、既存添加物制度や農薬等ポジティブリスト制度の確立に研究者サイドの中心として対応。2010-2013年静岡県立大学食品栄養科学部特任教授として、茶中残留農薬の研究を実施。2009-2010年度(公社)日本食品衛生学会会長。

 

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