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かきウイルス物語(かきを美味しく安全に食べるために)
財団法人食品分析開発センターSUNATEC理事長 庄司 正
シリーズ(1)〜かきについて知る〜
はじめに
 1979年3月、三重県熊野保健所技師であった小生は、研修旅行で磯部町的矢にある佐藤養殖場を見学した。かきとの初めての出会いであった。佐藤養殖場の創業者である佐藤忠勇さんから、かきの生理生態や浄化施設の説明を受け、またプランクトン研究などの施設であり自らが所長である的矢湾養蠣(ようれい)研究所を案内していただいた。
 “かきは1時間に約18リットルの海水を濾過し、プランクトンを鰓で濾して食べる。しかし、かきは消化器系伝染病のリスクがあるので、この習性を利用して紫外線殺菌した海水で約20時間浄化する。これで大腸菌が全くいない無菌のかきとなり安心して食べることができるのです。”佐藤忠勇さんは、かきの筏垂下養殖方式を完成させ、また日本で最初にかきの浄化システムを開発し、1955年に特許を取得した。その後浄化かきの量産化、“清浄的矢かき”としてその事業化とブランド化に成功した。当時91歳とは思えない颯爽とした姿、白衣を着てステッキを持った白髪の研究者の科学的な説明を、小生は今も鮮明に覚えている。
 その年の4月から5年間、小生は県庁食品環境衛生課で乳肉衛生、かきの衛生対策等の担当者となり電話で何度もかきのことについて教えていただいたものだ。“殻付かきは、氷の冷蔵庫で身殻を下にして保存すれば1カ月でも生きています。冬季になると的矢湾全体から大腸菌はいなくなるが浄化を確実に行い安全なかきをつくるのです。”何も知らない若造にも親切に対応していただいたものだ。
 1984年4月1日、佐藤忠勇さんは96歳でご逝去された。初めての出会いから5年もの間、その後一度も佐藤忠勇さんにお会いできなかったことが今も心残りである。あれから30年が経過した。佐藤養殖場には何度足を運んだことだろう。県外からの視察案内、浄化試験や保存試験、SRSV(小型球形ウイルス)汚染調査やポリオウイルスを使った浄化試験などなど、かきの衛生対策に取り組むたびに佐藤養殖場と的矢湾養蠣砺研究所の方々に相談し協力をいただいてきた。
 1995年4月、10年間も希望し続けた志摩保健所への異動がようやく実現した。三重県のかきの生産地を所管する保健所で、改めて勉強する機会が巡ってきたのだ。志摩保健所管内はすべて伊勢志摩国立公園の区域内で素晴らしい海の景観が続く。海の国立公園の中で、腸炎ビブリオ食中毒予防研究とあわせて、志摩保健所勤務は人生で最高の2年間であった。それ以降かきのウイルス対策には、3回目、4回目の本庁勤務も含め退職まで13年間も続いてきた。
 かきについて学ぶと、食品衛生対策だけでなく、森と海、内湾と外洋、河川河口部や汽水域、干潟の役割などなど自然環境保全や海洋のことについても広く関心を持つに至った。そして県外からかきの衛生対策について講演依頼があるたびに、「かきウイルス物語(かきを美味しく安全に食べるために)」を書いてこれまでの経験をまとめてみようと思ってきたが、いつもの怠け癖に流されてきてしまった。県庁退職を機に一念発起。かきを多くの人に食べてもらいたい。美味しく安全に食べるためのコツを皆様に伝授したい。かきと自然環境の関係を知ることで、かきを更に美味しく味わっていただきたいと考えている。お役にたてれば幸いである。
かき(マガキ)の生態サイクル
 かきを安全に食べるには、まずかきの生理生態をよく知らなければならない。かきは不思議な二枚貝である。アサリやハマグリなどの二枚貝と異なり、潮間帯の石などに付着して生涯動くことができない。クロダイやフグなど磯魚の餌食にならないように、また動けないので、ほんの少し殻を開けて、自ら水流を起こし、海水中のプランクトンを濾過して食べる。ムラサキイガイやフジツボなどの付着生物に邪魔される。他のかきと競争して濾過水量を確保しなければならない。そのために殻の先を延ばしながら生長していく。1〜3年で親かきとなり、夏季に生殖を行う。卵子精子は水中で受精し、受精卵は約3週間成熟しながら海水中を漂い、そして再び石などに付着・稚貝となり生長していく。かきの生態サイクルだ。
図1マガキ採苗(白石湖)
不思議なかきの消化機構
 また、二枚貝の消化器官として特徴的な中腸腺(消化盲嚢)がある。例えばホタテガイの場合、殻を開ければ中腸腺は黒っぽくて一目瞭然分かる。麻痺性貝毒などは中腸腺に蓄積するので、そこを除去して食べることで健康被害を予防することができる。しかし、かきの中腸腺は、除去することは構造上不可能な位置にあり、かきの生食は、中腸腺さえもそのまま食べてしまうこととなる。
 鰓で濾過されたプランクトンは、胃から導管を通じて中腸腺盲嚢部に送られ、細胞内に取り込まれてから消化される。考えてみれば、海水中にいるかきの胃には海水が入りやすい。消化液を出しても希釈されて役に立たないだろう。かきは餌を細胞内に取り込み(endocytosis)、細胞内で消化して栄養とするのである。従って、プランクトンに付着した細菌やウイルスも一緒に中腸腺に取り込まれてしまう。養殖海域に病原微生物が存在すれば、かきはそれを濾過して中腸腺に保有する(汚染される)ことになるのである。宿命的にリスクの非常に高い食品であるといえる。それゆえ、生食用かきには厳しい法的規制がかけられている。
図2 カキの解剖図
図3 二枚貝の消化器官中腸腺(消化盲嚢)
別紙 生食用かき規格基準
かきの浄化
 上記佐藤忠勇さんがかきの浄化システムを開発し、大腸菌のいない無菌かきを作ることに心血を注いだのはそのためである。大腸菌は動物の腸内を住処とする陸水由来の菌である。かきに大腸菌がいないということは、赤痢やチフスなど他の消化器系伝染病の原因細菌がいないことを意味している。海水を紫外線で殺菌し、溶存酸素が多くなるシャワー方式で浄化水槽全面に均等に海水を供給する。水槽では、かきを入れたかごを1段だけ漬け、一定流速の垂直流によってかきが出した糞などを水槽下に流し、水槽底からサイフォン方式で汚泥を外に排出する。かきが内容物を全部入れ替えるために18〜20時間が必要であることを実験によって佐藤忠勇さんは見出した。この浄化方式が1955年特許登録につながったのである。
 だが、よく考えてみると浄化はかきの胃や腸の中をきれいにすることだけではない。いったん中腸腺の細胞内に取り込んでしまった細菌やウイルスを、かき自身がこれらの病原微生物を消化して人への感染力をなくしてしまうか、又は未消化物として細胞外・体外に排泄してしまうことを意味している。従って、確実に浄化する、すなわち浄化時間を厳守することがかきの安全には欠かせない。これまで細菌を指標とした浄化試験は三重県でも実施し、18時間以上で細菌が検出されなくなることを確認してきた。現在ではHACCP方式の導入で浄化は確実に実施されている。しかし過去には、浄化したかきが、消費地市場の検査で大腸菌や一般細菌数が規格基準に違反することがよくあった。その原因は、紫外線殺菌ランプの不備、浄化水槽にかきの入れ過ぎ(水量不足)、浄化時間の不足など様々な原因があった。佐藤忠勇さんが開発したかきの浄化技術は、後発のかき養殖業者にはなかなか正確には伝わっていかなかったのである。
 1988年4月、小生は2度目の本庁乳肉衛生担当となった。先輩の努力によってその年からかきの衛生対策3ヶ年計画が予算化されていた。小生が本格的にかきの衛生対策に係るのはこの時からである。伊勢保健所食品衛生機動班と志摩保健所によって、全てのかき浄化業者の施設を個別に細かく調査し、浄化の問題点をすべて洗い出す。そして様々な浄化施設に対応した基本的な浄化技術を見出すための浄化試験が3年間続いたのである。佐藤忠勇さんが開発した浄化技術や浄化時間の真の意味が他のかき業者に伝わるには、保健所の長い年月にわたる厳しい行政指導を必要としたのである。“三重県のかき養殖が発展した今日の姿は保健所の功績である。”とは、小生の知人の水産行政職員の言葉である
図4 かき浄化
みえカキ安心情報システム第4回カキフォーラム講演者資料
※コーヒーブレイク
 かきの胃や中腸腺の組織切片を顕微鏡で観察すると、未浄化のかきではプランクトンなどの餌が多く見られるし、もちろん腸管には糞が見られる。しかし、浄化済みのかきではこれらはほとんど見られない。浄化した生かきにレモンを絞って食べた時のあのすっきりした美味しさは、このせいであろう。しかし、フライにするとかきの風味が弱くて物足りない感じがするので、かきフライは未浄化のかきに限る。小生はこのように納得してかき料理を楽しんでいる。
 ただし、浄化するとかきは間違いなく少し痩せてしまう。浄化しても美味しいかきを佐藤忠勇さんはどのように生産したのか、この話は別の機会に譲ろう。
 佐藤忠勇さんは、1981年、「半生を研究と事業化に捧げた、的矢湾での無菌カキ養殖」の功績でサントリー文化財団から地域文化賞を受賞されている。
サントリー文化財団のホームページリンク
 浄化したかきを更に美味しく食べるには、レモンより酢橘(すだち)、ワインより純米吟醸酒と一緒に楽しむのが最高に相性がいいと思っている。かきにはレモンがつきものだ。それなら米国産より国産と小生はレモンの木を植えた。5年目でようやくレモンを収穫することができた。しかし、レモンの香りが強すぎてかきの風味に勝ってしまい失敗。いつも牛タンを食べるために重宝している酢橘で試してみたら、酸味は程よく香りは控え目でぴったりであった。純米吟醸はコミック誌で知って試してみた。かきの海水で喉ががらがらした時には、純米酒は優しく滑るように喉を洗ってくれる。お試しあれ。
三重のかき養殖
 宮城県で生産された種かき(宮城種)が、毎年秋に三重県にやってくる。コレクターといわれるホタテガイの貝殻に稚貝を付着させ、長期の輸送にも耐えるように潮間帯で強化された小さなかきである。種がきは、ホタテの貝殻70枚を1連(れん)単位で取り引きされる。1枚1枚を一定間隔でロープに固定し、海に吊るして養殖する。天然のマガキは潮間帯に生息するので干潮時には海面上であるが、養殖マガキは、筏に吊るすので24時間海面下で餌を食べることができる。この方式が垂下養殖と呼ばれ、三重県の養殖海域では1年養殖で出荷できる大きさにかきは生長する。養殖ってどんな餌をやるのですか?と消費者から聞かれることがたまにある。しかしかき養殖は、プランクトンの多い海域に吊るしておくだけで、養殖魚のように餌をやるわけではない。それこそ海がかきを生長させていくのである。
 では、どのくらいのかきが生産できるのであろうか?
 例えば水深10mの内湾で、5m四方(25u)の筏に、種かき1枚を一定間隔に10枚吊るしたロープ(垂下連)を、縦横10本ずつ繋ぐと、10枚×10本×10本=1000枚、15連の種がきが必要となる。1枚のかき板が生長して大きくなり、ばらして平均10個のかきが取れれば合計1万個。平均20個取れればその倍量のかきが収穫できることになる。水田では10アール(1000u)で米が約8俵(玄米480Kg)収穫できる。しかしかきはその40分の1の面積の筏で同じくらいの売上が確保できることになる。垂直方向にも利用できる海の立体的生産力は実にすごいものである。
 かきの餌量は、基本的には光合成を行う植物性プランクトンの量で決まり、その増殖に必要な栄養素は主に陸からの河川水に依存している。陸水はその年の雨量に左右され、河川を通じて養殖海域に流入する。従って雨の少ない年はかきの生長はよくないとされる。三重県の養殖海域である鳥羽の海は、清流宮川や水量の多い木曽三川の恩恵を受ける豊饒の海だ。他方、的矢湾は神宮林を源流とする神路川、野川、池田川が流れ込む独特の地形で、湾口部は太平洋に面している。かきの養殖海域は実に美しい形をしているものだ。そして、河川水によってもたらされた栄養素をもとに増殖するプランクトンの種類によってかきの味も大きな影響を受けるといわれる。“わが町、わが海のかきの味が一番!”というかき通の自慢話につながっていく。
 生産量は少ないが、三重県には白石湖(紀北町)でかきが養殖され、「渡利かき」の名称で出荷されている。白石湖は汽水湖で、種苗から養殖まで一貫したかきの生産が行われており、幻のかきと言われる所以であるが、非常に味のいいかきだ。この地方は日本有数の多雨地帯である。非常にきれいな河川水が流入するだけでなく、大台山系や白石湖周囲の森から供給されるミネラル豊富な伏流水もまたプランクトンの増殖やかきの味に影響しているのではないかと思っている。流域の人口は少なく生活排水の影響も小さいが、もちろん渡利かきも全て浄化され出荷されている。
 2008年1月、三重県「食の安全安心ツアー(カキ)」の催しでは、白石湖でかきを養殖する畦地宏哉さんがかきの生産過程を消費者に紹介した。かきの採苗や養殖の見事な画像による説明だった。宮城種を利用したかき養殖が主流の三重県にあって、白石湖のかき養殖は貴重な存在である。
図5 三重県かき養殖海域
参考文献
「浅海完全養殖」猪野峻〔等〕編 今井丈夫監修 恒星社厚生閣 1971年
「森は海の恋人」畠山重篤著 北斗出版 1997年
「牡蠣礼賛」畠山重篤 文春新書 2006年
著者略歴
著者 1973年北海道大学獣医学部卒業、獣医師として三重県に入庁。食品衛生行政を中心に本庁14年、地域機関(5保健所2食肉衛生検査所1保健福祉事務所)22年勤務、本年3月末勧奨退職。BSE問題のとき松阪食肉衛生検査所長として食肉センターの見学を実現し、現在松阪牛文化ミュージアム事業に発展できたこと、食品の偽装表示事件のとき健康福祉部総括室長として議会・報道対応したことが貴重な経験に。腸炎ビブリオ食中毒予防対策とカキのウイルス対策には長年関与。本年6月の当財団理事会で理事長に選任。
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