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牛肉生食規制強化と牛レバー生食禁止後の食の安全
東京大学大学院農学生命科学研究科附属食の安全研究センター
関崎 勉

ユッケ食中毒事件と生食規制

本メルマガ9月号(2012年)にSUNATEC理事長 庄司正氏の「牛レバー生食禁止措置を腸管出血性大腸菌感染症の減少につなげるために」(1)が掲載されています。筆者も含めて読者の中には、これを読んで、まことにその通りであると納得された方も多いことと思います。そこで、本解説では、少し視点を変えて、別な角度からこの問題について考えることを試みました。
 2011年4月下旬に発生したユッケによる広域集団食中毒では、死者5名という痛ましい事件に発展しました。事件に関する過熱した報道と、その後の厚生労働省の生食用牛肉に関する規格基準の設定、さらには2012年7月からの牛レバー刺し販売禁止令については周知のことです。私は、この規制に対して同じ考え方で行くと、生食をする可能性のある他の牛内臓肉、鶏肉へと管理措置が厳しくなり、果ては魚の刺身、生卵、生野菜にまで同じように厳しく管理しなければおかしい。そして、法に基づいた規格基準で、食品を一律に規制することは、果たして本当に消費者を守ることになっているのかと問いかけました。それに対して、賛否両論多くのご意見を頂戴しましたが、時の経過とともにその熱い議論も冷めてくるだけでなく、豚や猪の肉やレバーの生食が登場するなど、危惧していたことが現実となっており、ここで規制後の食の安全について改めて警鐘を鳴らす必要があると考えています。

(1)「牛レバー生食禁止措置を腸管出血性大腸菌感染症の減少につなげるために」

 

恐ろしさを見せつけた腸管出血性大腸菌

2011年ユッケ食中毒では、最初の患者が急激に容態を悪化させて脳症を発症し、その後、県境を越えた医療機関にも同様な患者が入院したことが判明し、やがてそれらが同一の焼き肉チェーン店に起因すると判明しました。未経験な症状と容態の急変、疾病発生の広域さから、原因を特定するまでにやや長い時間を要しました。患者から分離された病原菌が、耳慣れたO157ではなくO111だったことも、原因の究明と適切な診断・治療への妨げになったと思われます。しかし、ともすればさらに多くの犠牲者が出ても不思議ではない状況の中で、医療および食品衛生関係者の素早い連携と対応には今更ながら敬意を表せずにはいられません。腸管出血性大腸菌感染症では、感染後期に溶血性尿毒症症候群(HUS)を発症することが知られていますが、これが尿毒症だけでなく、今回のように脳症を発症するとさらに深刻な状況を招く恐ろしい感染症であることを見せつけられました。

 

報道されなかった見解

報道が過熱していたレバー刺し禁止騒動の頃、マスコミから多くの取材を受けました。そこでは、法律で禁止することだけでは消費者保護にはならないということ、腸管出血性大腸菌以外にも恐ろしい病原体がいること、食材から菌が検出されたことをもって生食禁止としたら他の生食食品にも同様な規制が必要になるであろうこと、さらに最も大切なのは消費者への情報提供であることを発言しました。しかし、一部のメディアを除き、これらを正確に取り上げてはもらえず、厚生労働省批判と思える一言だけが大きく放映されてしまいました。これに対して、人が死んだというのに同じように食べて良いはずはない、生卵は十分安全だと分かっているので禁止になるはずはないなど、多くのご批判を頂戴しました。私はレバー刺しが安全であると言うのでなく、その他の食品についても、十分安全確保を努めるべきであり、牛生肉とレバーの規制だけで安全が守れると考えるのは危険だと伝えたかったのです。はたして、あまりに悪い偶然ですが、本年、白菜漬けを原因とした大規模な食中毒が発生し、犠牲者も出たことは残念でなりません。どうも、問題の本質はユッケやレバーの規制だけではないという考えがさらに強くなりました。

 

近年の食中毒発生動向から思うこと

厚生労働省の食中毒発生統計(2)によれば、2011年の腸管出血性大腸菌食中毒患者数は、714名(うち死者7名)です。これに対して、ノロウイルス8619名(死者0名)、サルモネラ属菌3068名(同3名)、カンピロバクター2341名(同0名)となっています。これからすると、腸管出血性大腸菌感染症は患者数が少ない割に多くの死者を出している怖い病原体だという印象を受けます。しかし、逆に見ると、他の食中毒の方がずっと頻繁に発生する身近な食中毒とも言えます。さらに、ユッケ事件が発生する前の1996年から2010年までを見ると、腸管出血性大腸菌食中毒の死者が22名(2011年を入れると29名)なのに対して、サルモネラ属菌食中毒では16名(同19名)と、恐ろしさでは決して引けを取らないことが分かります。
 食中毒統計は言うまでもなく、食品に由来する中毒として届け出られた症例が集計されています。一方、腸管出血性大腸菌感染症は感染症法の3類感染症であるため、食品との関連が認められない症例も、感染症として届け出られます(3)。そして、その患者数を見ると、2011年で3938名という食中毒患者数とはかけ離れた数字が記録されています(4)。感染症として届け出られた場合、これは、コレラや赤痢と同じように扱われますから、患者に接触した可能性のある家族・同僚なども検査を受けます。その結果、症状を呈した患者周囲には、症状を出さずに菌を便に排出する無症状保菌者が、かなりの数存在することが分かっています(2011年では、3938名中1278名)(3)。年齢別に見ると、若齢者や高齢者の殆どは症状を示しますが、いわゆる働き盛り世代の6割くらいは無症状保菌者です(5)。
 一方、2011年の腸管出血性大腸菌感染症の主な集団食中毒の内訳を見ると、いくつかの特徴に気づきます(6)。まず、原因食は必ずしも牛生肉やレバー刺しではなく、野菜や漬け物など様々な食品が含まれること、そして、発生場所が保育所、宿泊学習施設、介護老人福祉施設のような若齢者、高齢者が集団で生活し、恐らく肉の生食などが出されることのない場所であることです。
 これらのことを合わせると、一つのストーリーが出来上がります。すなわち、働き盛りのお父さんが、外で腸管出血性大腸菌に汚染された食品を食べて、無症状保菌者となる。その家に幼いお子さんがいれば、食品や日常生活品を介して感染する。そして、保育所に行って友達に感染を広げるということです。高齢者の場合も同様な経路が考えられます。問題は、このお父さんが何を食べて感染するかです。ユッケやレバー刺しの可能性もありますが、昨今の野菜や漬け物を原因とした食中毒を考えれば、他の食品も重要と考えるのは私だけではないでしょう。
 さて、食中毒および感染症の両者の統計が揃った腸管出血性大腸菌感染症での状況は分かりましたが、それ以上に多くの食中毒患者や匹敵する数の死者を出しているサルモネラ属菌ではどうなっているのでしょうか。成績がないので全くの想像ですが、無視できない数の無症状保菌者がいても不思議ではないと思います。

(2)厚生労働省食中毒統計
(3)腸管出血性大腸菌感染症の実態
(4)腸管出血性大腸菌感染症届出数
(5)年齢別検出情報
(6)腸管出血性大腸菌感染症集団発生事例

 

食中毒菌の汚染源

腸管出血性大腸菌、カンピロバクターやサルモネラ属菌は、健康な動物(今では、これに人も含まれるかもしれません)の腸管内に生息し、その糞便に汚染された肉類、野菜類や鶏卵が食中毒の原因になります。米国やドイツでの過去の調査では、羊67%、山羊56%、牛21%、豚7.5%の糞便から腸管出血性大腸菌が検出されました。また、市販鶏肉の40-60%からカンピロバクターが検出されるのは普通で、検出率80%を超えることもあります。サルモネラでは鶏卵の汚染対策が重要で、我が国では、産官揃って進めた農場清浄化対策の結果、汚染鶏卵は相当減りました。しかし、日本でさえ、今でも汚染鶏卵は5,000個に1個と言われています。
 これらの病原菌は、通常は動物に病気を起こさないため、汚染された農場や潜在的に菌を保有する動物を発見することは非常に難しく、農場の完全清浄化は不可能です。また、食材や食品の糞便による汚染と言っても、目に見えるほどの糞便が付着していることなどありません。例えば、サルモネラ属菌では1万〜10万個程度の菌で食中毒になると言われていますが、それくらいの数の細菌の付着は肉眼では見えません。消費者は、色・つや・臭いなどを目安に鮮度の良い肉を選んでいると思います。しかし、仮に肉自体の鮮度は良いとしても、肉眼では見えない少量の菌の付着までは分かりません。勿論、肉の鮮度が良ければ、付着している菌の鮮度も良いのです。
 食中毒対策として、農場やと畜場での衛生管理は厳しくなり、流通・販売までの汚染調査も進められて、市販食肉を取り巻く衛生環境は格段に向上しています。さらに今回の規格基準によって飲食店で生食する機会は減りました。しかし、加熱調理されるまでの生肉には食中毒病原体が付着している可能性があり、これがまな板、包丁、菜箸など調理器具を汚染する危険性を知り、その対策を講じることが大切です。ここまで述べれば、肉やレバーを生で食べるには、十分な注意が必要であることはお分かりになると思います。

 

法規制直後の遵守と時間経過による緩み

食べ物というのは、一度味を覚えてしまうと、禁止されたとしてもどうしても食べたくなる人が出てきます。その結果、闇でレバー刺しを出す店が出てきたり、家庭で市販レバーを生食したりと、これまで以上に危険な行為が出現する可能性があります。それどころか、元来生食はしなかったはずの豚肉・豚レバー、はては、猪の肉・レバーに至るまで販売されることもあると聞き、愕然とします。どうやら、牛は禁止されているが、豚は禁止されていないからだとか。また、SPF豚という「無菌豚」を使っているから大丈夫であるなどと、明らかな誤認がまかり通っているとも聞き、牛の規制措置の本来の意味が全く伝わっていないことに寂しさを感じると共に、人間の食に対する欲求に驚かされます。
 運転中の携帯電話が道交法で禁止され、電話しながら運転する人が一時的に減りました。しかし、数年経過した今、運転中の通話などどこにでも見られます。レバー刺し販売禁止から半年も経たないうちに上記の状況ですから、この議論の熱が冷めていく何年後かはどうなっているのでしょうか。生食はそれなりの危険を伴うもので子供や高齢者には与えないこと、生食しなくても生肉を扱う時には、他の食品に汚染を移さないように注意せねばならないこと、豚の肉やレバーは生食してはならないことなど、昔からの知恵は家庭で伝えられてきました。しかし、核家族化が進み危機意識が薄れてきた現代では、このような祖先から受け継がれた食の安全意識を、社会全体で支え合って引き継いていかねばならないと感じます。

 

消費者の食の安全意識維持のために何をすべきか

農場から小売店までの衛生管理だけでは防止できない細菌汚染があり、さらには家庭での調理段階で最終的に汚染を断ち切らなければならないこと、そして、そのためには食品産業や家庭でどのようなことに注意せねばならないかについて常に情報提供し続けなければならないと思います。昔から食中毒予防の3原則として、付けない、増やさない、殺菌する、が合い言葉のように言われています。まずは、これを多くの方々に覚えてもらうことも有効と思います。その実際としては、冒頭で紹介したSUNATEC理事長の庄司氏も述べていらっしゃいますが、食品産業においては、従事者の健康管理と食品汚染を防止するための手洗いの徹底や施設の洗浄殺菌という食品衛生の基本、感染症予防対策の有効手段が実施されているか繰り返し確認することです。また、家庭では、土が付いた可能性のある野菜などはよく洗う、菌が付着している可能性のある肉類の調理には、それがまな板や包丁など調理器具を汚染する危険性を意識して調理することが大切です。また、菌を増やさないために、調理した食品はすぐに食べる、あるいは冷蔵・冷凍保存します。菌を殺すためには加熱が一番です。汚染の危険がある部位は、特にしっかり加熱しましょう。
 ところで、これら情報提供においてもう一つ大切なことがあります。それは、守らなければならないことについて、何故守らなければならないかをキチンと伝えることです。危険だというだけでなく、何故危険なのか、どれくらい危険なのか、その結果どんな悲劇が待っているのか、隠すことなく伝えるべきです。意味が分かって注意するのと、分からないで真似るのとでは大きな違いがあります。その何故かを分かって戴きたいために、色々な情報を紹介しました。ここで、私がこれまで述べてきた事柄の中に、もし、知らないことがあったら、是非それを誰かにお伝え下さい。そして、祖先から受け継がれた食の安全意識と現代の科学的知識を、さらに多くの方々に広めて戴きたいと思います。大切なのは、一部の食品を法律で一律禁止にすることよりも、消費者に正確な情報を積極的に伝えて、消費者自身の判断で食べるものを選択できるようにし、消費者自身の食の安全意識によって調理し、美味しく食べることだと思います。

 

略歴

1978年3月            北海道大学獣医学部獣医学科卒業
1980年3月            北海道大学大学院獣医学研究科修士課程修了(獣医学修士)
1980年4月            農林水産省家畜衛生試験場研究員
1985年6月            獣医学博士(北海道大学)
1985年3月〜1986年9月    ジュネーブ大学医学部博士助手(併任)
1991年4月            農林水産省家畜衛生試験場研究室長
2003年9月〜2009年9月    内閣府食品安全委員会専門委員(併任)
2006年4月            農研機構・動物衛生研究所 研究チーム長
2008年7月            東京大学大学院農学生命科学研究科教授
2010年4月            東京大学大学院農学生命科学研究科食の安全研究センター長
2011年1月            厚生労働省薬事・食品衛生審議会専門委員(併任)
2012年6月            農林水産省獣医事審議会専門委員(併任)

 

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