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時間軸に潜む香りの世界を探る

エスビー食品株式会社 開発生産グループ 中央研究所

スペシャリスト 佐川 岳人

食べ物のおいしさを考えるうえで、香りはとても重要な役割を果たします。その研究においては、Gas Chromatograph Mass Spectrometry(GC-MS)分析や、香気特徴に寄与する成分を特定するために、人間の嗅覚を検出器の代わりとして用いるGas Chromatograph Olfactometry(GC-O)分析が活用され、その結果を官能評価と関連付けようとするアプローチがとられるようになっています。そのような中で、新たなアプローチとして喫食時に鼻に抜ける香りである“レトロネーザルアロマ”への注目も高まっています。

この計測は、喫食という一連の動作において、鼻に抜ける各香気成分を時系列でリアルタイムに計測するため、イオンとして検出される様々な香気成分の検出強度の変化を、俯瞰しなければいけないという難しさも存在します。さらに、計測手法や解析手法が、未だ十分に確立されていないことから、研究者のすそ野が広がりにくいという現状があります。

そこで我々は、計測データを分かり易く視覚化することが重要と考え、検出イオンとその強度に併せて時間軸という3つの次元を使ってグラフ化を試みました。これは、時系列で認識する官能評価の結果との関連性をイメージしやすくすることを目指すものです。ここでは、喫食時の風味認識をイメージとして伝えやすくするための、我々の取り組みを紹介します。

 

レトロネーザルアロマ計測結果の視覚化をめざして

まず、3種類のブドウ味の市販グミを例として、お話しします。Fig.1には、それぞれのグミについてGC-MS分析を実施した際のTotal Ion Current Chromatogram (TICC)を示します。香気特徴に違いがあることは推測できますが、喫食した際の時系列の官能評価を説明することはできません。これは、TICCにおける時間軸は、クロマトグラフィーに対する時間軸であって、喫食動作の時間軸とは異なることが理由です。

Fig.1 グミのGC-MS分析結果(TICC)

 

ここで必要となるのが、時系列でリアルタイムに計測できる、レトロネーザルアロマ計測となってきます。レトロネーザルアロマ計測結果をTICC(Fig.2)で確認すると、一般的な分析のように一時点の情報ではなく、喫食中の香気の変化を連続的に捉えている点が特徴であり、時系列の官能評価結果を、なんとなくイメージできるものとなってきます。それをさらに、検出イオン毎の挙動も確認するために3次元でグラフ化したものが、Fig.3、Fig.4です。

Fig.2 グミ喫食時レトロネーザルアロマのTICC

 

このグラフからは、グミを喫食開始時から咀嚼(Fig.3)・嚥下後(Fig.4)にわたっての時系列の変化が、全体のイメージとして捉えやすくなっていることが分かります。1)

Fig.3 グミ喫食時レトロネーザルアロマ咀嚼開始時

 

Fig.4 グミ喫食時レトロネーザルアロマ嚥下後の余韻

 

このような3次元での視覚化は、個々の検出イオンが、全体の挙動の中でどのような変化をしているかを俯瞰的に捉えることができるだけではなく、処理前のデータに立ち戻ることで、詳細な比較をすることも可能となります。つまり、官能評価との関係性を意識しながら、計測データを解析することも可能となるのです。

ちなみに、このグラフを描く際には、変化するイオンを分かり易く視覚化することを目的として、検出イオン毎のデータに対して以下の前処理を施しています。

A)標準化(検出イオンの強度 / 検出イオンの平均強度)

B)加重移動平均による平滑化と変化点の協調(データ取得周波数の2~3倍のデータポイント)

データに対する前処理が、データの本質をゆがめてしまうのではないかと、心配される方もいるかもしれません。しかしながら、ここに示す処理を行ったとしても、検出イオン毎のサンプル間比較に影響するものではないため、今回の目的においては問題がないことを、付け加えさせていただきます。

このような3次元グラフの描写自体は、作業としては単純なものですが、これを実施するための既存ツールが極めて少ないのも現状です。そこで我々は、R言語によるプログラミングで取得・成形した質量分析データを用いて、目的の3次元グラフを作成することを試みました。Rを用いるということは、プログラムにあたるスクリプトを作成しなければいけないのですが、これも近年多くの人々が活用するようになった生成AIのサポートを受けることで、プログラミング初心者であっても、目的のスクリプトを作成できます。

 

時間軸に隠れる小さな変化

グミの事例は、比較的大きな変化を示すものでした。当然ながら喫食という動作の際には、もっと短い時間に起きる小さな変化が官能評価に影響を及ぼす場合もあります。次に、パンにオリーブオイルをつけて喫食した際の、アルデヒドの挙動について紹介します。1つは店頭で日光に当たって置かれていた“食パン”。もう一つは、通常のパン売り場に置かれていた“バケット”となります。パンの種類が異なると、検出するイオンも異なってくるのですが、日光に当たっているか否かを示すシグナルを確認することができました(Fig.5)。ここで示すイオンは、ヘキサナール(m/z93 脱水+プロトン付加)とヘキセナール(m/z99 プロトン付加)と推定しています。ここにおいて、日光の当たる場所に置かれていた食パンからのみヘキサナールが検出されました。これは、脂肪酸の光酸化の影響で生成されたと推測することも可能です。もう少し細かな部分を確認すると、ヘキサナールは、ヘキセナールが口腔内に放出されたのち、数秒遅れて放出が開始されているという点です。この現象が、官能評価に対してどのような影響を及ぼすかは定かではありませんが、時系列官能評価の結果を説明するための材料の一つとなりうると考えます。

Fig.5 グミ喫食時レトロネーザルアロマ嚥下後の余韻

 

レトロネーザルアロマのリアルタイム計測システム

レトロネーザルアロマ計測結果の視覚化についてお話してきましたが、最後にそれを計測するために使用している、我々のシステムを紹介します。基本システムの概要は、イオン源としてDark Current Discharge Ionization source (DCDI、エーエムアール)2)を採用し、シングル四重極質量分析計であるLCMS-2050(島津製作所)に接続した基本システムに、揮発成分分析専用デバイスを組み込んだものです。この基本システムは、高速液体クロマトグラフ(HPLC)を用いた質量分析システムのイオン源部分を変更するだけで、リアルタイムなレトロネーザルアロマ計測をすることも可能な、比較的安価で汎用性の高いものです(Fig.6)。これは、横浜市立大学の関本奏子先生とエーエムアール株式会社が共同で開発したDark Current Discharge Ionization source (DCDI)を、島津製作所製のLC-MSに組み込んだことで実現したものとなります。ここでは細かなことには触れませんが、本システムはレトロネーザルアロマ計測だけではなく様々な直接分析に対応できる、とても興味深いシステムです。

 

Fig.6 レトロネーザルアロマ計測システム

 

最後になりますが、喫食動作という現象の計測には、動作の時間軸が存在します。その影響を受けた各香気成分が、様々なパターンでイオンとして検出されるため、全体を俯瞰してとらえることは大変です。そのため、今回のような3次元グラフに展開することは、とても意味あることと考えます。一方、次に求められるのは、視覚化されたイメージを数値化することであると理解しています。これが実現すると、香りに関係する「おいしさ」の研究が、さらに前進すると考えます。これについては我々も、解析手法3)を考案しているのですが、残念ながら実用レベルには至っておりません。ただ、比較的安価でシンプルな計測システムの出現が、レトロネーザルアロマ計測に取り組む研究者のすそ野を広げてくれるのではないかと期待しています。そして、様々な研究成果が世の中に提案されることを、心から願う次第です。

 

References
略歴

 

佐川 岳人(さがわ たけひと)

 

1988年にエスビー食品株式会社に入社。商品開発や機器分析の部門を経て、中央研究所にスペシャリストとして勤務。専門は、食品科学、分析化学。

現在は、気成分の分析手法開発に取り組み、特に、フレーバーリリース現象などの、時系列分析システムとその解析手法の開発に取り組んでいる。

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