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岡山県津山市の牛肉食文化と生食用食肉加工に関する研究
美作大学 生活科学部 食物学科 教授 学長補佐 橋本 博之 1. はじめに津山市は、岡山県北部の中心都市であり、人口規模で岡山市、倉敷市に次ぐ県内第3位の都市(人口93,930人、世帯数45,456:住民基本台帳2025年9月1日現在)とされています。本学の所在地である津山市では西暦705年(慶雲2年)に牛馬市場が開市されており1)、焼肉店の多さや家庭での牛肉消費も高く、現在まで牛肉食文化が強く根付いた地域となっています。津山の食文化を学術的に再評価し、次世代へ継承していくことは本学の大きな使命の一つと考えています。本稿では、津山市の牛肉食文化の概要、養生食いに象徴される歴史的背景、生食用食肉の加工や干し肉に関する研究の状況、そして地域貢献を視野に入れた現在の取り組みと今後の展望について紹介します。
2. 津山市の牛肉食文化津山市の牛肉食文化を語る上で欠かせないのが「養生食い」です。江戸幕府では仏教の教えである「牛馬犬猿鳥の宍(肉)を食することなかれ」という考えや農耕に使用できる貴重な家畜であったため、牛肉などの肉食が禁止されていましたが、作州津山藩と江州彦根藩のみで「養生食い」が認められていました2)。「養生食い」とは、病後の回復や体力増進のために牛肉を食べる習慣を指し、江戸時代後期から明治期にかけて津山地域に広まり、牛肉は滋養強壮の効果があり薬膳的な意味合いで受け入れられていたようです。これらの歴史的背景をもとに、津山市では日常的に牛肉が食卓に上るようになったと伝えられています。その後、畜産業のさらなる発展や、と畜場の整備により新鮮な牛肉(筋肉部分)や内臓肉(ホルモン)が安定的に供給されるようになりました。現在では、B-1グランプリで2度入賞した「①津山ホルモンうどん」や牛のあばら骨の周りの削ぎ落とした(削ぎ落すことを津山弁で「そずる」と言う)肉を使った鍋である「②そずり鍋」、牛の大動脈を細かく切って焼いた「③ヨメナカセ」、干して旨味を凝縮させた「④干し肉」、牛のすじ肉をとろ火で煮込み、スープ状になったものを冷やして固めた「⑤にこごり」など特徴的な料理が数多くあります(図1)。我が国の牛肉の消費量は、2024年に前年比1.5%減となり、5年連続の減少となっています。牛肉の街、津山市においても、更なる牛肉の消費拡大が地元畜産業の発展と観光客誘致への重要な課題の一つです。
図1.津山の牛肉料理
3. 生食用食肉の加工と干し肉研究津山市では、牛は「一頭買い」で取引されることが多く、ご当地グルメである「ホルモンうどん」の影響により、ホルモンやヨメナカセ等の内臓肉の消費は一定量あるものの、筋肉部分の消費が低迷しており、牛の商取引を活性化するためには、ホルモンうどんに続く第二の御当地グルメ料理の創出が望まれています。津山市商工会議所青年部では、これらの問題解決の一つとして、「未来予想図~我がまちへの想いと願い~」3)において「生肉の街 津山」を政策提言しています。 津山市商工会議所青年部が提言している牛肉の生食で忘れてはならないのが、2011年に焼肉チェーン店で発生した腸管出血性大腸菌O111、 O157を原因菌とする食中毒事件です4)。この食中毒では、181名の患者が発生し、5名の死者が出ました。この事件を受けて厚生労働省は2012年以降、生食用牛肉に対して厳格な規格基準を設けました5)、6)、7)。この事件以前の生食用食肉の加工では、肉塊表面のトリミングや加熱殺菌の義務化がされておらず、衛生管理基準も「一般的な食肉加工と同レベル」で行われるにとどまっていました。また、「生食用」と「加熱用」の区別も不明確でした。現在は、生食用食肉について成分規格が設けられ、加工、保存、調理する際においても専用の器具を使用するなど、厳格な規定が設けられています。そのため、共同研究先の市内枝肉加工施設において、これらの規定への適合性を確認するために、施設の現状の確認、改修や新規購入が必要な機器などの有無について、現地の視察を行い、施設の要件の確認を行いました(図2)。
図2. 共同研究施設での枝肉加工及び施設要件の確認
加熱殺菌加工を行なった生食用食肉の成分規格としては、腸内細菌科菌群が陰性であること、加工基準として専用の設備と器具を用いた衛生的な場所で行うこと、と畜時に表面汚染された腸内細菌科菌群を加熱殺菌するために、「肉塊の表面から深さ1cm以上の部分までを60℃で2分間以上加熱すること」などがあります。さらに加工・調理するためには、主に管轄の保健所が実施する生食用食肉取扱者認定講習会を受けて修了証書を得た者が行うこととされています。著者や枝肉加工施設の共同研究者は、本講習会を受講して生食用食肉取扱者に認定されています。腸内細菌科菌群を加熱殺菌する条件は、加工を実施する施設に備わっている機器や機材等の状況により異なることから、施設ごとに独自の加熱条件を設定する必要があります。生食用食肉(牛肉)の規格基準設定に関するQ&A7)には、スモールスケールで実施した加熱条件例が示されているものの、生食用食肉加工業者が実際に採用している加工条件は企業のノウハウとして情報公開されていません。食肉販売業者等で組織されている全国食肉事業協同組合連合会が作成した「食肉衛生加工マニュアル」の生食用牛肉加工マニュアル8)においては、肉塊の加熱滅菌方法として、①沸騰水による方法、②スチーム・コンベクションオーブンによる方法の2つが提示されています。著者らはこの例示を参考に、これら2つの方法の比較検討を行い、適切な加熱殺菌を行うための条件検討を行っています(図3)。
① 肉塊の表面から1cmの深さにボタン電池型の温度センサーを複数箇所に埋め込む ② 真空包装後に加熱装置(スチーム・コンベクションオーブン)で加熱し、すべてのセンサーが60℃以上になった時間を確認する。その時間に2分追加して加熱殺菌時間を決定する ③ 加熱後の肉塊表面のトリミング ④ 加熱変色部分をトリミングした後に内部の赤身部分を冊状にしたもの。この肉25gに対して腸内細菌科菌群検査を実施し、陰性の場合に生食用食肉の成分規格適合となる ⑤ 6.7kgの肉塊を用いて加熱した際の温度センサーの温度上昇
図3.スチーム・コンベクションオーブンを使用した加熱殺菌条件の検討
加熱殺菌加工後には、腸内細菌科菌群の検査を行い、陰性であることを確認する必要があります。施設独自の加熱の方法を決定した後、営業として加工を行うためには、再現性の確認のために、加熱した肉塊の腸内細菌科菌群の検査(1検体25gを25検体分)を実施して、すべて陰性であることを確認します。加熱殺菌に係る温度・時間の記録を1年間保管することも必要であり、継続的に加工を実施するには、1年に1回、肉塊の腸内細菌科菌群の検査(1検体25gを25検体分)を実施することが必要となります。 生食用食肉だけでなく、津山地域に伝わる牛肉の食文化である干し肉についての研究も実施しています。干し肉は保存性を高める伝統的な加工技術であり、近年では高タンパク・低脂肪の健康志向食品として再評価されています。しかし干し肉は、微生物学的衛生状況、旨み成分や保存性に関する詳細な研究はほとんど行われておらず、未解明な点も多い食品です。そのため、著者らは干し肉の製造条件と製造後の微生物学的状況の確認(一般細菌、黄色ブドウ球菌、リステリア菌等)及び水分活性の測定、保存期間中の品質保持状況等について検討し、科学的根拠に基づく干し肉の優位性に関する知見を蓄積することにより地域資源としての干し肉の消費拡大を目指しています(図4)。
図4.干し肉製造及び保存性(4℃、室温)の確認
4. 地域貢献に向けた研究進捗状況これまで取り組んできた生食用食肉及び干し肉に関する研究データの一部は学会等で発表しているものの詳細なデータは未公表のため本稿では割愛しますが、地元枝肉加工施設や飲食店、地元の商工会議所等と協働することにより、安心して提供できる生食用食肉や干し肉製品の開発を進めています。また、本学では研究成果を教育活動に還元するために、管理栄養士養成課程の4年生が、卒業研究を通じて、地域の牛肉加工現場での課題解決に取り組んでいます。これにより、学生自身が津山の食文化を理解するとともに、将来的に学生それぞれの出身地域または地元津山市に還元できる人材育成を目指しています。学術研究と教育、そして地域との連携を三位一体で進めることが、持続可能な食文化の継承につながると考えています。
5. おわりに津山市の牛肉食文化は、単なる地域グルメにとどまらず、歴史的背景や住民の生活様式と密接に関わる貴重な文化遺産です。生食用食肉や干し肉に関する研究は、食の安全性確保と伝統文化の再評価を両立させる試みであり、学術的にも実践的にも意義深いものと考えています。今後も地域社会と協働しながら、牛肉の消費拡大、科学的知見に基づいた食文化の発展に寄与していきたいと考えています。
6. 謝辞なお、本研究は、令和6年度及び7年度産官学連携による研究開発サポート補助金(つやま産業支援センター、津山市)により実施しました。ここに深謝いたします。
参考文献
略歴
橋本 博之(はしもと ひろゆき)
1993年より千葉県技術吏員として血清研究所や衛生研究所で勤務し、生物学的製剤の製造・研究、食品・感染症・飲料水などの試験検査・研究に携わる。2015年に三重大学大学院で博士(学術)を取得。食品衛生学を専門とし、2023年から美作大学で教鞭をとる。現在、地域貢献や牛肉消費拡大に向けた研究に取り組んでいる。 サナテックメールマガジンへのご意見・ご感想を〈e-magazine@mac.or.jp〉までお寄せください。 |
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