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![]() 真菌の作用を活かしたドライ熟成肉の製造と肉質の評価
![]() 帯広畜産大学 グローバルアグロメディシン研究センター
(兼)生命・食料科学研究部門 准教授 三上 奈々 1. はじめにドライ熟成肉(Dry-aged beef:DAB)とは、牛などのブロック肉を包装せずに、温度・湿度を一定に保った低温庫内で保存する食肉製品である。通常牛や豚などの食肉は、と畜後の死後硬直を解除し軟らかさや風味を付与するために一定期間“熟成”を行う。多くの場合は枝肉や真空包装された状態(ウェット熟成)で行われるが、DABの場合はブロック肉が空気に晒されるため、肉の表面には乾燥した外皮(クラスト)が形成される。 クラストには真菌や細菌などの微生物が生育し、熟成庫内の環境によって様々な微生物菌叢が形成される。実際にDABを食べる際、クラストはトリミングして除去されるが、クラスト上の微生物はDABの香りや味わいに大きく影響すると考えられ、学術的な報告も増えてきている。本稿では国内外のDAB研究や、筆者らの研究で見出された真菌類のDABへの作用について説明する。
2. ドライ熟成肉のクラストに生育する真菌類これまでDABの情報が世の中に取り上げられる機会としては、外食産業や食肉加工業者が業界に向けたもの、メディア・マスコミが一般消費者に向けたものが多くを占めていた。一方で2018年頃を境にDABをテーマとする学術的な報告も増えてきている。その多くがDABの肉質評価に関するものであるが、クラスト上の真菌類についても報告されるようになってきた。これまでに、日本国内ではHanagasakiらがMucor flavusをDAB製造に利用していること[1]、韓国ではLeeらがDABよりPilaira anomalaを同定したことを報告している[2]。さらにヨーロッパでは、ポーランドで製造されたDABからMucor属、Helicostylum属、Thamnidium属の真菌類が同定されたことを報告している[3]。これらの菌はいずれも接合菌と呼ばれるグループに分類され、DABの製造に適した真菌であることが推察される。 時を同じくして、筆者らも北海道内の食肉加工卸会社である北一ミート(株)の熟成庫(図1(A))で製造されたDABのクラスト(図1(B))に毛足の長い菌糸の生育を確認し、これらが2種類の接合菌(Mucor flavus, Helicostylum pulchrum)であることを明らかにした(図2)[4]。クラスト上にはPenicillium series CamembertiorumやDebaryomyces hanseniiなどの真菌類も検出されたが、2種類の接合菌は熟成期間を通して真菌叢の大半を占める優占菌種であったことから[5]、ドライ熟成肉製造の主役となる微生物であることが示唆された。
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3. 真菌を用いたドライ熟成肉の製造と肉質評価DABへの菌の接種は従来、熟成庫内の気流に乗って浮遊する蔵付き菌が肉ブロックに付着するのを待つ方法で行われてきた。しかし、この方法は自然任せであり、目的の菌が生育するかが確実ではない、時間がかかる、といった欠点がある。一方で、近年は目的の菌を直接肉に接着させるためのシート[6]や、胞子の懸濁液をスプレーする[7]などの方法も報告されており、安定的かつ効率的に真菌類を接種できる可能性がある。しかし、このような積極的な菌の接種法と従来法の効果は比較されていない。 筆者らは、上述の熟成庫で熟成されたDABのクラスト片の菌叢を用い、ホルスタイン去勢牛のランプブロックの表面に擦過し、平均温度2.9℃、平均相対湿度90%の条件下で26日間ドライ熟成を行った。図3のように熟成開始後のDABの外観を擦過処理の有無で比較すると、擦過ありでは7日後に赤身の部分にフワフワとした白い菌糸が生え始め、13日後には全体が白く覆われた。20日後にはその密度が濃くなりブロック全体がびっしりと菌糸で覆われクラストが飽和していた[8]。それと比較し、擦過なしでは熟成期間を通して目視で菌の生育を確認することはできなかった。これらのことから、積極的な菌の接種はDABのクラスト菌叢の形成を著しく早めることがわかった。
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擦過処理の有無によるDABの肉質を比較すると、擦過処理は肉の水分含量を5%低下させた[8]。これは擦過処理によりクラスト上の真菌量が著しく増加し、真菌によって肉の水分が利用されたためであると考える。また、水分含量の低下によって肉も硬くなる傾向が見られたが、硬さの指標であるせん断値の上昇はわずかであり、一般消費者が軟らかいと感じる肉の硬さの範囲に留まっていた。 DABにおいて熟成香(ナッツ香)と呼ばれる香りは、肉質を評価する上で非常に重要な要素である。擦過あり・なしのDABにおける揮発性香気成分をGC-MSにて分析した結果を図4に示す(化合物名のにおいの表現は過去の論文から引用)[8]。
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検出された全21種類の香気成分のうちアルコール類とアルデヒド類の9種類において、擦過ありとなしのDABの間に差が認められた。一方、酸とケトンのグループでは擦過処理の影響は見られなかった。アルコールの中でも、1‐ヘキサノールは擦過なしよりもありのDABで16.4倍高い値だった[8]。1‐ヘキサノールは花、グリーン、ナッツ、ポップコーン様と表現される香りであった。また、アルデヒドの中でも3-メチルブタナールやベンズアルデヒドも擦過ありのDABで有意に増加した[8]。ナッツ様、ブラウンロースト様といった香りはDABの代表的な香りであることから、擦過によるこれらの化合物の増加はドライ熟成肉特有の香りを増強させる可能性が示唆された。これらの結果より、クラスト菌叢の擦過処理、ひいては真菌類の存在はDABの香りに大きな影響をもたらすことが推察された。本研究では熟成後のDABの香気成分分析のみに留まっている。今後はクラストに生育する接合菌の代謝系や肉成分との相互作用などを調べ、どのように香気成分が生成されるか追及していきたい。
4. おわりにDABはその独特な香りや味わいが注目され、レストランなどの外食産業において人気が高まっている。一方で、DABの統一された製造基準や製品規格は国内外で整備されておらず、その製造法は食肉加工業者や料理人の技術に委ねられている。結果として安全性への懸念や品質のばらつきが課題となり、安定的な供給が難しい状況にある。今後、接種菌のスターター化、熟成環境の検討、微生物・理化学的な指標の設定など、たくさんの学術的なデータを積み重ねることによって課題を解決し、安全で美味しいDABの提案をしていきたいと考える。 参考文献
略歴
三上 奈々 帯広畜産大学 グローバルアグロメディシン研究センター (兼)生命・食料科学研究部門 准教授
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