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A P C Iイオン源と昇温加熱デバイスを組み合わせた食品分析
エスビー食品株式会社 開発生産グループ 中央研究所
スペシャリスト 佐川 岳人

質量分析の食品分野における利用は一般的なものであり、その利用範囲は多岐に渡っている。その中でも、Liquid chromatography mass spectrometry(LC-MS)やGas chromatography mass spectrometry(GC-MS)のように、chromatography と質量分析計を組み合わせた手法が多い。しかしながら近年では、Direct mass spectrometry(ダイレクトMS)と称された、カラム分離の工程を経ずに、Atmospheric Pressure Chemical Ionization (APCI)様のイオン源を組み合わせた質量分析計に、試料を直接導入する手法を活用する分析手法も認識されるようになってきた。

この手法は、システムの特徴からも定性・定量性についてchromatographyによる分離を伴う質量分析に比較すると劣っている。しかしながら、複雑な前処理を行わずに、手軽に質量情報を得ることができることから、分析試料の概要を迅速に把握できるという利点が注目されている。ここに、緩やかな分離工程となる昇温加熱デバイスを組み合わせることで、定性能力を向上させることも可能となる。そこで本稿では、2つの事例を通じて、この分析手法の特徴を紹介する。

【ダイレクトMS分析で得られる情報】

この手法において得られる情報は、当然ながら検出されたイオンの質量情報である。そこに、精密質量を取得できる質量分析計を組み合わせることで、検出イオンの起源物質を推定することも可能となる。しかしながら、構造異性体を持つ物質も多く存在するため、適用できるケースは限られてしまうのが現状である。そのような際に、有効となるのが、昇温加熱デバイスを組み合わせて行う分析となる(Fig.1)。次に示すのは、試料に市販の食用油脂(ひまわり油、オリーブ油、大豆なたね混合油、ごま油)を使用し、油脂の識別が可能かどうかの分析を実施した結果である。それぞれは、検出された全イオン一つのマススペクトルとして表示した場合(Fig.2-a)と昇温加熱による緩やかな分離過程を加味したヒートマップとして再描画(Fig.2-b)したものである。ちなみに、この分析の際には、特別な前処理は行わずに食用油脂そのものを試料として使用した。

食用油脂はその種類によって脂肪酸組成が異なることは広く知られているため、それぞれのマススペクトルのイオン強度のパターンからも読みとることができる。また、精密質量からトリグリセリドの組成を推測することも可能である。

一方、昇温加熱デバイスを組み込んだ分析の場合には、Fig.2-bに示されるような時系列情報が含まれている。そこで、検出されたm/zと検出強度の情報に時間情報を組み合わせたヒートマップとして示すと、それぞれの油脂の違いが視覚的に理解できる。これについて、「表現方法の違いだけで本質は変わらない」との意見もあるかもしれない。しかしながら、データの可視化ということが注目される時代では、表現方法の工夫も大切な要素の一つであり、これを可能とする昇温加熱デバイスを組み合わせた質量分析の強みであると考える。なお、この分析で使用したシステム(Fig.3)は次のとおりである。

【ダイレクトMSを用いたイオンの定性】

次に、この分析において検出されたイオンから物質がどの程度定性できるかについて触れていきたい。ここでは、試料に胡椒を使用し、そこに含有するピペリンを定性する過程を紹介する。ちなみに、ピペリンは辛味成分であり、胡椒中に多く含まれている主成分の一つとなる。ここでも試料には特別な前処理を施さず、胡椒の粒子そのものを用いた。その際のTotal ion current chromatogram(Fig.4-a)と、ヒートマップ(Fig.4-b)を示す。どちらにおいても、ピペリンの分子イオンと推定できるm/z 286が検出されることがわかる。

ピペリンは、胡椒にパーセントオーダーで含有する主要成分のため、このイオンがピペリンであるとの推測は容易となる。しかしながら、質量分析計が四重極型の装置で分析した場合には、精密質量情報が得られないため、もう少し確実な根拠が必要となってくる。

そこで、ピペリンの標準物質を同様の手法で分析した際の検出時間の比較を行うのだが、この際のイオン検出時間は、分離カラムを組み合わせた質量分析の際に得られるリテンションタイムほど厳密なものではない。ここで有用な手段として、トリプル四重極型を用いた、プロダクトイオンスキャン分析による検出イオンの確認方法がある。具体的には、対象とするm/z 286に対して、コリジョンエネルギー条件をいくつか設定し、それぞれの設定で標準物質と同じスペクトル情報が取得できるか否かで、検出イオンの定性を行うという手法となる。原則として同じ構造であれば、対応するそれぞれのマススペクトルは同じ挙動を示すため、m/z 286はピペリン由来の分子イオンである可能性が高いという根拠が一つ増えることになる。今回は、10eVから40eVまで10eVずつ変更した4段階の設定で、それぞれのプロダクトイオンスキャン分析の結果を比較した(Fig.5)。実際に、それぞれのプロダクトイオンスキャン分析のマススペクトルを比較すると、同じ挙動を示していることが読み取れる。

このような定性手法は食品における異物分析において、異物の起源を推定する際に有効である。つまり、食品に混入していた異物が、予想される対象物と同一か否かの確認ができれば、判断基準の一つに加えることができるからである。さらに、FT-IRなど他の分析結果と組み合わせることで、より確かな異物の起源推定を可能とする(Fig. 6)。

 

A P C I様のイオン源と昇温加熱デバイスを組み合わせた分析方法は、複雑な前処理を必要とせず、迅速に質量情報を得られるという大きな利点が存在する。当然ながら、分離カラムを組み合わせた質量分析と比較すると、定性・定量力において及ばないものかもしれない。しかしながら、分析を実施する際の目的によっては、とても有効な手段となると考える。

何かの機会に、このような分析技術にも目を向けていただけると幸いである。

参考文献
  • R. B. Cody, J. A. Laramée, H. D. Durst. Versatile new ion source for the analysis of materials in open air under ambient conditions. Anal. Chem. 77: 2297–2302, 2005.
  • T. Iwama, M. Hirose, I. Yazawa, H. Okada, K. Hiraoka. Development of Sniffing Atmospheric Pressure Penning Ionization. J. Mass Spectrom. Soc. Jpn., 56(6), 227-233, 2006
  • R. B. Cody, T. N.J. Fouquet, C. Takei. Thermal desorption and pyrolysis direct analysis in real time mass spectrometry for qualitative characterization of polymers and polymer additives. Rapid Commun. Mass Spectrom., 2020, DOI:10.1002/rcm.8687
略歴

 

佐川 岳人

1988年東京農工大学農学部卒業

1988年エスビー食品株式会社入社

2013年金沢大学自然科学研究科後期博士課程修了(薬学博士)

現 エスビー食品株式会社開発生産グループ中央研究所 スペシャリスト

 

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