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三重県志摩半島の沿岸で起こっている環境変動と海洋生物への影響
三重大学大学院生物資源学研究科 水産実験所
教授 松田 浩一

三重県には全国の都道府県で第7位となる1,100 kmを超える長い海岸線があります。この長い海岸線の沿岸では、地形や環境に応じた様々な漁業が営まれています。

写真1 志摩市大王崎灯台と岩礁性の海岸
ここでは海女漁業等様々な漁業が営まれています

三重大学の水産実験所がある志摩半島は、リアス海岸と呼ばれる入り組んだ複雑な海岸線が発達し、外洋に面した荒々しい岩場(写真1)や内湾の静穏域など様々な環境で多種多様な水産生物が生息しています。この地域では、様々な水産生物を漁獲する沿岸漁業とともに豊かな魚食文化が育まれてきました。ご当地の名前を冠するイセエビは日本一の漁獲量を誇り、アワビやサザエ、ヒジキ等の海藻を漁獲する海女漁業は、その伝統的な漁業技術が国の重要無形文化財に指定されています。
 このようにこの地域の経済的、文化的に重要な沿岸漁業ですが、今、大きな危機に見舞われています。多くの水産生物が急激に減少し、操業してもコストに見合う水揚げができない状況に直面しています。

図1 志摩市におけるサザエとアワビの漁獲量の推移

図1に三重県志摩市におけるサザエとアワビの漁獲量の推移を示しました。いずれの魚種も、令和元年までは比較的安定した漁獲がありましたが、令和2年から急激に減少しています。これらの魚種だけでなく、ナマコやトコブシ等も漁獲量が大きく減少しています。

志摩半島における藻場の衰退

このように志摩半島において水産生物が大きく減少している要因になっているのが藻場(海藻が多く茂り、群落を形成している場所)の衰退です。沿岸域に広がる藻場は、水産生物にとっては身を守る住み場所として、海藻を食べるアワビやサザエ等には直接の餌として、また藻場に生息する貝類や甲殻類を餌とする生物にとっては索餌場として重要です。この藻場が、志摩半島の中部から南部では急速に失われつつあります(写真2)。

写真2 志摩半島沿岸で藻場が消失した場所(左)と現存する場所(右)

 

志摩半島の中部から南部では以前から藻場が少なくなっていると潜水漁や刺網漁を行っている漁業者から聞いていましたが、これらの海域で急激に藻場が衰退しだしたのは令和になってからのことです。

写真3 コンブ科の海藻「サガラメ」

次第に進行する藻場の衰退は、ほぼ全国的に確認されていました。藻場の衰退の要因として、水温上昇や栄養塩(海中にある窒素やリン等海藻の生育に欠かせない物質)濃度の低下、泥の堆積等が考えられていますが、基本的には地球環境の温暖化に伴う気温の上昇によってもたらされる水温上昇の影響が大きくなっています。志摩半島でも長期的な藻場の衰退傾向は地球環境の温暖化の影響によると考えられます。志摩半島にある藻場を構成する海藻の種類は、コンブ科のサガラメ(写真3)やカジメ、アカモクやヒジキ等のホンダワラ類、テングサ等様々ですが、多くの海藻が春~初夏にのみ繁茂するのに対してコンブ科の海藻は年間を通じで繁茂し、アワビ等の餌となる重要な海藻です。コンブ科の海藻は冷たい環境を好み、高水温になると生産力が低下し、群落は小さくなります。

黒潮の流れと藻場の関係

しかしながら、令和に入って急激に藻場が衰退しだした要因は温暖化とは別にあり、それは紀伊半島の沖合を流れる黒潮の大蛇行の影響です。黒潮は、陸上の川のように常に一定の場所を流れているということではなく、小規模でしたら常に流路を変化させて流れています。

図2 人工衛星NOAAによる熊野灘の海面水温画像(三重県水産研究所HPから)
(a:令和5年3月10日、b:平成26年12月9日、は熊野灘)

 

そして時折大規模な変化が起こります。図2(a)に現在の黒潮の流路を示しました。黒潮は熱帯海域から流れてくる暖流ですので水温が高いことが特徴です。濃い茶色で示されている部分が黒潮の流れですが、紀伊半島沖で大きく蛇行していることがわかります。これに対して、図2(b)は平成26年12月9日の画像で、黒潮は蛇行することなく紀伊半島沖で直進しています。

図3 志摩市沿岸(水深5 m)における 
冬期(12月~2月)水温の推移  
(三重県水産研究所の測定データ)

これら2つの画像を見比べると、(b) では紀伊半島の東岸の熊野灘は黒潮の影響受けておらず、水温は低く抑えられているのに対し、(a)では黒潮からの海水が熊野灘全体に波及し、水温が上昇していことが分かります。このように、黒潮が大蛇行すると熊野灘沿岸は高水温となり、直進すると低水温となります。今起こっている黒潮の大蛇行は平成29年8月から始まり、現在まで5年8か月継続しており、正式な記録が残る中では最長となっています。このため、熊野灘に面する志摩半島沿岸でも高水温が長期間続き、藻場への影響が大きく出ています。黒潮が大蛇行したり直進したりするメカニズムは、今のところ良く分かっていません。

図3に志摩市沿岸における冬期水温の推移を示します。大蛇行発生当初は冬期水温(12月~2月)にほとんど影響がありませんでしたが、大蛇行が長期化するにつれて水温が上昇し、現在では18℃以上になっています。このため、急速に藻場が衰退してしまっています。

志摩半島において藻場が残っている場所と消失した場所の様子を写真2で示しましたが、藻場が残っているのは志摩半島の北東部の伊勢湾に近い場所であり、ここは黒潮の影響が弱く、また伊勢湾からの低水温の海水の影響を受けている場所で中南部より水温が低く、その分藻場が残っています。

海藻を食べる魚の影響

藻場が衰退する要因として、高水温による海藻自体の生産力の低下がありますが、それに加えて魚による食害も大きな要因となっています。熊野灘に生息する魚は多種多様であり、それぞれの生息環境で小さな魚や甲殻類、貝類等を餌として生活しています。海藻類を食べる魚(植食性魚類)もおり、その代表的なものがブダイとアイゴです。植食性魚類は温暖な海域に多く、これまで熊野灘では主に夏期を中心に分布していましたが、冬期水温の上昇によって年間を通じて分布し、その生息数も多くなりました。そしてこれらの植食性魚類による食害が進み、藻場が一気に衰退しました。

写真4 海藻を餌とするブダイ(左)とアイゴ(右)

写真5はブダイがサガラメを食べているところを撮影したものです。ブダイは鋭い歯をもち、堅い海藻もかみ切って食べてしまいます。

写真5 サガラメを食べるブダイ
(三重県水研究所撮影)

ブダイやアイゴは美味しい魚として評価されておらず(鮮度が良くて適切に処理されたものは美味しいとされていますが)、漁獲されても食材としての利用は進んでいません。ですからこれら植食性魚類を積極的に漁獲する漁業者はおらず、またアイゴの鰭にある棘には毒があり、漁業の邪魔をする厄介者として扱われています。

藻場を守るために

ここまで、志摩半島の藻場衰退の状況と、地球環境の温暖化と黒潮の大蛇行による高水温化が引き起こす海藻自体の生産力の低下と海藻を餌とする魚の増加が藻場衰退の要因になっていることを説明してきました。

写真6 長崎県五島市で設置されている
魚の侵入を防ぐ囲い網

このように志摩半島沿岸の高水温化は地球規模の環境の変化によるものであり、私たちの取組みによって簡単に対応できるものではありません。また、植食性魚類への対策も、魚は広い海を自由に泳ぎ回ることから困難となっています。志摩半島より以前から藻場の衰退が報告されている九州沿岸では、沿岸部を網で囲い魚が入ってこられないようにしている地域があります(写真6)。志摩半島でも一部の海域を囲い網で仕切り、魚による食害を防ごうとする試験的な取り組みも計画されています。しかしながら、台風等による高波もあり囲い網を長期間にわたって維持することは労力的にもコスト的にも大きな負担となります。できるだけ労力やコストをかけずに、魚による食害を防ぐ方法の開発が必要となっています。

気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、一昨年8月に第6次評価報告書(第1作業部会報告書)を発表しました。それによると、温暖化を抑制するためにそれぞれの国が定めたCO2排出量の制限目標が実現した場合でも、工業化前(1850年~1900年)と比較して昇温は進み、今世紀末までに地球の平均気温は約2.7℃上昇すると予測しています。志摩半島の沿岸水温に大きな影響を及ぼす黒潮が今後どのような流路をとるのかを予測することはできていませんので、今後の志摩半島沿岸の水温を予測することは困難ですが、大気中に蓄積したCO2は数十年にわたって分解されずに留まる「長寿命」の温室効果ガスとされており、今後も気温の上昇が進むことは避けられません。したがって志摩半島沿岸の水温も高止まりすることも覚悟しないといけません。このため、藻場を守る取組も重要であり、できるだけの努力を続けていくことが求められますが、高水温化という新しい環境に適応していくことも必要となります。高温化に適応していくためには、黒潮の大蛇行が始まってから増えているブダイやアイゴ等の植食性魚類の利用を拡大し、これらを漁獲することで漁業者が利益を得ることができるようにするための取組みが重要になります。高水温化で新たに漁獲量が増えている魚はブダイやアイゴの他にもいます。例えば、白身で美味しい魚であるアカハタやオオモンハタ等のハタ類の漁獲量は近年目立って増えています(写真7)。

写真7 近年漁獲量が増えているアカハタ(左)とオオモンハタ(右)

 

また、高級な魚として知られ、これまで夏期にしか漁獲されなかったメイチダイも年間を通じて漁獲されるようになっています。

写真8 体に丸い斑紋があるワモンダコ

これら以外にも、ワモンダコ(写真8)、ホウライヒメジも漁獲量が増えています。いずれも三重県沿岸よりも温暖な海域で多いとされていた魚介類です。このような新顔の魚介類たちに対する理解を進め、利用していくこともこの地域の漁業を守っていくために重要な支援になりますので、このメルマガを読まれている皆さんも、これら新顔の魚を魚屋で見かけた時には一度手に取って食べていただければと思います。

参考文献

中坊徹次(1993)日本産魚類検索 全種の同定(第3版).東海大学出版会、東京、1183pp.

略歴

 

松田 浩一

1963年大阪府生まれ。博士(農学)。専門は水産生物学,水産増殖学。1986年京都大学農学部水産学科卒業。同年三重県水産技術センター研究員。2017年三重県水産研究所総括研究員。2020年三重大学大学院生物資源学研究科,現在に至る。岩礁域に生息するイセエビやアワビ,ナマコ等の重要水産生物の生態や飼育,漁獲動向等の研究に従事。近年は,黒潮の大蛇行による沿岸水温の高温化が水産生物に及ぼす影響の調査に力を入れている。

 

 

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