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![]() ナノがみえれば食品の未来が変る
-放射光分析の食品学と水産学分野における可能性- ![]() 東北大学大学院農学研究科・農学部
附属放射光生命農学センター・A-Sync(兼任) 准教授 中野 俊樹 1.はじめに-放射光とは-世界で初めて円形粒子加速器の一種であるシンクロトロン加速器から放射される光が観測されて以来、加速器から発せられる電磁放射はシンクロトロン放射光(synchrotron radiation; SR)と称され、一般的には「放射光」と呼ばれている。放射光の発生装置は、電子銃から発生した電子を光速付近まで直線的に加速する線型加速器ライナックと、その電子ビームを円形軌道に貯めておくためのドーナツリング型加速器、すなわち蓄積リングで構成される。電磁放射とは、荷電粒子が加速度運動することにより電磁波が発生する現象である。放射光は、蓄積リングの中を光速に近い速度で動く荷電粒子(電子)が、磁場で曲げられた時に発生する高輝度で波長の短い光(電磁波)で、その明るさ(輝度)は太陽光や従来のX線発生装置から得られる光の明るさの10億倍もあり、ナノスケールで物質を観ることができる巨大な顕微鏡といえる。放射光発生の原理を少し詳しく説明すると、超高真空の装置内で電子を加速し、その進路に対し偏向電磁石により垂直に磁場をかけるとフレミングの左手の法則により電子には進行方向と垂直方向に力(ローレンツ力)が働き、電子の軌道が曲がる。この時、電子が進行する接線方向に加速度運動によって電子から放射光が発生するのである(図1)1, 2)。
![]() 図1 放射光発生の原理 蓄積リングの中を光速に近い速度で動く電子は、磁場で曲げられると進行の接線方向に放射光を発生する。
電子を蓄積リング内で周回させるために重要な偏向電磁石には、より多様な放射光を発生させるためにリング内の特定の直線部分に電磁石群である挿入光源(アンジュレータまたはウイグラーと呼ばれる)が付加されている。発生した放射光は、ビームを取り出しユーザーの用途に合うよう加工して実験ステーションに提供するためのビームラインへ導かれ、最終的にエンド実験ステーションで放射光の実験に利用される2)。なお、放射と聞くと放射能と混同され易いが、放射光は放射線を発しているわけではないので、照射された物質が放射能を帯びることはなく放射能汚染の危険性はない。 ここ数十年の放射光による分析技術の発展はめざましく、材料科学、化学、物理学、環境科学、ナノ科学、構造生物学、科学的犯罪捜査等の分野で応用されている3, 4)。放射光分析と聞くと馴染みのない雲の上の存在のように感じるが、後述のごとく放射光により得られた成果は普段の生活にもたくさん活かされている。放射光施設は世界に50以上あるが、その多くはいわゆる第三世代光源で、主に物質のサイズや形そして構造を観察するのに適した硬X線領域(光波長:10-12~10-11 m)の施設である1, 5)。1990年代に我が国やヨーロッパ(ESRF、フランス・グルノーブル)、アメリカ(APS、イリノイ州・アルゴンヌ)等で建設された第三世代の大型放射光施設の中で、当時は世界最高峰といわれた理化学研究所大型放射光施設SPring-8(Super Photon ring-8 GeV、兵庫県・播磨科学公園都市)であるが、運用開始から20年以上を経て日本のものづくりを支える炭素(C)、リチウム(Li)、鉄(Fe)、コバルト(Co)等の重要な元素の振る舞いをナノレベルで観察するには物足りなくなった。現在の日本の施設は光の性能(明るさ)で海外に後れを取り、我が国でもより高輝度で物質内の化学結合や電子の状態等の材料の機能解析に適した軟X線領域(光波長:10-9 m付近)を扱う次世代型の放射光施設が必要とされている。 食品学や水産学分野における放射光の利用に関する知見は限られているが、今後この技術を応用することで、従来は放射光とは縁遠いと思われた多くの分野で新たな情報を提供してくれるに違いない。本稿では放射光の分析技術を概説し、主に食品学と水産学分野における放射光を利用した研究事例を挙げ、東北大学キャンパスに建設中の最先端の次世代放射光施設について紹介する。 2.放射光による分析手法放射光は、赤外線(IR)、可視光線、紫外線(UV)およびX線まで広い波長領域をカバーする強力な光源で、従来の光源と比べ高い輝度 、高い指向性、非熱放射源、パルス発光(1ナノ秒以下のパルス持続時間)等の特徴を有しており、物質やその機能をナノレベルで観察することができる3-10)。放射光の光源は、エネルギーの強さにより低エネルギー、中エネルギーおよび高エネルギーの3つに分けられる。そして図2に示すように、放射光は物質と吸収、散乱および放出のいずれかのプロセスで相互作用する。相互作用を調べれば、被験物質の物性を理解することできる。
![]() 図2 放射光と物質の相互作用 放射光は「吸収」、「散乱」および「放出」のいずれかのプロセスで物質と相互作用する。
そのプロセスの検出法は、(1)吸収(X線吸収微細構造 (XAFS)、フーリエ変換赤外分光法(FTIR)、軟/硬X線顕微鏡(走査型透過X線顕微鏡、STXM)、X線コンピュータ断層撮影法 (XRCT))、(2)散乱(X線回折(XRD)、タンパク質X線結晶回折(PX)、X線小角散乱(SAXS))、(3)二次粒子放出の検出(X線光電子分光法(XPS)やX線蛍光分光法(XRFS))の三つにまとめられる。さらにXAFSは、X線吸収端近傍構造(XANES)および広域X線吸収微細構造(EXAFS)に分けられる2-5, 11-13)。これらの中でXAFS、XRCT、SAXSおよびXRFSは、生体物質や食品等のソフトマテリアルを対象とした放射光の測定で用いられることが多い5)。 3.食品学分野への応用食品分野では、高品質な製品を生産するために食品中のタンパク質、脂質、水分等の構造や分布を評価する非破壊な観察方法の開発が求められている。一般的に食品の内部構造を観察するためには、破壊的な試料(標本)調製を必要とするか、非破壊的観察の場合でも磁気共鳴画像法 (MRI)等が必要である。その点、放射光による測定は、非破壊的かつ短時間なので食品に向いている。数は少ないが、表1に示すように食品の品質測定に放射光が利用されている。
表1食品学分野における放射光の利用 ![]()
放射光X線CTイメージングは、食品の微細構造を高解像度かつ短時間で非破壊的に3 D画像化することが可能で、畜肉の筋肉、骨、脂肪等の分布が観察されている14)。SAXSは、X線の散乱ベクトルを解析し、観察対象物の大きさや形状分布等の構造情報を得ることができる。食品学分野では、乳製品やカゼインのナノレベルの構造解析にSAXSや超小角散乱(USAXS)が用いられている15, 16)。チーズの凝集過程で主要な役割を果たすカゼインミセルの構造の観察は、透過型電子顕微鏡(TEM)が用いられるが、観察試料の調製時に乾燥するため対象物が本来の状態とは異なることが予想される。一方、SAXSは常温常圧で測定できるので、観察対象を壊すことなく本来の状態で観察でき、ナノレベルの構造情報が得られる。なお、X線CTとSAXSは放射光に特有なものではなく、ラボ機を用いれば実験室でも測定可能である。しかし、測定に要する時間と解像度が放射光とは大きく異なる。例えば、ラボ機によるX線CTでは12時間以上かかる場合でも、放射光であれば数分ですむ。SAXSの場合も同様で、ラボ機で約30分かかる測定がたったの1分で完了できる。まさに放射光は分析化学分野の剛速球、革命児なのである。以下に食品学分野における放射光利用分析の例を紹介する。 3-1. 調理に伴うエダマメの変化国内だけでなく海外でも人気のエダマメ(Glycine max cv.)は身近な野菜で、調理法により食感等の品質が異なることが経験的に知られている。これは調理による内部構造の変化によると思われるが、その情報を非破壊的に得ることはできず不明であった。さらに野菜の場合、通常のX線CT観察ではコントラストが付き難く、構成成分のイメージングが難しかった。そこで、SPring-8のビームラインBL20B2におけるX線位相差CTを用い、調理にともなうエダマメ内部構造の変化がイメージング観察されている17)。図3に生のエダマメの内部構造を観察した際の断面のイメージング像を示す。
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図3 エダマメ内部構造の放射光X線CTイメージング (A)通常のX線CT像、(B)X線位相差CT像、(C)X線位相差CT観察を基にした3D画像。位相差によりコントラストが付くことで、維管束などの通導組織が明瞭に確認できる(資料提供:東北大学 日髙將文博士)。
(A)に示すようにX線CTによるイメージングでは、エダマメに含まれる成分間のX線吸収量の差が小さいため内部構造の詳細は分からない。一方、X線位相差CTでは、可食部である子葉やそれらの間の溝等の内部形態が観察できた(B)。さらに(C)のように立体再構築3Dイメージングでは、維管束などの通導組織が確認されている。このエダマメを茹でると、時間経過とともに外部の水分は主に中心部から通導組織を通じ小さな亀裂を生じながら徐々に子葉内部に広がり、軟化していく様子が分かった(図4)。
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図4 調理中のエダマメの内部構造の変化 エダマメ (Glycine max cv.)を茹でると、水分は中心部から通導組織を通じて小さな亀裂を生じながら徐々に子葉内部に広がっていく「図中の数字は茹で時間およびスケールバーは1 mmをそれぞれ示す」(資料提供:東北大学 日髙將文博士)。
3-2.冷凍水産物の品質の見える化食品の保存方法には、冷蔵保存、0°C以下で凍結させないスーパーチリング (氷温)保存、氷点下に近い部分凍結温度範囲でのパーシャルフリージング(部分凍結)保存、-18°C以下の凍結保存がある。食品を冷凍する場合、-5°Cから-1°Cに存在する最大氷結晶形成帯を速やかに通過させる必要がある。そして氷結晶のサイズが大きいと細胞や組織がダメージを受け、品質が低下すると考えられている10, 18, 19)。従って、食品を冷凍する場合は最大氷結晶形成帯の通過速度と氷結晶形成の制御が重要で、氷結晶の形成、成長、サイズ、位置等が周辺組織に及ぼす影響を評価する必要がある。組織中の氷結晶の観察方法はいくつかあるが、その方法のほとんどは破壊的で組織の固定や切断を含む標本の作製を必要とし、局所的かつ2 Dの観察しかできないという欠点がある10)。ラボ機によるX線CT測定では冷凍試料を扱うことができず、測定時間を要するうえ解像度が低い。それらの問題点を解決するためにSPring-8のビームラインBL14B2で、冷凍と生の魚類普通筋の放射光X線CTが測定され、冷凍試料でのみX線の高吸収域と低吸収域が認められコントラストが付き、内部をイメージングすることができている20)。また最近、同じビームラインで、冷凍クロマグロ(Thunnus orientalis)大トロの放射光X線CTによる3 Dイメージングが報告されている。これによると、冷凍大トロの成分は、X線吸収係数の違いによりタンパク質、脂質および氷に分別することができた。分別したそれぞれの成分を疑似カラーで着色し、3 D再構築した画像を図5に示す。
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図5 冷凍クロマグロ大トロの放射光X線CTイメージング 冷凍されたクロマグロ(Thunnus orientalis )大トロでは、濃縮されたタンパク質 (赤色領域)が氷の結晶 (ピンク色領域)と脂肪(薄いピンク色領域)のマトリックス中に浮かんでいる(疑似カラーにより成分別に着色したCT像)。
それによると冷凍大トロでは、濃縮されたタンパク質(赤色領域)が氷の結晶(ピンク色領域)と脂肪(薄いピンク色領域)のマトリックス中に浮かんでいる様子が明らかとなった5)。そして、凍結保存中のこれら成分の偏った存在状態が、解凍後の品質、すなわちドリップ量や復元状態等に影響を与えるものと推察される。 4.水産学分野への応用魚類の耳は中耳と外耳がなく内耳のみで、そこには石灰化しゼラチン質膜に包まれた耳石(otolith; fish ear bone)という小さな硬組織が左右一対ある。耳石は胚発生初期に核(耳石核)が現れ、その表面にカルシウム(Ca)を中心とした元素が供給されて同心円状に沈着、成長していく。耳石は聴覚や平衡感覚の維持を担い、その形状は発育初期では円盤状であるが、その後は、耳石の成長の速度と方向により魚種に固有の扁平な形に変わる10, 21, 22)。図6に示すワカサギ(Hypomesus nipponensis)の耳石のように、光学顕微鏡で耳石を観察すると同心円状の年輪のような微細輪紋が認められる。
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図6 魚類のフライトレコーダー耳石 ワカサギ (Hypomesus nipponensis) の耳石を光学顕微鏡で観察すると年輪のような輪紋が認められる。その輪紋には幅が広い不透明帯と狭い透明帯があり、年齢が分かる(資料提供:東北大学 片山知史博士)。
この輪紋は、一日に一本形成されるので日周輪と呼ばれる。さらに耳石輪紋には幅が広い不透明帯と狭い透明帯があり、それぞれが夏と冬に形成されるので、この一対がちょうど一年を示す。従って、これらを年輪として魚の年齢が分かる。耳石成分の約95%は炭酸Ca(CaCO3)でアラゴナイト結晶である。さらに耳石にはCa以外に約0.7%の微量元素が含まれている。それは、ナトリウム(Na)、カリウム(K)、ストロンチウム(Sr)、亜鉛(Zn)、リン(P)、マンガン(Mn)、マグネシウム(Mg)、ケイ素(Si)、鉄 (Fe)など30種以上の元素で、含量は元素種によって異なり、100 ppm未満から数千ppmまで様々である10, 21, 22)。耳石の代謝は骨や鱗など他の硬組織に比べて遅く、一度沈着した元素は生涯変わらない。従って、耳石からはその個体に固有の情報が得られる、すなわち、耳石は成長履歴が記録された魚類のフライトレコーダーとみなせ、生態学研究の重要なツールとなっている。 耳石に取り込まれる微量元素のうちSrはアルカリ土類金属で他元素に比べて取り込まれ易く、濃度が高い。さらに、水域によりSr濃度は異なるため、棲息水域のその濃度を反映する。従って、Srを利用すれば、魚類の棲息履歴を推定することができる。従来、耳石中の微量元素を解析するためには、耳石を丸ごともしくは一部を精密ドリルで採取して試料を調製し、それを誘導結合プラズマ質量分析法(ICP-MS)などにより測定していた。しかし、幅の小さい耳石輪紋に対応した元素に関する情報を得ることは困難である。その後、レーザー光で試料を気化してICP-MSに直接導入するレーザーアブレーション(LA)-ICP-MSが開発され、試料表面の任意の部位の元素分析が可能となった10, 22)。しかし、いずれの方法も破壊的分析法であること、耳石の一部分しか分析できないこと、検出感度が低いことなどの欠点があった。一方、放射光マイクロビーム蛍光X線分析法(SR-XRF)は、ビームを数μmに絞り試料に照射するので、微細な輪紋に対応したピンポイントの元素分析が可能である。さらに本法は前処理を必要としない非破壊的分析法で、耳石表面の多元素を高感度に一斉分析し、元素の化学状態や局所構造の解析ができる。従って、魚類の成長や環境に関し、従来の分析法に比べて正確な情報を迅速に得られるものと期待される5, 10)。 5.まだまだある放射光の活躍例-低燃費タイヤから犯罪捜査まで-放射光による分析技術は、例えば、電気自動車やスマホに欠かせない長寿命で高出力の新型リチウムイオン電池の開発、お酒の品質や熟成具合の解明、新素材や新薬の開発、難治疾患の原因解明等の分野で広く利用されている。その多くは軟X線領域の放射光の得意分野であり、今後の活躍がさらに期待される。ここでは、商品化や実用化に結び付いた放射光分析の応用例を紹介する。 5-1.低燃費タイヤ某人気タレントF.M.が起用されたテレビCMで身近になった低燃費タイヤ(エコタイヤ)であるが、その開発に放射光が関わっていることはあまり知られていない。 環境や資源エネルギーに対する意識の高まりにつれ、自動車の燃費向上がさらに求められるようになっている。中でも、自動車の燃費性能におけるタイヤの抵抗の影響は20%もあるので、自動車外観やエンジンの設計もさることながらタイヤ性能の向上、すなわち低燃費タイヤの設計が重要である。しかし、タイヤの基本性能と燃費性能は相反する事象であるため、低燃費を実現することは簡単ではない。その実現のためには、タイヤのゴム材料の内部の構造を理解する必要がある。タイヤは種々のゴム材料からなる複合製品である。特に、補強材フィラーのカーボンブラックやシリカなどのナノ粒子の存在状態、すなわち、ゴムの中のフィラーの階層構造による凝集状態がタイヤの転がり抵抗と関係することが知られている。そこで、放射光SAXS/USAXS分析によりシリカの階層構造を解析し、その構造の形成をコントロールしたゴムを製造した結果タイヤの燃費の向上に成功し、低燃費タイヤとして製品化に結び付いている23)。なお、本技術により達成された6%の燃費向上は、年間約7,000億円の燃費節約と約10%のCO2削減に相当するといわれている。 5-2.機能性シャンプー&リンス毛髪は色や形が様々であるが、縮れ毛やうねりを持つクセ毛など毛髪の性状を決める要因について放射光による分析がなされている。毛髪は表面がキューティクルというウロコ状組織で覆われ、内側には髪質を左右する主要構成成分コルテックスの組織があり、さらに中心部には中間形径フィラメントが存在している。それら毛髪の構成成分と髪質との関係を知るため、毛髪の直径(50~100 µm)より小さい約5 µmのビーム径による放射光マイクロビームX線小角散乱の測定がされている。その散乱像から毛髪内部の中間形径フィラメントの並び方が分かり、毛髪の内部と外側の構造状態の違いがクセ毛(うねり)を生むものと考察された。これらの結果は、クセ毛を改善し髪質を整える機能性シャンプーやリンスの開発に応用されている24)。さらに、放射光X線マイクロCT(µCT)イメージング等の手法により、脱色やパーマでダメージを受けた毛髪の微細構造が観察されており、今後ヘアケアに活かされることだろう。 5-3.科学的犯罪捜査1998年和歌山で発生し、多くの被害者を出した毒入りカレー事件があった。本件で、犯人によりカレーに混入されたとされるヒ素と容疑者宅で押収された証拠品中のヒ素を分析し、その二つが同一であるという科学的な鑑定結果を出して事件の解決に一役買ったのが、SPring-8の放射光蛍光X線法による先端の微量元素分析であった。その後、SPring-8を管理する高輝度光科学研究センター(JASRI)内に「ナノ法科学部門(Nano forensic science group)」が設置され、米国のTVドラマ「CSI:科学捜査班」のような科学的犯罪捜査をバックアップしている。例えば、しばしば発生する重金属タリウムの混入による中毒事件、輸入食材や食品で検出される有機リン酸系農薬メタミドホス、覚せい剤やドラッグなど違法薬物の鑑定に赤外放射光などが用いられており、これからも社会の安全・安心へのさらなる貢献が期待される25)。 6.おわりに-次世代放射光施設ナノテラス-放射光は、従来のX線発生装置や顕微鏡に比べて非常に明るいため、軟質材料に優しく、波長(エネルギー)が可変で、レーザーと同様に指向性が高い。放射光X線のコントラスト分解能は、X線吸収の密度分解能の1,000倍以上であることが知られている。放射光を使えば、50~100ピコ秒のパルス持続時間で、ナノ秒オーダーの測定ができる5)。そのため放射光ベースのイメージングは、医学および生物学分野の多くの研究者を魅了する技術なのである。 現在、仙台市内の東北大学青葉山新キャンパスに次世代放射光施設「ナノテラス(NanoTerasu)」が建設中で、2023年末にファーストビーム、翌2024年度から本格運用が予定されている (図7)5, 9)。
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図7 杜の都の次世代放射光施設ナノテラスNanoTerasu 東北大学青葉山新キャンパスに建設中のナノテラスは、軟X線領域をカバーし第三世代光源の100倍以上の明るさだが、消費電力はSPring-8の1/10、ビーム電子エネルギーは3 GeVという省エネ設計で、蓄積リングの外周長は約350 mとコンパクトである(SPring-8は約1,500 m)。青葉山の紅葉にドーナツ型の施設が映える(資料提供:(一財)光科学イノベーションセンター・PhoSIC)。
軟X線領域をカバーするナノテラスは、従来の第三世代光源の100倍以上の明るさ、消費電力がSPring-8の1/10の約5 MW、超低エミッタンス(1.14 nmrad、一方SPring-8は2.4 nmrad)、ビーム電子エネルギーが8 GeV(80億電子ボルト)のSPring-8と比べ3 GeVと省エネ設計である。また蓄積リングのサイズは、SPring-8が外周長約1,500 mもあるのに比べ、ナノテラスは約350 mとコンパクトである。硬X線(300 keV)と比較して軟X線(170 eV)のビームラインは、Li、C、N、O、Na、P、イオウ(S)、K、Ca等の軽い(低原子量の)元素に対する感度が高い5, 9)。さらに、次世代放射光は、放射光X線の位相の揃い具合、すなわち干渉のしやすさの指標であるコヒーレンスの性能に関しても優れており、従来の装置ではコントラストが付き辛く観察が難しかった物質の非破壊的なイメージングが可能となる9)。従って、次世代放射光は、生体物質や食品等のソフトマテリアルに適しており、その機能やダイナミクスをナノスケールで可視化し解析することが期待される。また、ナノテラスでは「コアリション(有志連合と訳される)」というユニークな概念に基づき、企業と学術の新たな連携を模索している26)。さらに、次世代放射光は、放射光X線の位相の揃い具合、すなわち干渉のしやすさの指標であるコヒーレンスの性能に関しても優れており、従来の装置ではコントラストが付き辛く観察が難しかった物質の非破壊的なイメージングが可能となる9)。従って、次世代放射光は、生体物質や食品等のソフトマテリアルに適しており、その機能やダイナミクスをナノスケールで可視化し解析することが期待される。また、ナノテラスでは「コアリション(有志連合と訳される)」というユニークな概念に基づき、企業と学術の新たな連携を模索している26)。さらに、農学分野については、このナノテラスを核として、東北大学青葉山新キャンパスに世界的にも類を見ない「放射光生命農学国際教育研究拠点」というリサーチコンプレックスを形成し、食料の安全保障と健康長寿社会実現のための新技術および産業の創成と国際的な人材の育成を目指している。この次世代放射光を利用した画期的な計画は、日本学術会議による大型研究計画「マスタープラン2020」に採択され、国家的な推進が図られている 9)。 以上のように、放射光によるアプローチは、我々の生活にイノベーションをもたらし、国連が掲げるSDGsの達成に貢献し、我々と次世代の暮らしを豊かにしてくれることであろう。まさに「ナノがみえれば未来が変る」のである。今後も放射光研究の動向から目が離せない。
本拙稿が、読者諸氏の「放射光」に対する理解と興味の高揚に繋がれば幸いである。 謝辞本解説文をまとめるにあたり東京海洋大学海洋科学部の鈴木徹博士、静岡県立大学食品栄養科学部(前日本大学生物資源科学部)の小林りか博士、東北大学大学院農学研究科の原田昌彦博士、片山知史博士、(一財)光科学イノベーションセンター(PhoSIC)には資料の提供をいただいた。また、著者らが放射光実験を行うにあたりJASRI/SPring-8の八木直人博士、佐藤眞直博士、九州シンクロトロン光研究センター(SAGA-LS)の廣沢一郎博士、東北大学大学院農学研究科の日髙將文博士、野地智法博士、古川睦美博士、金山喜則博士、宮下脩平博士、竹岡芳成氏、東北大学研究推進・支援機構の河村純一博士、(有)マルセ秋山商店の秋山繁氏、宮城県食品産業協議会の淺見紀夫氏、仙台市経済局産業政策部の高橋大喜氏、金翔平氏、齋藤理奈氏には助言や激励等をいただいた。紹介した研究成果の一部は、仙台市放射光施設活用事例創出事業(トライアルユース事業)、日本学術振興会の研究拠点形成事業(A. 先端拠点形成型)「食の安全性の飛躍的向上を目指した農免疫国際研究拠点形成」および科学研究費補助金、農林水産省農林水産政策研究所「国産農水産物の国内外の需要動向を踏まえた供給体制に関する研究」等の支援によった。本稿執筆の機会は、東京海洋大学海洋科学部の石崎松一郎博士が与えてくれた。以上ここに記して感謝申し上げる。 引用文献
略歴
中野 俊樹
1963年秋田県生まれ。東北大学農学部卒業。東京水産大学(現 東京海洋大学)大学院修了。農学博士(東北大学)取得。カナダ・ブリティッシュコロンビア大学、WHO国際がん研究機関(IARC、フランス・リヨン)、カナダ国立ウエストバンクーバー研究所、カナダNRC国立海洋生物科学研究所などを経て現在に至る。2021年度日仏海洋学会賞、2015年度日本水産学会水産学進歩賞などを受賞。著書に「放射光利用の手引き」「食品図鑑」など。専門は水産化学、水産食品学、比較生理生化学、環境生化学。 サナテックメールマガジンへのご意見・ご感想を〈e-magazine@mac.or.jp〉までお寄せください。 |
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