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微生物の熱死滅 =先人の偉業=
大阪公立大学大学院 工学研究科 客員教授
NPO法人 食品安全ネットワーク 最高顧問
日本防菌防黴学会 名誉会長
米虫 節夫

HACCPの制度化が、2021年6月から始まった。だが、新型コロナウイルスによる感染症COVID-19により、保健所業務が多忙を極めていることも有り、現状ではまだ,全ての食品等事業所に対するチェックはほとんど行われていない。しかし、いずれは行われることに違いは無い。

HACCPに於いては、提供する食品などに起因する人的危害を特定して、その危害を除去または許容限界内に低減させることが求められている。危害としては、生物的危害、物理的危害、化学的危害などが挙げられるが、多くの場合、生物学的危害の内の微生物による危害を除去する工程が、CCP(必須管理点)とされ、微生物の殺菌工程や増殖抑制措置などの工程管理が大事になり、管理マニュアルも必要となる。

その時、我々が何気なく使っている方法や知識は、すべて、先人達の研究・努力のたまものである。「温故知新」という言葉があるが、先人の努力・偉業を見直し、確認しておくのも一興かと考える。先人の偉業や努力の幾つかを思いつくままに回顧してみたい。

1. 人と微生物との戦いは永遠に続く

食品産業において、いかに効果的に微生物制御をおこなうかは重要な課題であり、多くの研究者がこの分野で活動してきた。微生物という概念のまだ存在しない時代の火炎による殺菌についての初めての記録は、Mosesの文書(1450BC頃)といわれている1)。人類は、随分昔から、微生物と戦ってきているのである。微生物を初めて確認し記録したのはA.v.Leeuwenhoekで、1680年頃に顕微鏡を自作し、自然水中や歯垢中の小動物を観察している。近代細菌学の始まりは、1860年前後のL.Pasteurの研究からであろう1)

食品工業分野においては、1907年に米国缶詰協会National Canners Association(NCA)が設立され、缶詰の熱殺菌が科学的に研究されるが、C.R.Stumboの熱殺菌工学の著書が出版されるのは、1950年代になってからであり、著者は1965年版のものを購入し勉強した2)

恩師・故芝崎勲先生が、光琳全書の一書として「食品殺菌工学」を出版されたのが1967年である3)。日本において、微生物学の一部分としか理解されていなかった殺菌分野の情報をまとめ、生物化学工学的要素を加味し、殺菌概論、殺菌の基礎理論、殺菌技術、殺菌関連機器の衛生管理、さらに、熱殺菌だけでは無く、薬剤殺菌、放射線殺菌分野までをも加えて「食品殺菌工学」としてまとめられた。なお、本書は1983年と1995年に改訂版が発行されている4、5)。食品分野で微生物制御を担当する者としては、座右に置いておくべき基本文献の一つであろう。

芝崎先生がいつも語られていた言葉が、「人と微生物との戦いは永遠に続く」である5)。2020年からの新型コロナウイルスによる感染症COVID-19の感染拡大を見る時、芝崎先生のこの言葉が改めて念頭に浮かんでくる。食品分野でも、企業活動全体を見直して、次の微生物との戦闘に備えるべきでは無かろうか。人と微生物との戦いは永遠に続くであろうから。

2. 「微生物の対数的死滅」の発見者は日本人・池田菊苗氏

微生物の死滅過程を定量的に追求する時、横軸に処理時間t、縦軸に生残菌数(N)の対数値(Log N)をとった図は、右下がりの直線に近似できることが多い(図1)。これを微生物の対数的死滅というのは周知の通りである。初発菌数をN0とする時、t時間後の生残菌数LogNは

Log NLog N0kt         (1)

と示式され、kは死滅速度定数と言われる。

 

 

微生物の死滅が、対数的であることを初めて示した人物は、日本人の池田菊苗(1897)7,8)であるが、案外知られていない。微生物制御を研究テーマの中心にしている著者としては、日本人の一人として、この池田菊苗氏の業績を大きく評価したいものである。

Kronig & Paul(1896)9)は、微生物Bacillus anthracisの昇汞水(塩化水銀溶液)による死滅を定量的に研究し、得られたデータの詳細を公開した。池田は、そのデータを解析し、東京化学会誌にその結果を報文として発表7)すると共に、Kronig & Paulに手紙で連絡した。連絡を受けたKronig & Paulは、自分達の論文Kronig & Paul(1897)10)の一部分に池田からの手紙8)として掲載した。この成果を、Chick(1910)11)は、「Kronig&Paul(1897)は、消毒進行過程を経時的に観察することにより、消毒のプロセスを定量的に研究した最初の人物である。 彼らの数字は、感染が整然と進行し、生存菌数が少なくなるにつれて感染率が低下することを示した。 池田(1897)は、実験式でその結果を表現した。」と紹介し、初めての対数的死滅の示式であると評価している。なお、熱殺菌における初めての対数的死滅の確認者はChick(1910)11)である。

ここに紹介された池田は、グルタミン酸塩が旨味成分であることを発見し,これを特許として登録、「味の素」の商品化への道を作った人物であるが、対数的死滅に関する最初の示式者であることは案外知られていない12)。微生物制御に関連する仕事に従事する者として是非、記憶にとどめておき、顕彰したい事実である。

3. 微生物の単離培養方法

CCP工程を決定するときには、食品材料中からCCPの対象となる微生物を単離し、その微生物の熱挙動などを正確に知る必要がある。これらの操作は、今では寒天平板法を用いて簡単に行える。しかし、ここにも歴史がある。

Koch(1881)は、ゆでたジャガイモの切り口に出来た細菌集落から固体培地を思いつき、ゼラチン・ブイヨン培地を平らな時計皿や小さなガラス皿に注ぎ、純培養の集落から対象とする微生物を単離する方法を確立した13)

Petri(1887)は、Kochが用いた平らな時計皿の代わりに、直径10~11cm、高さ1~1.5cmの平らな2枚のガラス皿を用意し、1枚の皿は直径をやや大きく蓋にする方法を考案した14)。最近は、プラスティック製のものが多くなったが、我々が用いているペトリ皿(シャーレ)である。

ゼラチンの代わりに、寒天を使用するという改良も重要なものだった。一般社団法人予防衛生協会のホームページ(HP)では、「10.細菌培養のための寒天培地開発に秘められた物語」として、次のようなエピソードが記されている15)。「ゼラチン培地には2つの欠点があった。ひとつは細菌によってはゼラチンが溶かされること、もうひとつは、ゼラチンは37℃の孵卵器では溶けてしまうことだった。体温が必要な病原細菌にゼラチン培地は利用できなかったのである。この問題を解決したのは、医師ワルター・ヘッセの夫人だった。(中略) ヘッセ夫人はゼラチンの代わりとして、フルーツゼリーなどを作る時に使う寒天の利用を提案した。(中略)寒天培地によりヘッセの実験は順調に進んだ。」と。

寒天培地を用いた平板培養により、我々は菌数計測ができ、平板培養上の集落から釣菌により簡単に純粋培養ができるようになった。これらは先人の研究成果のお陰であり、ほんの百数十年前のことである。

4. 生残菌数の定量的測定

生菌数の測定は、10倍段階希釈法により簡単に行われる。しかし、寒天平板培地の発明されていない時期、生菌数の定量的測定は大変な作業であった。

Kronig & Paul(1896)は、初めて消毒効果を定量的に検討した事は先にしめした9)。彼らは、当時としては画期的な方法を採用した。先ず、大きさの均一な小さな滅菌済みの柘榴石を準備し、それに一定量の炭疽菌Bacillus anthracis芽胞を付着させ、消毒溶液(5段階の濃度の異なる昇汞水)中に一定時間浸漬させる。その芽胞付着柘榴石を経時的にサンプリングし、温度の異なる水溶液中に懸濁させ、その一部をとり培養液と混釈後、平板培養し形成された集落数を計数した。毎回の実験に用いた柘榴石は、30粒である。このような方法で得られた詳細なデータを、彼らは発表した。

池田は、柘榴石を用いたKronig & Paul(1896)の実験方法により得られた集落数を、次のように評価している。「此の部落の数は培養菌性質及び温度等に由りて多少の相違あるものなれば、之を以て直に薬力に抵抗して生存したる黴菌の総数と看倣すべからずと雖、又実験の方法、諸般の操作等務めて均一を期したるが故に部落の数は、生存せし黴菌の数に対し一定の比を為せること疑いなし。且つ毎回の実験に使用せし柘榴石は三十粒なるが故に、仮令各粒に附着せし黴菌の数に多少の差異あるも、共用せし黴菌の総数に至りては殆ど同一なるべし」と(原文はカタカナ表記であるが、ひらかな表記にした。ここに云う「部落」は、「集落」のことである)。池田は、実験方法から見て若干の誤差はあるが定量的解析が可能なデータであると評価して、定量的解析を行い、縦軸に生残菌数の対数値、横軸に殺菌時間を取り、得られたデータをプロットした。その結果、誤差の範囲内で、直線的に死滅することを見いだし、さらに、「昇汞水の殺菌力はその含有する第二水銀イオンの濃度に比例するものと思考するを得べし」として、殺菌剤濃度と効果の関係を定量的に示している。

Chick(1910)が、十数年後に熱殺菌における対数的死滅を確認する実験は、現在、我々が行うと同じ10倍段階希釈法と平板培養法によるものである。

5.熱殺菌の理論的検討

熱殺菌工程をCCPとするとき、まず当該工程において最も耐熱性を示す微生物を単離する必要がある。しかし、ハザード分析表に微生物危害を認定していても、対象微生物を単離し、保存している現場は多くないように思う。

さらに、当該微生物の耐熱性を定量的に把握する必要がある。まず、CCPに設定した温度における熱死滅挙動を調べ、(1)式に示した死滅速度定数kを求める。kという値の単位は「1/時間」で示され、具体的な意味が分かりにくいので、通常は、

D=2.303/k        (2)

で求まるD値(Decimal Reduction Time、90%死滅時間、単位は時間)を用いることが多い16)

次いで2つ以上の温度で、kまたはD値を求める。t℃における死滅速度定数をk、tよりも10℃高い温度(t+10)での死滅速度定数をk(t+10)とするとき、その比をQ10といい、

Q10=k(t+10)/k

として求まる値を「温度係数」という。通常の化学反応ではこの値は2~3程度であるが、蛋白質の熱変性、酵素の熱不活化、微生物の熱死滅などでは5~20程度の値を示すことが多い。

CCPに指定した微生物の熱死滅条件が75℃、1分であったとする。今、温度係数Q10を、10としたとき、当該微生物の熱死滅条件は、10℃高い85℃では0.1分=6秒、10℃低い65℃では10分になる(表1)。この知識があれば、温度設定の変化にも理論的に立ち向かうことが可能になる。熱殺菌工程の温度は、設定温度より低くなると殺菌効率は急激に落ちるので、設定温度より高くなるようにしておくのが安全サイドの考え方である。

 

6.おわりに

HACCP制度化に伴い、多くの食品等製造現場でハザード分析が行われている。手順に従った分析で、効率よくCCP工程を抽出し、HACCP計画を作る事が大事である。しかし、熱殺菌工程をCCPと設定した時には、一度原点に返り、熱殺菌工程そのものをじっくりと見直すことも大事である。まずは、CCPの対象である微生物危害の原因微生物の分離は必須である。その上で、ここに書かせて頂いたような先人達が確立してくれた熱死滅の基礎理論を思い起こし、当該微生物の熱死滅に関する基本的な情報を確保しておいて欲しいものである。

参考総説と著書
  • 1)實川佐太郎:「滅菌・消毒の考え方とその歴史的あゆみ」、医科器械学叢書第I集、1974,文光堂
  • 2)C.R.Stumbo: Thermobacteriology in Food Processing, Academic Press, New York, 1965
  • 3)芝崎勲:「食品殺菌工学」、光琳全書24,1967,光琳書店
  • 4)芝崎勲:「新・食品殺菌工学」、1983,光琳
  • 5)芝崎勲:「改訂新版 新・食品殺菌工学」、1998, 光琳
  • 6)日本防菌防黴学会:特集「微生物との戦いは永遠に続く」、防菌防黴、Vol.39, No.12, p.757-797, 2001
  • 7)池田菊苗:昇汞水ノ濃度ト殺菌力トノ関係ニ就キテ、東京化学会誌、Vol.18, p.139-158,1897
  • 8)K.Ikeda: Allgemaine Beziehungen Zwischen Concentration und Giftwirkung der Quecksilber-chloridiosungen, Zeitschr fur Hygiene, Vol.25, p.95-101, 1897
  • 9)B. Kronig & T.Paul: Uber des Verhalten der Bacterien zu Chemishen Reagentien, Zeitshrift fur Hygiene, Vol.21, p.414-450, 1896
  • 10)B. Kronig & T.Paul: Allgemaine Beziehungen Zwischen Concentration und Giftwirkung der Quecksilber-chloridiosungen, Zeitschr fur Hygiene, Vol.25, p.1-112, 1897
  • 11)Harriette Chick: The Process of Disinfection by Chemical Agencies and Hot Water, Journal of Hygiene, Vol.10, p.237-286, 1910
  • 12)榊秀之、米虫節夫:池田菊苗と微生物死滅の定量的表現、防菌防黴、Vol. 49, No. 12, p.603-612, 2021
  • 13)Robert Koch, Zur Untersuchung von pathogen Organismen, Mitterbeilungen aus dem Kaiserkichen Gesundbeitsamte, vol.1, p.1-48、1881 藤野恒三郎監訳、「微生物学の一里塚」、病原微生物の研究方法、p.136-143、1980、近代出版
  • 14)R. J. Petri, Eine kleine Modification des Koch’schen Plattenverfahrens, Centralblatt fur Bacteriologie und Parasitenkunde, Vol.1, p.279-280, 1887, 藤野恒三郎監訳、「微生物学の一里塚」、コッホの平板培養法の小改良、p.301-302、1980、近代出版
  • 15)一般社団法人予防衛生協会のホームページ(HP)、「10. 細菌培養のための寒天培地開発に秘められた物語」,https://www.primate.or.jp/serialization/「 細菌培養のための寒天培地開発に秘められた物語」
  • 16)C.O.Ball,Short-Time pasteurization of milk, Industorial and Engineering Chemisyry, Vol.35, p.71-84, 1943
略歴

米虫 節夫

大阪公立大学大学院 工学研究科 客員教授

NPO法人 食品安全ネットワーク 最高顧問

日本防菌防黴学会 名誉会長

 

元近畿大学農学部教授;「熱殺菌の動力学」で工学博士(1970),各種環境の微生物制御を中心に研究。最近は食品分野の衛生管理・安全管理に注力、NPO食品安全ネットワークの提唱した食品衛生7Sの普及に努めている。日本的品質管理のデミング賞委員を長く務め、TQC/TQM的発想で現場重視で活動中。日経品質管理文献賞、日本医科機械学会著述賞、日本防菌防黴学会学会賞、大阪府食の安心安全制度知事表彰など受賞。

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