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![]() 食品のガラス化とテクスチャー
![]() 広島大学 大学院統合生命科学研究科
教授 川井 清司 はじめに食品の加工や保存過程において、食品中では様々な物理的性状変化が起こり、最終的な品質が決定付けられる。食品成分の物理的性状変化には「温度」と「水分」とが深く関わっているため、これらの因子を最適に制御すれば、食品の品質を任意に設計できるようになる。筆者の研究グループでは食品並びに食品成分の物理的性状変化(融解、結晶化、包接複合化、ガラス-ラバー転移)を解明し、食品の品質設計に利用する研究を行っている。本稿ではガラス-ラバー転移に焦点を当てた解説を行う。 食品並びに食品成分の物理的性状と変化固体食品にある各種成分の物理的性状は液体と固体とに大別される。液体は分子配列が無秩序な状態で、流動(並進)に関わる分子運動性を有している。固体食品に対しては延性的な性質や柔らかい食感を与える。固体は更に結晶質と非晶質とに大別される。結晶は分子配列が秩序的であり、原則として流れに関わる分子運動性を持たない。高分子においてはヘリックスなどの秩序構造部位が結晶に該当する。固体食品に対しては脆性的な性質や硬い食感を与える。結晶は融点(melting temperature, Tm)以上の温度で融解し、液体になる。親水性結晶(少糖など)のTmは水分含量の増加によって低下するが、疎水性結晶(固体油脂など)のTmは水分含量に依存しない。一方、非晶質は分子配列が無秩序で流れに関わる分子運動性を有している。即ち、広義の液体として捉えられる。非晶質は温度および水分含量によってガラスとラバー(過飽和)とに分類される。ガラス転移温度(glass transition temperature, Tg)以下の温度にある非晶質は分子運動性が凍結し、結晶と“見た目は”同じような固体になる。ガラスと結晶とは力学的な性質はよく似ているが、ガラスは本質的には液体(高粘性液体)である。したがって、相溶性の高い成分同士が混ざり合って新たな物性のガラスを作る。結晶においても混晶と呼ばれる状態は存在するが、その生成条件は限定的である。Tg以上にある非晶質(ラバー・過飽和)では分子運動が回復しており、液体と固体の中間的な性質(粘弾性)を与える。ガラスとラバー間の状態変化はガラス-ラバー転移と呼ばれる。親水性ガラスのTgは水分含量の増加によって低下する(水の可塑効果)。したがって、温度が一定であっても、水分含量の増減によって、ガラス-ラバー転移は起こる。ラバー(過飽和)は熱力学的な準安定平衡状態にあり、条件によって安定化(結晶化)する。更に高温になると、ラバーは液体(流動状態・融液)になる。これと逆のプロセスは流動・融液状態の冷却過程で起こる。流動・融液状態から温度が低下し、Tm以下で結晶化する場合と、ラバー(過飽和)として広義の液体を維持する場合とに大別される。更に、ラバー(過飽和)がTg以下の温度まで冷却されるとガラス化する。次章では食品のガラス-ラバー転移の具体例としてクッキーを取り上げる。 クッキーのガラス-ラバー転移と食感の設計クッキーは薄力粉、砂糖(スクロース)、バター(油脂)、卵などを基本材料とした生地を成型し、高温・短時間焼成して作られる。加熱過程において、クッキー生地中では油脂の融解、タンパク質の変性、溶け残ったスクロース結晶の融解、澱粉(結晶質アミロペクチン)の融解が順次起こると同時に、蒸発によって水分含量が低下する1)。これを常温に戻す(冷却する)過程で、融解したスクロースを主成分とした非晶質がガラス骨格を形成し、クッキーに脆性的な(サクサクとした)食感を与える。 非晶質のTgは示差走査熱量測定や昇温レオロジー測定などによって決定される。クッキーのTgと水分含量との関係を図1に示す2)。水の可塑効果によって、クッキーのTgは水分含量の増加とともに低下する。環境温度を25℃とした場合(図中の点線)、このクッキーは水分含量5.6g/g-DM(dry matter)以下でガラス状態に、それ以上でラバー状態になることが分かる。この水分含量はcritical water content(wc)、同条件での水分活性はcritical water activity(awc)と呼ばれる。
クッキーの破断荷重と水分含量との関係を図2に示す2)。図中の点線はクッキーのwcを表している。ガラス状態にあるクッキーは破断荷重が低い。これはクッキーの脆性破壊に由来する。クッキーの水分含量が増加しても、ガラス状態にありさえすれば、脆性破壊は維持される。しかし更に水分含量が増加し、wc以上(ラバー状態)になると、破断荷重はいったん上昇する。これはクッキーがまだ硬い状態にありながら、ラバー状態に特徴的な延性破壊(大きく変形した後に破断)を示すためである。更に水分含量が増加すると、ラバー状態のクッキーは急激に軟化し、破断荷重は著しく低下する。ラバー状態は物理的に不安定なため、水分含量の僅かな変化が、大きな物性変化となって表れる。水分を十分に取り除いた状態において、クッキーはガラス状態でありながら、破断荷重が低下する。これはアンチプラスチサイジング効果として知られる現象であり、ガラスを構成する一成分として存在する水分子が過度に除かれることによって、ガラスの物理強度が弱まり、脆性が強調されるためと考えられる。 クッキーの骨格は主にガラス化したスクロースによって構成されている。スクロースは他の少糖やポリオールとの相溶性が高いため、それらを配合することでクッキーのTgを変化させることができる。スクロースを40%トレハロースおよび40%ソルビトールに置き変えて作製したクッキーのTgと水分含量との関係を図3に示す3)。クッキーに配合するスクロースの一部をトレハロースに置き変えると,クッキーのTgは高くなる。トレハロースの無水Tg(113℃)はスクロースの無水Tg(68℃)よりも高いため、それらが混ざりあってできたガラスのTgはスクロース単体の値よりも高くなる。クッキーのTgが高いことは、より高い水分含量までガラス状態を維持できることを意味しており、吸湿耐性が向上したといえる。一方、クッキーに配合するスクロースの一部をソルビトールに置き変えると、クッキーのTgは低くなる。ソルビトールの無水Tg(-3℃)がスクロースの値よりも低いためである。その結果、水分含量が少ないにもかかわらず、ラバー状態の柔らかいクッキーに仕上げることができる。 クッキーに配合する少糖のTgによってクッキーのTgを制御できる。糖質のTgは既に広く調べられており4)、改めて調べる必要は殆どない。水あめや還元水あめの様な混合物の場合は構成成分の組成から計算によってTgを求めることもできる5)。この計算式によって糖質同士を任意に混合した際のTg変化も精度よく求めることができる。少糖同士であれば理想的な混合を示すため、単純加成性を仮定しても十分に適用する。
クッキー中には油脂も存在する。油脂は疎水性であり、非晶質とは独立して(相分離した状態で)存在している。加熱過程で融解するが、冷却によって結晶化する。油脂はクッキー内部で非晶質によって構成される多孔質構造にまとわりつくことで、構造を強化していると考えられる6)。油脂は結晶と液体とが混在した状態で存在しており、その物性は固体脂含量(solid fat content, SFC)によって特徴付けられる。SFCが高いことは硬いことを意味しており、粘弾性体の硬さを表す指標であるG’(貯蔵弾性率)と相関する。クッキーの破断応力とクッキーに配合した油脂のG’との関係を図4に示す7)。ガラス状態にあるクッキーの破断応力は油脂のG’に殆ど影響しない。これはクッキーのガラス骨格が油脂よりも十分に硬いため、油脂の硬さは破断応力に反映しないと考えられる。一方、ラバー状態にあるクッキーでは、配合した油脂のG’が高いほど、破断応力は高くなる。吸湿によってラバー状態になったクッキーは著しく軟化する。しかし、油脂の硬さ(SFC)は水分含量に依存しないため、吸湿しても骨格を支えることができる。このとき油脂が硬いほど強く支えることが可能になるため、油脂のG’がクッキーの硬さに大きく反映すると考えられる。 フライ衣のガラス-ラバー転移と食感の設計フライ衣はバッター(小麦粉と水の混合物)を油中で高温加熱して(揚げて)作製される。作製直後のフライ衣はサクッとした食感にあるが、時間が経つと具材や環境からの水分移行によって、ベチャッとした食感へと変化する。このプロセスもガラス-ラバー転移によって説明することができる。フライ衣の実験モデルとして採用した揚げ玉のTgと水分含量との関係を図5に、荷重-変位曲線からカウントされる破断ピーク数と水分含量との関係を図6にそれぞれ示す8)。揚げ玉にトレハロースを添加するとTgが上昇し、wcも上昇するため、より高い水分含量までサク味(破断ピーク数)が維持される。しかし、このメカニズムはクッキーのそれとは少し異なる。揚げ玉のガラス骨格は薄力粉の主成分であるアミロペクチンによって構成されている。非晶質アミロペクチンは巨大な房状高分子であり、トレハロースのような少糖は、水と同様に可塑剤として作用するため、系のTgは低下する。しかし、少量添加した少糖は非晶質アミロペクチンのセグメント間に存在するギャップを埋めるように配置することで、ガラスを力学的に強化する働きを示すことが示唆されている8-10)。即ち、先にも紹介したアンチプラスチサイジング効果である。また、アミロペクチン分子間に配置した少糖は系に破断点を与えるため、脆性破壊が強調される(破断ピーク数が増加する)ことも示されている(図6)。しかし、高分子に対する低分子の添加は本質的には可塑効果を伴うため、低分子でありながらTgが高い素材を適量添加することが望ましいといえる。トレハロースはその代表であり、薄力粉に対して10%程度の添加が最適なことが示されている10)。尚、トレハロースは非還元性であり、着色しにくい点にも有意性がある。 フライ衣には大量の液状油脂が含まれている。クッキーのようにガラス骨格の主成分が水溶性成分であった場合、油脂がTgに及ぼす影響は殆どない。クッキーに配合する油脂はSFCが高いこと(結晶として独立して存在すること)もその一助となる。しかし、液体油脂中で加熱するフライ食品の場合、油脂はアミロペクチンのセグメント間に入り込む、小麦タンパクの疎水基と相互作用するなどによって、力学的な可塑効果を与える。しかし、トレハロースを加えると揚げ玉への吸油が抑えられる(図5)。これはアンチプラスチサイジング効果によって吸油スペースが埋められるためと考えられる。即ち、フライ衣に対する少糖の添加には1.ガラス骨格を物理的に強化する、2.破断点(脆性)を与える、3.油脂を排除するという三つのポジティブな効果が期待される8-10)。
ナッツのガラス-ラバー転移と食感の設計液状油脂が可塑効果を示す事例は他の食品でも認められる。例えば、ナッツには揚げ玉と同程度(50%前後)の油脂が含まれている。しかし、ナッツの油脂は細胞内に閉じ込められているため、手で触った段階で、べたつくような油っぽさを感じることはない。喫食によってナッツの構造が破壊されたとき、口腔内で油脂がリークして、その美味しさを実感できるようになる。ナッツの食感にはカリッとした食感(クリスプネス)が求められる。この食感の有無にもガラス-ラバー転移が深く関わっていることが示されている11)。恐らく細胞壁間の非晶質成分がガラス化した場合にクリスプネスが増強されると考えられる。一般にナッツはローストされる。このときナッツは水分が低下すると共に熱的損傷を受け、一定量の油脂がリークする。水分含量の低下はTgの上昇を招くため、系はガラス状態へと近づくが、同時にリークした油脂によって可塑化される(Tgが低下する)ため、ガラス状態が遠のく。最終製品をガラス状態に設計するにはロースト条件が重要な要素になる。 おわりに本稿で紹介した以外の研究として、筆者らはガラス-ラバー転移とハードキャンディーの加工性、ソフトキャンディーの食感、非晶質粉末素材の固着並びに圧縮固化、凍結乾燥物のコラプス、乳酸菌の生菌数や酵素活性の維持などとの関係について報告している。また、澱粉の糊化(融解)および老化(再結晶化)による消化性や食感の制御、アミロース-脂質複合体が及ぼす影響などについても報告している。本稿でその全てを紹介することはできないため、興味を持つ読者には筆者が開設するホームページ(https://foodengine.hiroshima-u.ac.jp/index.html)などから論文を検索し、参照されたい。 文献
略歴
川井 清司 広島大学 大学院統合生命科学研究科 教授
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