(一財)食品分析開発センター SUNATEC
HOME > これからの水産物の供給における養殖業の役割と課題
これからの水産物の供給における養殖業の役割と課題
九州大学農学研究院アクアバイオリソース創出センター
特任教授 松山 倫也

1.水産養殖業の現状

近年、人類の差し迫った課題の一つとして「タンパク質危機」という言葉が様々なメディアを通して目に触れるようになった。国連によると、現在約78億人である全世界の人口は2050年には100億人近くに到達し、この急激な人口の増加と世界的な食生活の向上(肉食化)によって、2005年時のタンパク質の約2倍の供給量が必要になると推定されている。動物性タンパク質の供給源となる畜産動物の生産は大量の穀物供給に依存するが、現在の農業・畜産業の方式では地球環境に与える負荷が高く、持続可能でないことが指摘され1)、早ければ2030年頃にはタンパク質の需要と供給のバランスが崩れ始めると予測されており、これが「タンパク質危機(protein crisis)」と呼ばれている。この危機を乗り越える方法として、植物性代替肉、培養肉、昆虫、藻類、微生物等の「代替タンパク質」が大きな注目を浴びており、スタートアップ企業や大手企業の参入が相次いでいるところである。

従来、動物性タンパク質の供給の一端を担ってきた水産物に目を向けると、世界の「漁業」による生産量は過去30年にわたって9,000万トン前後の横ばい状態を続けており2)、今後も漁業生産量の大幅な増加は見込まれないと考えられている。一方、世界の養殖生産量は1980年頃から急速に拡大し、2014年には食用魚介類の養殖生産量が天然の漁獲量を遂に越え、2018年には8,210万トンに達している2)。このうち海面養殖が3,080万トン、内水面養殖が5,130万トンで、中国を中心とする淡水魚類(コイ科魚類、ティラピア等)養殖の顕著な生産量の増加が特徴である。世界の漁業・養殖業を予測した世界銀行の報告3)によると、2030年の漁業・養殖業生産量は1億8,684万トンで、このうち食用向け需要の62%が養殖水産物で占められ、水産物供給の上での養殖業の重要性を指摘している。新興国での経済成長や健康志向の高まりも水産物の消費を後押ししていることから、世界の食用魚介類の需要は今後も拡大することが予測され、計画的で安定的に生産できる養殖に対する期待は高く、水産養殖産業は期待の持てる領域産業であると考えられている。

一方で日本における養殖業生産量は漸減傾向にあり、2019年での魚介類の生産量は約58万トン(ブリ・マダイ等の魚類が28万トン、カキやホタテガイ等の貝類が30万トン)である。さらに、一人当たりの食用魚介類の消費も2001年の40.2kg をピークに2019年には23.8kgに減少している4)。我が国の養殖業生産の減少・伸び悩みの背景には、人口の減少に加え、食生活の変化に伴う魚介類の消費の減少が影響しているが、2019年での日本人の平均は世界平均に比べ約2倍多く食べており4)、日本はまだまだ魚をたくさん食べている「魚食の国」である。

農林水産省は、世界的な水産養殖産業に対する関心を、伸び悩んでいた日本の水産養殖業を成長させる好機ととらえ、2021年に持続的な養殖業の成長産業化を図ることを目的とした「養殖業成長産業化総合戦略」を策定・公表し5)、新たに養殖業の振興に本格的に取り組むことにした。ブリ類、マダイ、クロマグロ等を、将来、国内外での需要の拡大が見込まれる養殖品目として位置づけ、生産量や輸出額目標に関する成果目標(KPI)を設定するとともに、生産性・収益性等の向上、魚病対策、養殖製品の品質保持・管理、漁場環境モニタリング、スマート水産業、新魚種・新養殖システム、育種等種苗改良、配合飼料等の研究開発その他を、戦略を実現するための個々の取組内容として挙げている。さらに、持続可能な食料システムの構築に向け策定された「みどりの食料システム戦略」6)では、環境負荷の軽減、人工種苗の拡大、魚粉代替飼料への転換による天然資源への負荷軽減を挙げ、環境に配慮した持続的な養殖業の実現をうたっている。

2.水産物の育種と完全養殖

養殖業が世界の水産物に求められるタンパク質の需要に見合う生物生産を行うためには、現状の生産システムの改善を進め、それを加速する必要がある。前述した「養殖業成長産業化総合戦略」5)における各種取組み内容でも挙げられた「育種」について考えてみたい。人類の歴史の中で、水産物は長い間採取する食料であったことから、これまで育種に対する要求が大きくなく、食用魚類の育種は農作物や家畜動物と比較して著しく遅れていた。近年の養殖の伸展に伴い、水産物でもいくつかの重要種で育種が進められてきた。我が国では、1960年代半ばから近畿大学で25年以上にわたるマダイの選抜育種が行われ、成長の速い品種が西日本各地を中心に広く養殖されている。その他、耐病性形質の遺伝子マーカーを利用して選抜育種したヒラメ7)等の品種作出の事例があり、最近では、ブリでも遺伝子情報を用いた選抜育種が進められており、高成長の系統が作出されている8)。国外では、ノルウェーのタイセイヨウサケ(アトランティックサーモン)の育種が有名で、1970年代から成長、生残、飼料変換効率、早期成熟等の遺伝的形質に関する育種が行われ、現在世界における養殖サケの最大の生産国となり得た基盤技術の一つとなっている。

魚類で育種を行う場合、完全養殖での生産体制が整備されている必要がある。完全養殖とは、産卵、ふ化、稚魚育成、親魚の性成熟等のライフサイクルのすべてを人為管理下におく養殖形態である。マダイ、ヒラメ、トラフグ、シマアジ、マハタ等、我が国の代表的食用種では完全養殖体系が確立されている。ブリやクロマグロでも完全養殖技術は開発されているが、天然の種苗(稚魚や幼魚)が人工種苗より安価で採捕できるため、それらの養殖では未だ天然種苗が利用されることが多い。ある対象魚種を完全養殖するに当たり、魚種ごとに開発しなければならない様々な技術的ハードル、設備投資、生産価格など、多くの解決するべき課題があるが、育種ができることに加え、天然資源への負荷が無いこと、生産者の要望に応じた計画的な種苗供給ができること、給餌により肉質を調節できること、トレーサビリティーが完全に確保できることなど、今後の養殖産業の発展における不可欠の技術として位置づけられる。

次に我々の仕事を紹介したい。北部九州ではマサバを生で食べる食文化があり、新鮮なマサバの刺身をゴマ風味のタレをつけて食べる「ごまさば」は福岡の郷土料理である。しかし、マサバの生食には寄生虫(アニサキス)感染のリスクが常にある。アニサキスの寄生は天然海域における食物連鎖の中で起こることから、天然種苗由来の養殖マサバではアニサキスがみられる。生活環を通して餌を管理する完全養殖であればアニサキス感染リスクの低いマサバができると考えられる。そこで、佐賀県唐津市と共同で試験研究を始め、2014年に完全養殖のサイクルを確立した9)。生産された完全養殖マサバは“唐津Qサバ”と命名され(図1)、これまで活魚での出荷は10万尾を越えるが、出荷先でのモニターではアニサキス保有のマサバはゼロである。アニサキス・フリーで高鮮度の“唐津Qサバ”は安心して生食でき、給餌調整による脂の乗り(脂質含量)は年平均25%で、EPAやDHA等のω3系多価不飽和脂肪酸の含量も天然魚より多いなど付加価値が高く、需要が急増している。

 

図1. 完全養殖“唐津Qサバ”の生き造り(左)とロゴマーク(右).
唐津市役所HPより
https://www.city.karatsu.lg.jp/suisan/kasseikacenter/
kanzenyousyokumasaba.html

3.水産物のゲノム編集による育種

マサバの種苗生産における大きな問題の一つに、稚魚期における共喰いによる生残率の低さがある。マサバは生後2週間前後から共喰いが激しくなり、ふ化直後から体長10 cm程に成長するまで通常1割程度しか生き残らない。生残率の向上はそのまま生産効率の向上に直結する。そこで、我々は共喰いを抑えた“おとなしいマサバ”を、従来の遺伝子組み換え技術とは一線を画するゲノム編集技術を利用して作出することにした。マサバでのゲノム編集を思い立った2012年は、現在ゲノム編集ツールの主流となっているCRISPR/Cas9の最初の報告があった年で、第2世代のゲノム編集技術であるTALENは既に実用化されていた。ゲノム編集技術には遺伝子の破壊(gene knockout)の他、外来遺伝子の導入(gene knockin)があるが、前者により遺伝子を破壊した生物は遺伝子の破壊・修復過程において外来遺伝子の導入を伴わないため、従来のカルタヘナ法で定められる組換え生物に定義されないと考え、食品として認可される可能性があると判断したことによる。

標的とした遺伝子は、神経ペプチド、アルギニンバソトシン(AVT)の受容体で、メダカ等における先行研究10)で、受容体の一つであるAVTR-V1a2遺伝子を破壊すると攻撃行動が低下するということが知られていた。2016年までに種々の予備実験を終え、2017年からAVTR-V1a2遺伝子を破壊(knockout, KO)したマサバの作出を開始した。その結果、3年後の2020年に、両アレルに5塩基あるいは13塩基欠損のAVTR-V1a2遺伝子をもつ2系統のマサバの作出に成功した11)

マサバの野生型稚魚は通常、飼育水槽の表層付近を活発に群泳する。一方、AVTR-V1a2遺伝子をKOしたマサバ稚魚は活発に泳ぎ回らず、水槽の底の方で静かに群れている様子が観察され、酸素消費量もKO稚魚では野生型と比較して有意に低い値を示した。さらに、他個体への攻撃行動、共喰い行動を異常行動とみなし、両者で比較した結果、異常行動の発生頻度は野生型稚魚と比較してKO稚魚では約半減していた。また、1回の異常行動の継続時間もKO稚魚では大きく減少しており、AVTR-V1a2遺伝子のKOにより、共喰い行動を含む他魚への攻撃行動が低下した“おとなしい性格”となったことが明らかとなった。しかし、KO稚魚では野生型稚魚に比べ若干の成長遅延が認められた。AVTR-V1a2遺伝子をKOしたことによる摂餌行動や成長速度への影響の可能性も否定できない。現在、AVTR-V1a2遺伝子KOマサバの肉質や成長速度、摂餌量、繁殖効率等の表現型、ならびにオフターゲットの有無や変異によって生じた新たなアミノ酸配列のアレルゲン性と毒性の検証も進めており、養殖品種としての総合評価を行っている。生産者や消費者にとっての利点につながると判断できた段階で製品化、上市を検討する予定である。

魚類で複数の有用品種が作出された場合、系統保存のための魚類特有の飼育設備への投資や維持・管理、労力に莫大な費用がかかることに加え、突発事故や病気等による全滅の可能性も否定できない。近年、魚類の遺伝子資源としての種あるいは系統の保存に、生殖幹細胞や精原細胞等の生殖細胞を凍結保存し、必要に応じて解凍し、代理親魚技術により個体を生産する方法が開発されてきた12)。さらに、逃亡による遺伝子攪乱の防止や品種の知財保護のためには不妊化することが望ましいが、系統保存のために不妊化個体が配偶子を生産できる稔性回復技術も併せて開発する必要がある。

ゲノム編集の基本ツールとなるTALENおよびCRISPR/Cas9に関する基本特許は外国が持っており、研究に際しての使用料は生じない。しかし、産業利用の場合、実施権の取得が必要となり、すでに複数の企業が多額の投資により実施権を取得して農産物を中心としたビジネスを加速させている。水産育種を通した日本の養殖業の国際競争、産業強化を視野にいれたとき、日本発のゲノム編集技術の開発と利用は喫緊の課題であり、PPRタンパク質13)やCRISPR/Cas3 14)は国産の新たなゲノム編集ツールとして期待されている。

現在、我々の研究室では、マサバとカタクチイワシ15)を対象にしてゲノム編集による種々の形質を付与した系統の作出に取り組んでいるが、PPRやCRISPR/Cas3の利用とともに、上に挙げた生殖細胞の凍結保存、代理親魚による個体の生産、不妊化および稔性回復技術の開発も進めており、成果が待たれる。

4.さいごに

厚生労働省および消費者庁では、標的配列をKOしたゲノム編集による品種作出は従来の品種改良と同等であるとし、「食品表示は義務化しない」との方針のもと、2019年10月1日から「ゲノム編集食品」が解禁となった。現在、GABAが豊富なトマト、肉厚のマダイやトラフグ等の流通が始まっている。一方で、ゲノム編集技術に対しては消費者から不安の声もあるのも事実である。ゲノム編集食品の社会実装に当たっては、そのベネフィットとリスクに関する分かり易い正確な情報発信等のアウトリーチ活動を通した、消費者に対するゲノム編集食品の理解醸成への取り組みを、関係する官民一体となって継続的に行うことが必要である。

標的配列をKOしたゲノム編集食品の取り扱いに関する各国の動向を見た場合、オーストラリア、アルゼンチン、イスラエル、ブラジル、チリなどでは日本と同様に、外来遺伝子等が残存していないことが確認されれば規制対象外と判断している。一方で、ニュージーランドやEUは、ゲノム編集を含む新たな遺伝子改変技術は遺伝子組換えとして取り扱い、アメリカは、農作物については規制対象外としている16)。このように、ゲノム編集技術で作出された農林水産物の取り扱いは国や地域により規制が異なっており、今後多くの国でも法整備が進むことが予測される。ゲノム編集で育種した養殖品種の輸出を図る場合、各国のゲノム編集食品の規制の動向を見据えた綿密な輸出戦略が必要となる。

参考文献
  • 1) Notaras M. Agriculture And Food System Unsustainable, Our World - Brought to you by United Nations University. https://ourworld.unu.edu/en/agriculture-and-food-systems-unsustainable (2010).
  • 2) FAO. The State of World Fisheries and Aquaculture 2020. Sustainability in action. Rome. https://www.fao.org/3/ca9229en/ca9229en.pdf. (2020).
  • 3) The Wold Bank. FISH TO 2030: Prospects for Fisheries and Aquaculture. https://reliefweb.int/sites/reliefweb.int/files/resources/Fish%20to%202030.pdf. (2013).
  • 4) 水産庁.令和2年度水産白書.
    https://www.jfa.maff.go.jp/j/kikaku/wpaper/R2/210604.html. (2021).
  • 5) 農林水産省. 養殖業成長産業化総合戦略.
    https://www.jfa.maff.go.jp/j/saibai/yousyoku/attach/pdf/seityou_senryaku-4.pdf. (2021).
  • 6) 農林水産省. みどりの食料システム戦略.
    https://www.maff.go.jp/j/kanbo/kankyo/seisaku/midori/attach/pdf/index-7.pdf. (2021).
  • 7) Fuji K., et al. Marker assisted breeding of a lymphocystis disease-resistant Japanese flounder (Paralichthys olivaceus). Aquaculture, 272, 291-295 (2007).
  • 8) 森島輝. ブリ育種プログラムの基礎と育種価の応用. 日本水産学会誌, 85, 208 (2019).
  • 9)長野直樹. 佐賀県唐津市におけるマサバの完全養殖とブランド化.月刊養殖ビジネス.54, 37-39 (2017).
  • 10) Yokoi S., et al. An Essential Role of the Arginine Vasotocin System in Mate-Guarding Behaviors in Triadic Relationships of Medaka Fish (Oryzias latipes). PLOS Genetics, DOI:10.1371/journal.pgen.1005009. (2015).
  • 11) 松山倫也, 大賀浩史.ゲノム編集技術による海産魚の新品種作出-攻撃性を低下させたおとなしいマサバ-.最新のゲノム編集技術と用途展開(山本卓監). シーエムシー出版, 196-203 (2021).
  • 12) Yoshizaki G, Yazawa R. Application of surrogate broodstock technology in aquaculture. Fisheries Science, 85, 429–437 (2019).
  • 13) Kobayashi T., et al. Development of Genome Engineering Tools from Plant-Specific PPR Proteins Using Animal Cultured Cells. in “Chromosome and Genomic Engineering in Plants”, 147-155 (2016).
  • 14) Morisaka H. et al. CRISPR-Cas3 induces broad and unidirectional genome editing in human cells. Nature Communications, 10, 5302 (2019)
  • 15) Sakaguchi K., et al. Comprehensive Experimental System for a Promising Model Organism Candidate for Marine Teleosts. Scientific Reports, 9, 4948 (2019)
  • 16) 田部井豊. ゲノム編集食品の規制と国際動向.生物工学,97,719-723 (2019).
略歴

 

松山 倫也

九州大学農学研究院

アクアバイオリソース創出センター(ABRIC)

特任教授

 

1984年
九州大学大学院農学研究科博士課程修了(農学博士)
1985年
日本学術振興会奨励研究員
1986年
日本学術振興会特別研究員
1990年
三重大学助手
1994年
九州大学農学部助教授
1998年
九州大学農学部教授
2000年
九州大学大学院農学研究院教授
2021年
九州大学農学研究院附属アクアバイオリソース創出センター特任教授
他の記事を見る
ホームページを見る

サナテックメールマガジンへのご意見・ご感想を〈e-magazine@mac.or.jp〉までお寄せください。

Copyright (C) Food Analysis Technology Center SUNATEC. All Rights Reserved.