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![]() 体内時計と私たちの健康
![]() 名古屋大学 トランスフォーマティブ生命分子研究所
教授 吉村 崇 はじめに日本人は古の時代より、四季を愛でる国民であり、春になるとウグイスの初鳴きやサクラの開花が話題にのぼる。しかし現代社会においてはエアコンなどの文明の利器によって、1年中快適に暮らすことができる。また、お金に糸目を付けなければ、年間を通じてあらゆる食材を入手できるため、現代人の生活から季節感が薄らいでいる。 一方、自然界に生息する野生の動物においては、気温、降水量の季節変動に伴って、得られる食料も変化するため、四季の環境の変化に適応できるか否かは死活問題である。そのため動物たちは渡り、冬眠、換羽・換毛など、様々な行動や生理機能を季節に応じてダイナミックに調節している。動物の行動の季節変化は紀元前300年代のギリシャの哲学者、アリストテレスの著書「動物誌」にも詳しく記述されていることからもわかるように、人類は有史以来、四季折々の動物たちの営みに魅了されてきたが、その仕組みは長年謎に包まれていた。 私たちをとりまく環境は季節の他にも、24時間周期の昼夜の変動を示し、明るさ、気温、湿度などが毎日繰り返し変化している。つまり、生物は常に地球の公転と自転に伴う周期的な環境変動にさらされているのである。この営みは地球に生命が誕生した時から途絶えることなく続いていることから、生物は周期的に変動する環境に、より良く適応するために、進化の過程で概ね(おおむね)1日のリズムを刻む体内時計「概日(がいじつ)時計」を獲得してきた。 我々現代人が概日時計の存在を意識するのは、海外旅行にでかけた際に時差ぼけで苦しんだ時くらいかもしれないが、近年の研究から体内時計の不調が様々な病気をもたらすことがわかってきた。ここでは、我々の研究から明らかになってきた動物の季節感知機構や、体内時計と健康について概説したい。 生き物は日の長さで季節を知る米国のガーナーとアラードは今から100年ほど前の1920年に、植物が1日の中の明るい時間の長さ(日長)をカレンダーとして開花の時期を決定していることを発見した(1)。その後の研究で、植物だけでなく、昆虫、鳥類、哺乳類においても日長の情報が重要であることが相次いで発見され、日長の変化に応じて生物の様々な生理機能が変化する現象は「光周性(こうしゅうせい)」と呼ばれている。気温や降水量も1年を通じて変化するが、年によって、冷夏や空梅雨があったり、暖かい日の次の日が急に寒かったりするので、気温や降水量はあまりあてにならない情報である。一方、春分、夏至、秋分、冬至は毎年正確に同じ時期に訪れるため、生物が日長の変化をカレンダーとして利用しているのは理にかなっている。今日も電照菊の栽培やニワトリの産卵などの農業の現場においては、日長の制御で生産性をコントロールしており、光周性の性質が利用されている。 ウズラの研究から明らかになった動物が春を感じる仕組み多種多様な動物種の中で鳥類は特に洗練された季節適応能力を持つことが知られている。例えば、ウズラは室町時代から武士の間で飼い馴らされ、我が国で家畜化された唯一の動物であるが、中国と日本の間を渡る渡り鳥としても知られている。したがって空を飛ぶためにできるだけ体を軽くする戦略をとっており、繁殖する春から夏にかけてのみ、精巣、卵巣を発達させる。ウズラは日長の変化によって、たった2週間で精巣の重量が100倍以上も変化し、なんと繁殖期には脳よりも大きくなるのである!これほど、急速かつ劇的な季節応答を示す動物は珍しく、動物が春を感じる仕組みを解明するための優れたモデルである。また私の所属する名古屋大学が位置する愛知県は、ウズラの日本一の産地であり、古くからウズラを使った研究が盛んであったため、我々はウズラを使って研究することにした。 まず、春の刺激を与えたウズラと、与えていないウズラにおいて脳の視床下部で発現量が異なっている遺伝子を探索したところ、春の刺激を与えたときにのみ、発現が誘導されるDIO2遺伝子を見出した。DIO2遺伝子は甲状腺から分泌される甲状腺ホルモンを活性化する酵素(2型脱ヨウ素酵素)をコードしていた。そのため、春に視床下部で甲状腺ホルモンが局所的に活性化されることが、繁殖活動を開始する鍵であることが明らかになった(2)。 その後、2004年になると鳥類においてもゲノム情報が解読されて、網羅的な遺伝子発現解析を行える環境が整った。そこでゲノムスケールの網羅的な遺伝子発現解析を行ったところ、下垂体の付け根に位置し、機能が未解明であった「下垂体隆起葉」と呼ばれる部位から分泌される甲状腺刺激ホルモン(TSH)が、脳に作用しDIO2遺伝子を活性化することで、脳に春を伝える「春告げホルモン」として働いていることを見出した(3)。 教科書には下垂体から分泌される甲状腺刺激ホルモンは、その名が示す通り、「甲状腺を刺激するホルモン」として記述されているが、発見駆動型の網羅的な研究手法を採用したおかげで、古くから良く知られている甲状腺刺激ホルモンというホルモンに、「春告げホルモン」という予想外の働きがあることが明らかになった。その後の様々な動物を使った研究で、ウズラで明らかにした仕組みが哺乳類にも広く共通する仕組みであることが明らかになっている。 メダカの研究から明らかになった色覚の季節変化我々の研究の特徴は、ユニークな環境適応戦略を持つ様々な動物にスポットライトをあてることで、動物に普遍的な生命現象を解明する点にあり、これまで20種類以上の動物を扱ってきた。その中の一つがメダカであるが、我々は屋外の自然条件下でメダカを飼育する過程で、メダカの行動が冬と夏では大きく異なることに気が付いた。すなわち、夏はメダカが水槽の中、全体を活発に動き回るのに対して、冬は水槽の底でじっとしているのである。この行動の違いに興味を持ち、原因を明らかにするためにいくつかの行動実験を行った。 一般的に魚類は、強い光をあてると、その光を避ける「負の走行性」を示す。そこで水槽の横から光を照射してみると、夏の環境で飼育したメダカは光を避けたのに対して、冬の環境で飼育したメダカは無反応だった。つまり、光に対する感受性が夏と冬では異なることが明らかになった。次に我々は、眼の光感受性が異なるのなら、色の見え方も違うのではないかと考えた。そこでコンピュータグラフィクスを駆使して作成したリアルなヴァーチャルメダカをスクリーンに映して、メダカの反応を見ることにした。ヴァーチャルメダカの体色を変えてメダカに提示してみたところ、メダカの色覚が夏と冬で異なっていることが明らかになった。そこでメダカの眼で何がおこっているかを調べてみたところ、驚いたことに、眼の光受容器が冬にはあまり働いていないことが明らかになったのである(4)。その後、論文を検索してみたところ、仕組みはわかっていないものの、ヒトにおいても目の光感受性や色覚が季節によって変化するという報告があることに気がついた(5)。そのため、メダカで明らかになった仕組みが我々ヒトにも備わっているかもしれない。 ヒトの季節性疾患の理解と克服にむけて普段あまり意識することがないかもしれないが、実はヒトにおいても睡眠や、代謝、免疫機能、出産率などに季節の変化がある(6)。例えば、冬は眠りが深く、夏は眠りが浅い。また、心疾患、脳血管疾患、気管支炎、肺炎、さらには様々な精神疾患などが冬季に重症化することが知られている。さらに、自殺率に季節の影響があり、日照時間が密接に関係していることが国内外で明らかになっている。これには冬季にうつ様症状を示す冬季うつ病(季節性感情障害)が関与していると考えられている。冬季うつ病の症状として、抑うつ状態、倦怠感、食欲・体重の変化、睡眠・概日リズムの変化、社交性の低下、性欲の低下などがあげられる。これらの症状は冬眠する動物や、ある特定の季節にだけ繁殖活動をする「季節繁殖動物」の表現型とも似通っているため、冬季うつ病は冬眠や季節繁殖の名残りであると指摘する研究者もいるが、仕組みはわかっていなかった。興味深いことに、ヒトの冬季うつ病患者はうつを発症している冬季にのみ、眼の光感受性が低下することが報告されており、この症状は前述のメダカの表現型とも一致する。 近年、欧米では小型魚類が精神疾患のモデル動物として注目されており、メガファーマも積極的に取り入れているが、我々はメダカをモデルとして冬季のうつ様行動の分子基盤の解明に取り組んできた。ヒトと小型魚類が全く異なる動物であることは明白であるが、興味深いことに神経伝達物質やそれらの受容体は哺乳類と魚類の間で種を超えて高度に保存されている。またヒトの向精神薬を水槽の中に滴下することで、小型魚類の行動を調節できるのである。そこで、メダカの行動を丁寧に観察してみたところ、冬に社会性が低下し、不安様行動を示すことが明らかになった。さらに、冬のメダカの脳においてはヒトのうつ病でみられるような神経伝達物質の変化や炎症反応が起こっていることが明らかになった。また、メダカの冬季のうつ様行動を改善する薬を探索したところ、冬にメダカの社会性を改善するような中国伝統医薬も見つかった(7)。今後の研究でヒトの冬季うつ病を克服するような薬が開発されることが期待される。 概日時計のしくみ2017年のノーベル生理学・医学賞は「概日リズムの分子機構の解明」という業績に対して、米国のショウジョウバエの研究者3名に授与された。概日リズムは原核生物のシアノバクテリアから、植物、ヒトに至る地球上のほぼすべての生物に存在する仕組みである。ショウジョウバエやマウスなどの研究から概日時計は「時計遺伝子」と呼ばれる遺伝子群の転写翻訳のフィードバックループによって刻まれることが明らかになった。驚いたことに、ショウジョウバエもヒトも相同な遺伝子を使って時を刻んでいるのである。 概日時計は私たちの全身の様々な細胞に存在する。ただし、全身のすべての細胞の概日時計が対等な関係にあるわけではなく、視床下部に存在する「親時計」がオーケストラの指揮者の役割を果たし、その他の全身の細胞に存在する「子時計」を制御している。アメリカの東海岸に行くと、多くの人は1週間くらい時差ボケに苦しむが、これは、視床下部の親時計は比較的早く現地の時間に同調できるものの、末梢組織の子時計が現地の時間に同調するのに1週間くらいかかるためである。 概日時計とブルーライトさて、概日時計は本来、24時間から少しずれた時を刻むため、時間の手がかりのない洞窟の中などでは、内因性の時計の周期にそって、毎日、時計が24時間からずれていく。例えば、真っ暗闇の中では、マウスは23.5時間程度のリズムを刻むため、放っておくと毎日起きる時間が早くなるが、ヒトは25時間程度のリズムを刻むため、毎日起きる時間が遅くなる。そのため、ヒトを含む動物は毎日太陽光を浴びることで、約24時間周期の概日時計を地球の自転周期の24時間にリセットしているのである。近年、ブルーライトをカットする製品が話題になっているが、これは概日時計をリセットするのに一番有効な光の波長が480 nmの青色光だからである。つまり、概日時計を狂わせずに、健やかに寝たいなら、寝る直前に青色光を含む明るいモニターやスマホを見ないほうが良いのである。 概日時計と疾患近年の研究から、マウスに慢性的に時差ボケを経験させると寿命が縮まったり、腫瘍の成長が加速したりするという衝撃的な事実が明らかになっている。また、シフトワークや時差ボケ状態が慢性的に続くと、睡眠障害や不規則な食生活はもちろんのこと、糖尿病、肥満などの生活習慣病や心疾患、がん、うつ病などの慢性疾患のリスクを高めることも明らかになってきた。これらの慢性疾患においては複数の代謝経路や情報伝達系が阻害・亢進されており、単一のタンパク質やパスウェイをターゲットとする薬による治療は難しいと考えられる。したがって、概日時計をターゲットとして治療をすれば、概日時計の支配下にある様々なパスウェイを同時にコントロールすることが可能になるため、慢性疾患に対する創薬の新たな標的として概日時計が脚光を浴びている(8)。現在、概日時計を標的とした薬の探索が行われているため、将来、様々な疾患を未然に防ぐ薬が開発されるかもしれない。 参考文献
略歴
平成5年名古屋大学農学部卒業、平成7年日本学術振興会特別研究員(DC1)、平成8年名古屋大学大学院・農学研究科中退、名古屋大学農学部助手、平成11年博士(農学)、平成17年名古屋大学農学部助教授、平成20年~現在名古屋大学大学院・生命農学研究科教授、平成25年~31年基礎生物学研究所客員教授、平成25年~現在名古屋大学ITbM教授、平成29年~現在日本学術会議連携会員、平成21年日本学術振興会賞、平成22年英国内分泌学会国際賞、平成27年アメリカ甲状腺学会バンミーター賞など サナテックメールマガジンへのご意見・ご感想を〈e-magazine@mac.or.jp〉までお寄せください。 |
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