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![]() 酵母のストレス応答機構の解明と殺菌技術に関する研究
![]() 岐阜大学 応用生物科学部
教授 岩橋 均 1.はじめにストレス応答とは、生物が外部からの刺激により、平常状態から逸脱し、その結果おこる合目的的な応答と著者は考えています(1)。ただし、平常状態をどう定義するかは、TPOに依存します。北海道の人が、真冬にオーストラリアに出かけると、暑くてストレスを感じるかもしれません。逆にオーストラリアの人が冬に北海道に来れば寒冷ストレスとなり得ます。従って、平常状態から、逸脱効果を生物に与えたときにストレスが加わったと、著者は定義しています。この定義ですと、良い影響もストレスとしてしまうことになりますが、ストレスの善し悪しは見方によっては異なることもあります。このため、良いかもしれない影響もストレスとして考えています。また、ストレスを定義するよりも、平常状態を定義する方が難しいこともあります。このため、ストレスの状態を評価するときは必ず平常状態を定義しておき、その再現性を確認しておく必要があります(2-4)。陰性対照の重要性です。また、より正確に評価する場合は陽性対照も必要です。毒性ストレスを評価するとしたら、類似の毒性物質と比較する必要があります。健康食品などでは、今評価している食品よりも効果のある食品や医薬品を陽性対照として評価する必要があります。 ![]() 図1 ストレス応答の網羅的解析 2.実用化を目指したストレス応答の網羅的解析ストレス応答の評価は、ストレス付加前(標準状態・陰性対照)と付加後に、遺伝子発現量等を網羅的に測定し評価を行います。このとき、与えるストレスとその生物種により、与えられたストレスの意義が異なってきます(図2)。例えば、ガン細胞に、ある薬剤を与えます。この薬剤により、ガン細胞がストレスの結果死滅した場合、その死滅に至る原因を網羅的遺伝子発現解析で詳細に解析すると、抗ガン剤としての活用が期待される場合もあります。我々のグループでも、ある抗ガン効果を高める治療法の開発をしており(7)、医師主導治験に入ろうとしています。ガン細胞に影響を与える物質や条件は、山のようにあります。ガン細胞に影響が有れば何でも抗ガン剤というわけではありません。そのメカニズムが明らかになり、初めて抗ガン剤として利用できる可能性が出てきます。同じように、ナノ粒子は抗ガン剤として利用できるという報告が多く出されていますが、残念ながら実験のミスによる結果がほとんどです。ストレス応答の詳しい生物学的な意義付けを網羅的に解析することで、実験ミスの原因が分かっています。ストレス応答を解析して、実験の際に気をつけなければいけないことが、これまでに多数報告されています(11)。ナノ粒子の影響評価をする場合の正しい評価法については、現在では、網羅的な解析結果等を基にストレス応答の評価法が、国際標準機構で定められています(11)。残念ながらこの標準を満足させる、ナノ粒子に関する毒性や抗ガン性の報告はほとんど無いのが現状です。ストレス応答を詳しく解析することで、実験の不備が見つかることはよくあることです。このように、ストレス応答を網羅的に解析することで、その実験の正当性や再現性についても議論することが可能であると考えています。 ![]() 図2 網羅的ストレス応答解析の出口 3.酵母に対するストレスは抗菌剤や殺菌効果として利用できるこれまでご紹介したストレスを受ける生物は、高等生物でした。微生物でもストレスを感知することはあります。微生物にとってのストレスは、人間からすると抗菌剤であり、食品などの保存法として利用できる可能性があります。我々は、これまでに、出芽酵母を用いて数百種類のストレスを微生物に付与し、その応答についても網羅的に観察してきました。このうち再現性が確認された50種類程度のストレス応答に関しては、網羅的な解析結果をGEO(Gene Expression Omnibus)に登録しています(12)。 4.殺菌剤・殺菌技術としてのストレス応答各論4.1.伝統的な殺菌技術殺菌技術として最も普及しているのは熱殺菌技術です。120度の殺菌技術は今でもこれに勝てる簡易な技術は開発されていません。 4.2.静水圧を用いた殺菌技術静水圧も熱と同様に殺菌技術として利用することは可能です。180MPa、0度では、昇圧後すぐに降圧しても、60%程度まで生菌数が低下します。この状態からの細胞の修復を1時間程度の回復培養条件で観察すると、ユビキチン-プロテアソーム系、Hsp104等のタンパク質代謝に関わる遺伝子が誘導されました(19)。メタボロミクスによる評価では、グリシン、バリン、イソロイシン、ロイシン、チロシン等の膜貫通型タンパク質の膜貫通ドメインを構成する主要なアミノ酸が有意に蓄積されていました(20)。これらの結果は、酵母の死につながる高圧損傷は細胞膜構造をターゲットとする損傷であること、およびその損傷からの膜タンパク質代謝を中心とする修復過程の重要性を示しています。著者はこの分野の研究を30年程基礎研究として続けており、ようやく、なぜ高圧で微生物が死ぬのかという課題の解決の糸口が見えてきたところです。 4.3.炭酸ガス圧を用いた殺菌技術ビールやコーラの炭酸ガス圧、数気圧程度でも殺菌効果が期待できます。我々は、微高圧炭酸ガス圧殺菌技術と呼んでいます(21)。微高圧炭酸ガス殺菌技術はpHの低下に従って、殺菌効果が飛躍的に高まっていく特徴があります。低いpHでは、炭酸イオンが炭酸分子になり、炭酸分子としての細胞阻害が高まるためと推定されています。よく炭酸イオンによるpHの低下効果が原因では、という意見を頂きますが、化学的には正しくありません。果汁のpHは3.5以下が多い事が知られていますので、果汁の殺菌に適した技術であるということができます。微高圧炭酸ガス圧殺菌の最も特徴的な点はその高温依存性にあります。微高圧殺菌技術は高温殺菌の効果を高めることができるからです。酵母を指標微生物として、少し強めの炭酸ガス圧力、5MPa程度で、25度程度に温度を上げると、40度程度の熱効果に相当する殺菌効果が観察されます。50度にまで上げると、ほぼ生菌数はなくなってしまいます。通常酵母にとって30度はちょうど良い生育温度です。 5.おわりに本誌では、酵母のストレス応答機構を解明することで、新しい殺菌、及び静菌技術開発が可能になることを紹介させて頂きました。ストレスと言うと悪い印象を持たれる方も多いかとは思います。しかしながら、見方を変えるだけで、抗ガン剤の開発、殺菌剤の開発、健康影響評価等様々な出口があることを理解していただけたら本誌の意味があると思っています。まだまだ出口はあるはずです。アイデアがありましたらお知らせ下さい。 文献1 岩橋 均: 環境ストレス応答の主役達 低温生物工学会誌 52: 55-59, 2006 2 Mizukami, S., Suzuki, Y., Kitagawa, E., Iwahashi, H.: Standardization of cDNA microarray technology for toxicogenomics; essential data for initiating cDNA microarray studies. Chem-Bio Info. J. 4: 38-55, 2004. 3 Iwahashi, H., Kishi, K., Kitagawa, E., Suzuki, K. and Hayashi, Y.: Evaluation of the physiology of medaka as a model animal for standardized toxicity tests of chemicals by using mRNA expression profiling. Environ. Sci. Tech. 43: 3913-3918, 2009. 4 Takahashi, J., Misawa, M., Iwahashi, H.: Oligonucleotide microarray analysis of age-related gene expression profiles in miniature pigs. PLoS One. 6(5): e197612011. 5 岩橋 均: 微生物起源DNAマイクロアレイを用いた環境ストレスの網羅的解析(総説). 環境バイオテクノロジー学会誌 5: 9-16, 2005. 6 Momose, Y. and Iwahashi, H.: Bioassay of cadmium using a DNA microarray: Genome-wide expression patterns of Saccharomyces cerevisiae response to cadmium. Environ. Toxi. Chem. 20: 2353-2360, 2001. 7 Takahashi, J., Misawa, M., Murakami, M., Mori, T., Nomura, K., Iwahashi, H., 5-Aminolevulinic acid enhances cancer radiotherapy in a mouse tumor model. Springer Plus 2:602 2013 8 Takahashi, J., Waki, S., Matsumoto, R., Odake J., Miyaji, T., Tottori, J., Iwanaga T., and Iwahashi, H. Oligonucleotide microarray analysis of dietary-induced hyperlipidemia gene expression profiles in miniature pigs. PLoS One. 7: e37581, 2012 9 原田暢善, 岩木 直, 岩橋 均: 連続的疲労負荷過程における血液中で発現する生理的疲労関連遺伝子の検討. 第6回日本疲労学会, 2010(大阪) 10 Takahashi J., Misawa, M., Iwahashi, H. Gene expression profiling can predict the fate of HeLa cells exposed to X-ray irradiation with or without protoporphyrin accumulation Genomics Data, 5, 192–194, 2015 11 ISO/TC229/TS19337; Nanotechnologies - Characteristics of working suspensions of nano-objects for in vitro assays to evaluate inherent nano-object toxicity 12 Iwahashi, H. Pressure-Dependent Gene Activation in Yeast Cells High Pressure Bioscience and Biotechnology, Akasaka K. and Matuki, H eds Springer 13 Iwahashi, H., Kitagawa, E., Suzuki, Y., Ueda, Y., Ishizawa, Y., Nobumasa, H., Kuboki, Y., Hosoda, H. and Iwahashi, Y.: Evaluation of toxicity of the mycotoxin citrinin using yeast ORF DNA microarray and oligo DNA microarray. BMC Genomics 8: 95,2007. 14 岩橋 均,重松 亨:「暮らしに役立つバイオサイエンス」放送大学教育振興会刊 15 岩橋 均: マイクロアレイを用いた環境ストレスの影響評価. 地球環境と放射線:生態系への影響を考える 村松康行編. 研成社(東京), pp. 151-161, 2003. 16 Kitagawa, E., Akama, K., and Iwahashi, H.: Effect of Iodine on global gene expression in Saccharomyces cerevisiae. Biosc. Biotech. Biochem. 69: 2285-293, 2005. 17 竹内, 秀雄; 飛田, 収一; 吉田, 修; 上田, 朋宏尿路感染予防における塗銀抗菌カテーテルの有用性の検討. 泌尿器科紀要 39: 293-298, 1993 18 大橋 静江, 山本 宏治, 銀を含有するシリカガラスの抗菌性,歯科材料・器械 16: 241-248, 1997 19 Iwahashi, H., Shimizu, H., Odani, M. and Komatsu, Y.: Barophysiology of Saccharomyces cerevisiae from the aspect of 6,000 gene expression levels. Trend High Press. Biosci. Biotech. 19: 239-246, 2002. 20 Tanaka, Y., Higashi, T., Rakwal, R., Shibato, J., Wakida, S. and Iwahashi, H.: The role of proteasome in yeast Saccharomyces cerevisiae response to sublethal high-pressure treatment High Press. Res. 30: 519-523, 2010. 21 原田暢善, 岩橋 均, 大淵 薫, 田村勝弘: 中国産クコ果汁に対する二酸化炭素ガス微高圧長期処理 「高圧バイオサイエンスとバイオテクノロジー」 pp96-100, 2008. 22 松岡寛之, 栗林 努, 鈴木福英, 岩橋 均, 荒尾敏明, 鈴木良尚, 田村勝弘: 酵母DNAマイクロアレイを用いた二酸化炭素の影響評価 「高圧力下の生物科学」 金品昌志、田村勝弘、林力丸 編集、さんえい出版 pp 193-200, 2006. 略歴岩橋 均(イワハシ ヒトシ) サナテックメールマガジンへのご意見・ご感想を〈e-magazine@mac.or.jp〉までお寄せください。 |
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