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残留農薬分析におけるGCMSマルチ定量データベースの利用について
「知の拠点あいち」重点研究プロジェクト研究員
愛知県衛生研究所 医薬食品研究室長 
上野 英二

1. はじめに

食品に残留する農薬等のポジティブリスト制度が平成18(2006)年5月に導入され、広範の農薬の一斉分析を可能とすべく、四重極型の質量分析計を装備したGC-MS(gas chromatograph-mass spectrometer、ガスクロマトグラフ-質量分析計)、さらにGC-MS/MS(gas chromatograph-tandem mass spectrometer、ガスクロマトグラフ-タンデム質量分析計)などのMSを用いた一斉分析法が普及している。特に、最近のMSはハード面の改良に加えて、制御・解析ソフトウエアの性能が大きく向上し、残留農薬の一斉分析への適用性をいっそう高めてきている。しかし、複雑な夾雑物(マトリックス)の中から、微量かつ性状多岐にわたる農薬のみを分離して定量することは、GC-MS/MSをもってしても決して容易なことではない。一斉分析法は、できるだけ多くの農薬を検出可能とする条件で開発されているためにサンプル精製が不十分になりやすいうえに、MSはイオン化阻害を始めとしてマトリックスの影響を受けやすいといった欠点を有している。このため著者は、GC-MS測定での感度変動に加えて、サンプル調製における農薬の損失をキャンセルするための手法として、分析対象農薬の安定同位体(サロゲート物質)を内部標準に用いた一斉定量法を検討してきている1)。そして、「知の拠点あいち」重点研究プロジェクト2)の成果物の一つとして、数百種類もの標準品を用いることなく残留農薬を簡易かつ迅速に検出し、半定量を可能とするGCMSマルチ定量データベース法3)を開発し、平成25(2013)年11月に発表したので、その概要を紹介する。

2. サロゲート物質

サンプル液をMSなどで測定する直前に内部標準物質を添加するシリンジスパイクに対して、サンプルからの抽出や精製前に内部標準物質を添加することをクリーンナップスパイク、そしてクリーンナップスパイクに用いる安定同位元素標識物質を一般にサロゲート物質(surrogate)と呼んでいる。なお、図1にフェンバレレートとエスフェンバレレート-d7の例を示したように、放射性でなく安全な安定同位元素として、主に重水素(dまたは2H)や炭素13(13C)を分子内に導入した農薬が安定同位元素標識農薬である。

MS測定の直前に添加する内部標準法では、注入量の誤差やイオン化効率の変動などを補正できるが、サンプル液の調製操作における農薬の損失は補正できない。しかし、サロゲート物質として対象農薬とほとんど同一の挙動をする安定同位元素標識農薬を用いれば、マトリックスによる妨害やコンタミ以外のほとんどを補正することが可能であり、分析技術などに左右されることなく、より正確な分析値が得られる。

3. 複数のサロゲート物質を用いた一斉定量法

農薬の性状は多岐にわたっており、例えば、厚生労働省から通知されている“GC-MSによる農薬等の一斉試験法(農産物)”によって分析すると、(1)塩基性物質のイマザリルは、グレープフルーツなど酸性試料からの抽出率が低下しやすい、(2)水溶解度の高いアセフェートは、塩析による水層分離操作において損失しやすい、(3)揮発性の高いジクロルボスは、減圧濃縮の際に揮散しやすい、(4)イソキサチオンは、GCのインサート(およびカラム先端)がクロロフィル色素などで汚れると、この部分に吸着しやすいなど、その挙動は大きく異なる。特に、(5)GC-MS/MSはコリジョンセル内での衝突誘起解離によるイオン量の減少に加えて、高感度ゆえに低濃度レベルでは、サンプル流路内において、より吸着を生じやすく定量性に難のある農薬も少なくない。このため著者は、経験的にサンプル調製およびGC-MS測定での挙動が近似していると考えられる農薬をグルーピングし、各グループに対して一般に入手が可能であり、物性が近いと考えられる十数種類の安定同位体標識農薬(イマザリル-d5、アセフェート-d6、ジクロルボス-d6、イソキサチオン-d10、エスフェンバレレート-d7など)をサロゲート物質として割り当てた一斉定量法を報告している4)

4. GCMSマルチ定量データベース法

著者は、限られた人員および機器等で効率的かつ効果的な試験検査を行うために、種々の食品から高頻度に検出される農薬、違反事例があるなどの農薬を選択し、複数の分離・検出法を併用した系統分析法を構築している。しかし、平成20(2008)年1月に発覚した中国製冷凍ギョーザ事件もあって、想定外を含む、より多くの食品と農薬を対象とする一斉分析法も必要とされている。このため同年、数百種類もの農薬標準品を用意して試験のつど検量線を作成しなくても、迅速にスクリーニング分析が可能とされる検量線データベースを用いたGC-MSによる一斉分析法について検証し、その発展性について報告している5)。すなわち、従来の検量線データベース法は、

ナフタレン、フェナントレン、フルオランテンといった安定な多環芳香族炭化水素などのd体を内部標準として、主に保持指標による内標割り当てが行われている。これは環境汚染物質など比較的安定な物質には有効な方法である。しかし、様々な物性を有する残留農薬の定量には向いていないと考えられる(図2-A)。そこで、GC-MSによる一斉定量のために必要なサロゲート物質として20種類程度を選抜し、平成24(2012)年3月までに試薬メーカー様に混合標準溶液を開発していただき、安定した供給体制が確立される見込みを見極めた上で、これらサロゲート物質を物性データに基づいて数百種類の農薬に割り当てて定量する技術“クロマトグラフを用いたマルチ定量分析方法”を開発した(図2-B)。なお、本サロゲート物質の中に、p,p’-DDT-d8始め化審法における第1種特定化学物質など何かと重い規制のかかる物質は選抜しなかった。
 そして、平成25(2013)年11月に、保持指標で農薬を定性し、各農薬に特異的な2~3つのイオンの強度比を確認したうえで、上述の技術に基づいて予め作成しておいた検量線で定量し、さらにマススペクトルによりマトリックスの存在にも着目しながら確認するといったGCMSマルチ定量データベース法を発表するに至っている3)。しかも、本データベース法は、高マトリックス食品に対応すべく、分離特性の異なる2種類のキャピラリーカラムを装着したGC-MSによりSIM/スキャン同時取込モードで製品化され、さらに、GC-MS/MSのMRMモードでも同時に製品化されている。

5. おわりに

本稿執筆中の平成25(2013)年12月に、国内で製造された冷凍食品から高濃度のマラチオンが検出される事案が発生した。これにより中国だけでなく、国内でも冷凍ギョーザ事件のような事案が発生する可能性が十分にあり得ることを世間に知らしめることとなった。本マルチ定量データベースを組み込んだGC-MSシステムは、農産物などの残留農薬検査や、加工食品の出荷前検査、健康被害事例への検査対応での活用が見込まれ、食の安心・安全において、食料品の生産・製造業界、流通業界などへの貢献が期待される。

参考文献

1) 上野英二:サロゲート物質の食品中残留農薬分析への利用について、 食衛誌49、
J-309-J-313(2008).

2) 「知の拠点」 食の安心・安全技術開発プロジェクトについて(愛知県衛生研究所ホームページ

3) 「知の拠点あいち」重点研究プロジェクトにおいて残留農薬が簡単に調べられるソフトウエアを
開発しました (愛知県ホームページ

4) Ueno, E., Oshima, H., Saito, I., Matsumoto, H., Yoshimura, Y., Nakazawa, H., Multiresidue analysis of pesticides in vegetables and fruits by gas chromatography/mass spectrometry after gel permeation chromatography and graphitized carbon column cleanup. J. AOAC Int., 87, 1003-1015(2004).

5) Ueno, E., Kabashima, Y., Oshima, H., Ohno, T., H., Multiresidue analysis of pesticides in agricultural products by GC/MS coupled with database software. Shokuhin Eiseigaku Zasshi(J. Food Hyg. Soc. Japan), 49, 316-319 (2008).

略歴

上野英二(うえの えいじ)

「知の拠点あいち」重点研究プロジェクト研究員 愛知県衛生研究所 医薬食品研究室長、
農学博士 (専門分野)食品の理化学分析

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