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水銀条約(水俣条約)の条文案合意を機に
現行の魚介類中メチル水銀への対応を考える
元・国立医薬品食品衛生研究所食品部長
米谷民雄

I.はじめに

水銀は常温で唯一の液体の金属で、有害金属の代表として知られている。環境中には火山活動による放出もあるが、人の産業活動などによる放出の方が多く、年間約2000トンに達する1)。大気中への放出の最大の要因は、途上国などで行われている小規模金採掘(artisanal-small scale gold mining、ASGM)時のアマルガム法による精錬である。国連環境計画(UNEP)の2013年報告書では727トンと全体の35%を占める1)。次が石炭燃焼による474トンで、全体の24%と推定されており、火力発電所からの放出が大きい。大気中への放出全体を地域別にみると、東・東南アジアがトップで約40%を占めている1)
 一方、日常生活用品においても水銀式体温計・血圧計、蛍光灯・水銀灯、水銀電池などに現在でも広く使用されている。そのため不心得者が一般ゴミに水銀含有製品(産業廃棄物)を不法投棄すると、焼却炉の停止という事態におちいってしまう。このような環境を汚染する水銀から地球を守るための国際条約(水銀条約)の条文案が合意された。はじめに、それについて概説する

 

II.水銀条約採択までの道筋

UNEPは2001年以来、地球規模での水銀対策について議論し、UNEP水銀プログラムを実施してきた。そして2009年2月の管理理事会において、法的拘束力のある国際的な水銀管理に関する条約を制定することが合意され、政府間交渉委員会(INC)を設置して議論してきた。今年2013年1月13日〜18日に最終のINCとなるINC5がスイスのジュネーブで開催され、水銀条約の条文案が合意された。その結果が2月18日〜22日開催の管理理事会に報告され、条約を採択・署名するための外交会議と関連行事が、2013年10月7日から11日まで熊本市と水俣市で開催される予定になっている。
 この交渉過程においてわが国は、水俣病の教訓を生かして水銀による健康被害や環境破壊がくりかえされることがないよう、交渉やリスク低減に積極的に貢献していく方針を示し、さらに条約の名称を「水俣条約」とすることを提案した。2010年5月の水俣病犠牲者慰霊式で、当時の鳩山首相が水銀汚染防止への取組みを世界に誓うとともに、水俣条約の名称提案を公言されている。しかし、日本は水銀の輸出国でもあり、水銀の輸出を停止し、水俣病の被害者をすべて救済するまでは、そんな提案をする資格はないという反対意見も、当然ながら国内であった。
 なお、条約は50カ国が批准してから90日後に発効するが、UNEPでは2016年発効を目標にしている。

 

III.条文案の主な内容2)

条文案においては、前文(水俣病を教訓とした水銀への対策が必要である旨が記載)と目的(水銀および水銀化合物の人為的排出から健康と環境を保護する)に続き、以下のような具体的措置が書かれている。
1.水銀の供給と貿易の削減
1)鉱山からの水銀産出については、新規鉱山開発は条約発効後禁止、既存鉱山からの産出は条約発効15年後に禁止。
2)水銀の貿易(金属水銀の貿易のみに限定し、水銀化合物は対象外)については、条約で認めた用途、環境上適正な保管に限り許可。輸出するには輸入国の事前同意が必要。
2.水銀使用製品への措置
1)電池、一定含有量以上を含有する一般照明用蛍光ランプ、非電化の計測機器(体温計、血圧計、気圧計など)は2020年までに製造・輸出・輸入を禁止。チメロサール含有ワクチンなどの適用除外品目あり。
2)歯科用アマルガムについては、使用等の削減の措置を講ずる。
3.水銀を使用する製造プロセスでの削減
1)水俣病を発生させた水銀を使用するアセトアルデヒド製造プロセス(水銀触媒を用いたアセチレンへの水和反応)は2018年までに禁止、苛性ソーダ製造プロセスでは2025年までに水銀の使用を禁止。(国により必要ならば10年までの延長可)
2)塩ビモノマー、ポリウレタン等の製造プロセスにおける水銀使用削減のための措置を講ずる。
4.小規模金採掘(ASGM)
 ASGMが行われている条約締約国では、水銀の使用や環境中への放出を削減し、可能ならば廃絶するための行動をとる。
5.大気、水・土壌への排出、放出の制限
1)大気中への排出では、石炭火力発電所等を対象に、新設施設・既存施設別の排出削減対策を実施。
2)水・土壌への放出では、放出源を特定して放出限度値の設定などを実施。
6.一時保管、廃棄物対策、汚染地対策
7.資金援助、技術支援
 このような措置が書かれているが、他の国際条約の例に漏れず、何をどの程度規制するかについて南北間の意見対立があった。

 

IV.条約の問題点と日本の課題

1.石炭火力発電所からの水銀排出制限が各国での総量規制ではなく施設毎の規制であるため、施設数が増えれば当然ながら排出量が増加してしまう。
2.先進国側の意見になるが、小規模金採掘(ASGM)に関して、水銀使用を速やかに禁止するような内容にはなっていない。
3.水銀汚染場所の修復や被害者の補償を、汚染者に義務づけていない。わが国における水俣病への対応が海外にはどのように映っているのか若干心配になる結果であり、何のための条約かと疑問に思わせる。
4.わが国では水銀を使用しない製品や技術を開発してきた結果、水銀の使用量が1964年の約2500トンから2005年の約10トンにまで大幅に減少した3)。水銀の回収も進んだ結果、最近では年100トンの水銀を輸出しているが、条約で水銀が輸出できなくなると保管量が毎年増加していく。放射性物質の場合と同様に、安全な保管技術と保管場所が求められることになる。 

 

V.魚介類中メチル水銀に対する対策の経過と残されている課題

さて、水銀条約では水銀の使用について、地球環境や健康影響の観点から廃絶までの年限や削減措置が示された。では、水俣病の原因となった魚介類中メチル水銀への安全対策の現状はどうであろうか。これまでの経過4)と今後の課題について、私見を述べさせていただく。

1.暫定的規制値の設定

水俣病の発生が最初に報告されたのは1956年5月とされ、1968年9月になり国はチッソ工場からの廃水中に含まれる有機水銀が原因であると認め、水俣病を公害病と認定した。1973年 6月に東京・築地市場のマグロ・カジキ類の多くから高濃度の水銀が検出され大問題となったが、その年の7月に国は「魚介類の水銀の暫定的規制値」5)を示した。総水銀0.4 ppm、メチル水銀0.3 ppm(水銀として)という規制値である。
 ただしこの暫定的規制値は行政指導の指針にとどまっており、法的強制力はない。放射性物質の暫定規制値とは名称は似ているが、扱いは全く異なっている。規制値は主に、JECFAによる当時のメチル水銀に対する暫定的摂取量限度(体重60 kgで0.2 mg/人/週)が基になっており、その値を日本人の体重(50 kg)に換算して0.17 mg/人/週とし、国民の最大平均魚介類摂取量で割って算定されている。
 しかし、この暫定的規制値では適用除外魚種として、マグロ類(マグロ、カジキおよびカツオ)、内水面水域の河川産魚介類(湖沼産の魚介類は含まない)、深海性魚介類等(メヌケ類、キンメダイ、ギンダラ、ベニズワイガニ、エッチュウバイガイおよびサメ類)という広範囲の魚種が示されている。高濃度に水銀を含有するが摂取量は少ないと考えられた魚種に加えて、1965(昭和40)年に確認された第二水俣病(新潟水俣病)を考慮してか内水面水域の河川産も除外されている5)
 なお通知では、規制値の運用においては、妊婦および乳幼児とマグロ類などを多食する人に対しては食事指導を行なわれたい、と注意書きが添えられている。5)

 

2.「水銀を含有する魚介類等の摂食に関する注意事項」の公表

その後ミレニアムの年になり、事態は世界的に動き出した。2000年に米国NRC(米国研究評議会)はEPA予算への報告書において、メチル水銀のreference dose(生涯にわたり毎日暴露しても有害な影響が起きないと推定される一日暴露量)を0.1 μg/kg 体重/日と報告した。それをうけて翌2001年に米国FDAは妊婦等によるメカジキ等の摂取につき食事指導の勧告をだし、次の年(2002年)にはカナダや英国も同様の勧告をした。
 2003年6月にはJECFAがメチル水銀に対する暫定耐容週間摂取量(PTWI)を3.3 μg/kg 体重/週から1.6 μg/kg 体重/週へと変更したが、わが国においても同年6月に厚生労働省が「水銀を含有する魚介類等の摂食に関する注意事項」を公表した。妊婦が魚介類を摂取する上で注意すべき魚介類の種類と摂取回数の目安が示された。この時に対象とされた魚種は、暫定的規制値で適用除外とされた魚種が多い。厚生労働省が注意事項における対象魚介類の追加を検討した際の審議会資料6)においても、平均値においてさえ暫定的規制値を超える魚類、クジラ類、貝類が多く示されている。特に、クジラ類の高い水銀濃度については、以前から警告もされている7,8)
 この最初の注意事項は2003年6月3日に開催された薬事・食品衛生審議会食品衛生分科会乳肉水産食品・毒性合同部会で審議されたものであるが、それに先立つ2003年1月16日の薬事・食品衛生審議会毒性・ダイオキシン特別合同部会において、@妊婦、若齢者、魚介類多食者等のハイリスクグループに関して水銀摂取量の推計を行うこと、A適切な食事指導の内容等必要な方策について検討すること、が合意されていたところであった。その特別合同部会では、私の前任者が研究代表者として実施した厚生科学特別研究による「鯨由来食品のPCBと水銀の汚染実態調査結果」9 )が報告されたが、今後も農水省と連携して、@鯨類(特にハクジラ類)についてさらに汚染実態調査を行うこと、A鯨由来食品での鯨の種類と捕獲海域の表示を指導すること、が提案され了承されていた。ハクジラ類(歯クジラ類)は歯のあるクジラ類で、魚類やイカ類を餌としているものである(歯の代わりにヒゲ板があるのがヒゲクジラ類である)。
 このように、暫定的規制値を越える魚介類等(クジラ類を含む)が市場で流通・販売されているため、妊婦以外でもメチル水銀を多く摂取する階層については、実態調査と指導が必要と考えられる。

 

3.魚介類中のメチル水銀分析法

公定分析法5)に問題があり、メチル水銀の分析値が低値になることは周知のことである。公定法を用いる必要がない場合には、環境省法10)などを採用することが考えられる。分析法が告示法であり、暫定規制値の値にも関係するため、永年手つかずにされてきた課題である。

4.安全確保のための摂取量調査

JECFAは2010年に、それまで総水銀として設定してきたPTWIに代えて、新たに無機水銀としてのPTWIを4 μg/kg 体重/週と設定した11)。EFSAも同じ値に設定している12)
 わが国では食品中の有害金属に対して個々の食品に基準値を設定するのではなく、食品からの摂取量を調査することにより安全性を確認している。このために厚生労働省は永年にわたり水銀に関しては総水銀としての水銀摂取量を調査してきた。しかし、JECFAがPTWIを無機水銀とメチル水銀で設定したため、日本人の摂取量調査においても無機水銀とメチル水銀で調査することが求められる。メチル水銀については寄与の大きい特定の食品群に限定して分析するなどの方策も考えられる。魚介類では総水銀の値を近似的にメチル水銀の値とすることも可能かもしれないが、総水銀に占めるメチル水銀の割合が低いクロカジキなどの例もあるので注意が必要である。逆に、魚介類では多量のメチル水銀存在下に無機水銀を分別定量する必要がある。
 メチル水銀については摂取量調査の結果をPTWIと比較すると、あまり安全性に余裕がないという計算結果になる。たとえば厚生労働省調査による2007年の日本人の総水銀一日摂取量は7.34 μgであり、そのほとんどを魚介類から摂取しているため、仮に総水銀量をメチル水銀量と仮定してPTWIとの比を求めると64%にも達する。食品安全委員会による耐容週間摂取量(TWI、2 μg/kg 体重/週)と比較してもその50%に達する。しかし、PTWIやTWIは胎児への影響という観点から設定されているため、一般成人の摂取量をそれらと単純に比較すると、当然ながら過大な評価となる。そのため、クジラ類を含む魚介類等を多食する人ではどれくらいメチル水銀を摂取すると健康影響が懸念されるのかについて、魚介類摂取の有用性を含めて、リスクコミュニケーションが必要かもしれない。

 

5.おわりに

EUのRoHS指令は水銀等の6物質(水銀、鉛、カドミウム、六価クロム、PBB、PBDE)を規制対象にしており、2006年7月以降は指定された最大許容値を越えて水銀を含む電子・電気機器は上市できなくなっている。UNEPにおいても第25回管理理事会(2009年2月)で鉛とカドミウムについて議論がなされている。これらのことから、今回の水銀条約に続いて、今後さらに新たな物質の国際条約制定に向かうことも予想される。
 日本はカネミ油症事件を契機に化審法を制定し、それが国際的なPOPs条約(ストックホルム条約)につながった実績をもつ。今回の水銀条約に入らなかったが、日本は「汚染者負担の原則」を明記するよう主張していたとされている。水俣条約の名称提案や「汚染者負担の原則」の主張を、水俣病に対する国の固い決意のあらわれと思いたいものである。

 

文献

1)UNEP:Global Mercury Assessment 2013. Sources, emissions, releases and environmental transport. (2013)
2)環境省:「水銀に関する条約の制定に向けた政府間交渉委員会第5回会合」の結果について(お知らせ)(2013)
3)環境省:日本における水銀の需給状況と最新技術によるリスク削減のための取組(2007)
4)米谷民雄:魚中の水銀という古くて新しい問題 食品衛生学雑誌44(2), J189-J191 (2003)
5)厚生労働省:魚介類の水銀の暫定的規制値について(1973)
6)厚生労働省:妊婦への魚介類の摂食と水銀に関する注意事項における対象魚介類の追加について(案)(2010)
7)原口浩一、遠藤哲也、阪田正勝、増田 義人、Simmonds M.:鯨肉製品における重金属及び有機塩素系化合物の汚染実態調査 食衛誌41, 287-296 (2000)
8)Endo T, Haraguchi K, Hotta Y, Hisamichi Y, Lavery S, Dalebout ML, Baker CS.: Total mercury, methyl mercury, and selenium levels in the red meat of small cetaceans sold for human consumption in Japan. Environ. Sci. Technol., 39, 5703-5708 (2005)
9)厚生労働省:鯨由来食品のPCB・水銀の汚染実態調査結果について(2003)
10)環境省:水銀分析マニュアル(2004) 
11)JECFA:Evaluation of certain contaminants in food (Seventy-second report of the Joint FAO/WHO Expert Committee on Food Additives). WHO Technical Report Series, No. 959 (2011)
12)EFSA Panel on Contaminants in the Food Chain:Scientific Opinion on the risk for public health related to the presence of mercury and methylmercury in food. EFSA Journal 10(12):2985(241pp.)(2012)

 

著者略歴

京都大学薬学部卒、同大学院薬学研究科博士課程修了。環境庁国立公害研究所、厚生労働省国立医薬品食品衛生研究所に勤務後、2012年度まで静岡県立大学食品栄養科学部・大学院食品栄養環境科学研究院特任教授。

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