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食の安全と安心を考える
神戸大学大学院医学研究科
微生物感染症学講座感染治療学分野
岩田健太郎

最近、日本の飲料水大手メーカーは、ペットボトル入りのミネラルウォーターの賞味期限を月単位で表示し、無駄な廃棄を減らすような試みを行うと発表しました。
 現在、日本では食品の無駄な廃棄が問題になっています。上掲の記事によると国内で廃棄される年間約1800万トンの食品のうち、まだ食べられるものは500〜800万トン含まれているのだそうです。例えば、平成23年度の米の国内生産量が856万6千トンですから、廃棄される食品がいかに多いか分かります。よく、食料自給率が日本では低いという議論になりますが、これだけ無駄な廃棄があることのほうがはるかに大きな問題のようにぼくには思えます。ちなみに、日本の食料自給率は平成23年度で39%となっていますが、これはカロリーベースの計算で、しかも家畜への餌などを含んでいます。生産額ベースでの自給率は66%ですから、「自給率が低い」と断じてしまうのは問題です。このへんの事情は浅川芳裕さんの「日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率」(講談社プラスアルファ新書)に詳しいです。

農林水産省データ
 (閲覧日2013年2月28日)

さて、話を戻します。そもそも、賞味期限とは美味しさも含めた品質が保持される期間であり、それを過ぎたからといって直ちに安全性が損なわれるわけではありません。食品の安全について過度に神経質になり、まだ食べられるものも捨ててしまうような習慣が問題視されるようになったのはよいことだと思います。食の安全はもちろん大切なことですが、あまり極端で神経質な安全主義はよくないのです。
 極端で神経質な安全主義は、最近の日本ではよく見られていました。昔は食べ物を床に落としても「3秒ルール」とかいってわりと平気で食べていました。昔の日本は現在に比べてはるかに貧しかったので、「もったいない」という思いも強かったでしょう。でも、昔の日本は安全に関して比較的寛容だったのではないかと思います。それは「熟度」と呼んでも良いでしょう。
 そのような「熟度」は20世紀の終わり頃からだんだん失われてきたように思います。そのころにはもはや冷蔵庫は憧れの存在でもなんでもなく、一人暮らしの学生でも持っているのが当たり前の存在になりました。コンビニエンスストアで夜中でも新鮮な食べ物を購入することが可能になりました。輸送技術の進歩で劣化した食べ物を目にすることはなくなりました。
 海外に行くと、先進国でも途上国でも食べ物がもっと「雑」に扱われています。例えば、アメリカのデリカテッセンなどでカビたお菓子を店頭に見かけることは珍しいことではありません。途上国ではもっと過激で、南米やアジアの国々に行くと商品たる食品にハエがたかっていたりします。日本でこんな商品が店頭に並んでいたら、ヒステリックな金切り声で苦情が寄せられることでしょう。
 このように、日本では諸外国に比べて食品衛生において極めて進んだ国になりました。ところが、不思議なことに食の安全性が技術によって高められれば高められるほど、日本人の食の安全に対する不安感は増幅されているようなのです。そして、それは極端で神経質なレベルに達してしまったのです。
 安全性への過度な希求が、かえって安全性を損なってしまうことがあります。例えば、強迫神経症という病気があります。水道から水が漏れていないか、ガスの元栓が閉められているか、何度も何度も確認しないと気がすまなくなる病気です。もちろん、水道やガスの栓を確認するのは大切なことです。しかし、それを何度も何度も何度も繰り返さないと気がすまず、それをしないと心臓がドキドキし、冷や汗が止まらず、体調を崩してしまうまでに不安が増幅されてしまうと、これは自らの健康にとって有害です。過ぎたるは及ばざるが如し、なのです。
 「河豚は食いたし命は惜しし」という言葉があります。昔の人も食の安全について無知だったわけではなく、それなりの安全策もとっていました。しかし、極端で神経質で、ヒステリックなまでに安全性を希求するのは、ちょっと品性を欠いている、とも考えていたでしょう。ほどほどには安全は担保しましょう。でも、あんまりうるさいことばかり言って、人生の楽しみもみんな失っちゃあ、そもそも生きている意味が無いじゃあないか。このような諧謔が上記の「河豚は、、、」の表現となったのだと思います。このような粋な配慮、熟度のある判断が、昔の日本にはあったのではないでしょうか。
 ぼくは「「リスク」の食べ方 食の安全・安心を考える」(ちくま新書)という本の中で、2011年のレバ刺禁止騒ぎを取り上げて検討しました。2011年4月、富山や福井などで牛の生肉(ユッケ)を食べ、その中の腸管出血性大腸菌による食中毒で5人が死亡しました。これをうけ、厚生労働省は牛のレバ生食、いわゆるレバ刺を禁止にしたのです。レバ刺を食べて腸管出血性大腸菌による食中毒で死亡した人は、日本では皆無です(少なくとも、知られている限りでは、そうです)。なぜ、牛肉を食べて起きた食中毒が、レバ刺の禁止につながってしまうのか、ぼくには理解できませんでした。
 理論的な懸念はあります。牛の肝臓には大腸菌がいますから。でも、実被害はないのです。そして、実被害のある食べ物は規制もなく、野放しになっているのです。
 例えば、「餅」がそうです。毎年、多くの高齢者が正月になると餅を喉につまらせて窒息死しています。毎年4千人以上の人が食べ物を喉につまらせて窒息死していますが、その大半は高齢者で、最大の原因は「餅」なのです。
 死亡事例のないレバ刺は規制して、死者が毎年定期的に発生している食物は規制しない。このダブルスタンダードはどこから来ているのでしょうか。食中毒と窒息という「死因」の違いでしょうか。死んでしまえば、どちらも同じ、と考えるぼくのほうがおかしいのでしょうか。
 リスクに対する極端で神経質なまでの安全要求は、実はこのような「他のリスクに対する完全なる無関心」を生んでいます。逆説的ですが、そうなのです。
 2009年に「新型」と呼ばれたインフルエンザが流行した時、多くの人はパニックに陥り、新聞やテレビは大々的に報道し、どうやったらこの感染症の流行を抑えることができるのか侃々諤々の議論になりました。
実は、インフルエンザの流行を抑えることなど造作も無いのです。簡単です。インフルエンザは「飛沫感染」といって、人と人との距離が2メートルくらいの間でツバキやくしゃみがウイルスを運び、感染を成立させるのです。つまり、この「2メートル」の距離を完璧に担保すれば、あなたがインフルエンザに罹ることは絶対にありません。要するに、一般的な人間関係、コミュニケーションを遮断し、家に引きこもっていればよいのです。あなたが、インフルエンザになる可能性は、ここでゼロになります。皆がそうすれば、流行はあっというまに収まります。
 もちろん、こんな施策は世界中のどこでもとられることはありませんでした。確かにインフルエンザは健康のリスクです。しかし、それは圧倒的で無茶苦茶なリスクではありません。ほとんどの人は、インフルエンザになっても数日の発熱で自然によくなってしまうのですから。そのような比較的御しやすい病気を恐れて人との交流を拒み、家に引きこもってしまうなんて「割にあわない」のです。だから、我々はインフルエンザに罹るリスクを甘受しつつも、電車に乗り、職場に行き、学校に行って社会生活を維持したのでした。
 割にあわない。これがリスクと付き合う熟慮ある考え方です。食べ物のリスクをゼロにしたいのなら、生野菜、生肉、生魚(刺身、寿司を含む)を完全に拒否しなければなりません。のどにつまらないよう、ペースト状の、古典的な宇宙食みたいな食べ物を摂っていれば食べ物由来の健康被害はほとんどゼロに出来ます。問題は、それが「割に合うか」です。問題は、そんな人生が、本当にあなたの人生でよいのか、ということです。
 2013年、ぼくの目から見ると、日本人は少しずつ「熟慮」を取り戻しつつあるように思います。同調圧力の強い団塊の世代。テレビ・新聞の報道に一喜一憂する同調圧力の強い世代からの世代交代がその一因だと考えています。現在では、テレビも見ず、新聞も読まない世代が増えています。ぼくもその1人です。皆が同じように振舞わなければならない、という同調圧力が、熟慮を困難にし、極端で神経質で、ヒステリックな反応を助長するのです。
 いきなり空から隕石が落ちてくるような世の中です。どこにどんなリスクが潜んでいるのか、完全に予見することは不可能です。また、そのような予見を一所懸命しようとするなら、強迫神経症のような精神状態に陥ってしまいます。それはそれで健康上のリスクです。リスクから逃げていてもダメなのです。リスクを直視し、それと向き合う勇気を持つこと。「熟慮」をもつこと。それこそが、団塊の世代、テレビ・新聞による同調圧力で平均的に均された日本人を乗り越え、ほんとうの意味で「生きる」意味を見出す世代の生き方なのだとぼくは思っています。

略歴

岩田 健太郎(いわた けんたろう)(Kentaro Iwata, MD, MSc, FACP)
神戸大学大学院医学研究科微生物感染症学講座感染治療学分野 教授
神戸大学都市安全研究センター感染症リスク・コミュニケーション研究分野 教授

1997年島根医科大学(現・島根大学)卒業。沖縄県立中部病院研修医、コロンビア大学セントクルース・ルーズベルト病院内科研修医を経て、アルバートアインシュタイン大学ベスイスラエル・メディカルセンター感染症フェローとなる。2003年に中国へ渡り北京インターナショナルSOSクリニックで勤務。2004年に帰国、亀田総合病院(千葉県)で感染内科部長、同総合診療・感染症科部長歴任。2008年より現職。

 

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