財団法人 食品分析開発センター SUNATEC
HOME >味覚受容機構の解明が拓くおいしさ研究のグローバル化
味覚受容機構の解明が拓くおいしさ研究のグローバル化
(独)農研機構 食品総合研究所 日下部 裕子
はじめに
 昨今、にわかに自由貿易協定に関する協議が突如加熱している。自国の商品を他国へ売りだすことで自国を何とか活性化させたいというそれぞれの国の熱い想いが伝わり、焦りを感じる方も少なくないのではなかろうか。産業のグローバル化に関しては食品産業も例外ではない。農産物そのものを輸出するだけでなく、自国の農産物を食品素材や食品に加工して輸出する動きが世界中で増加しているように見受けられる。加工の際に狙うのは「高付加価値化」である。安全性や高機能性もさることながら、最終的に消費を左右するのは何と言っても「おいしさ」であろう。しかしながら、「おいしさ」ほど設計に困るモノはないではなかろうか。「おいしさ」は感情表現であり、環境に大きく左右される。グローバル化を視野に入れた場合は、特に食文化の違いによる「おいしさ」の感じ方の差が大きい。食に対する表現方法の差がその代表例であろう。私たちは自分たちの好きな味に対しては多数の表現を持っている。例えば、日本は「うま味」や「こく」などの複雑な味に対して多数の表現を持ち、中国には辣・麻・辛など辛味に対して複数の表現を持つことが知られている。他国に受け入れられる食品を開発するには、このような文化的背景を乗り越える必要があろう。そのための一つの手段が食品の品質に対する科学的定義付けではないかと筆者は考えている。「おいしさ」の要因は多数あるが、中でも味に関しては、2000年以降の10年間で、味覚受容体が次々と発見されるなど科学的解明が著しく進捗した。そこで、味に関する科学的用語、すなわち全世界で共通する味の用語についてと、近年の味覚受容機構の解明について紹介させて頂きたい。
味に関する科学用語と日常用語のギャップ
 科学的に味を考える場合、味は「基本味」と「それ以外の味」に大きく分けられる。基本味とは現在では味蕾という舌を中心とする口腔内にある味を受容する器官によって受容され互いに明確に区別できる味という定義づけがなされている。この定義に合致するのは現在のところ、甘味、苦味、酸味、塩味、うま味の5つである。その中でうま味の取り扱いには注意を要する。うま味は基本味として1980年頃から国際的に認識され始めた比較的新しい基本味の要素の一つであり、学術用語で「umami」と表記される。umamiの定義は「グルタミン酸が呈し、イノシン酸、グアニル酸などの核酸で増強される味」であり、その他の物質の味を含んでいないが、このことは意外に知られていない。一方、食品添加物を扱う方々の指し示す「旨味」という用語には貝の味であるコハク酸などの有機酸などを始めとする「おいしさ」を呈する味一般が含まれる場合が多い。学術用語「うま味」が日常で美味しさを感じた時に表現する日本語の表現「うまい」を由来するのがこの混同の原因であるが、「うま味」という表現を使用する時は、国内外問わず、使用する方々間での定義が一致するかどうかを確認しておく必要があろう。
 さて、基本味以外の味は、味蕾を介さないというだけで、これらも立派に食品の品質を表す「味」の要素である。辛味、渋味、えぐみなどがこのカテゴリーに含まれる。近年新しい味の要素として着目されているのが「コク味」である。国際的にも「kokumi」の標記で論文が発表されるようになってきており、世界で通じる言葉となってきつつある。何とも言えぬ深い味の「こく」という日本語の表現から派生した用語であるため、日本人には定義をしっかり説明しないと混乱が生じるおそれがある。「コク味」は世界に浸透し始めたところであり、その定義について正確に述べるのは難しいが、「その物質自体には味がないものの、他の食品中に添加することで食品の味の厚さ、持続性、広がりを引き出し、甘味、うま味、塩味を増強させる作用をもつ味」という表現が多く用いられている。「コク味」物質としては現在のところ、グルタチオンを始めとするγグルタミル化ジペプチドあるいはトリペプチドや糖とペプチドの反応産物であるメーラードペプチドが該当すると考えられる。うま味やコク味はアジアに浸透している味であるが、逆に欧米人になじみのある味もある。金属味はスプーンなどの金属類を口にくわえた時に生じる不快な味であるが、この味は欧米人に馴染みがある。日本人に金属味の説明をすると、その理解には幅があるように感じられる。このように、食文化、環境、遺伝的背景による味のとらえ方や感受性に差があるということも今後の食品開発には重要な視点となると考えられる。
どうやって私たちは味を感じるのか?
 舌で感じた味がそのまま脳に行くと誤解される方もいらっしゃるが、よく考えればおわかりの通り、最終的に味を判断するのは脳であり、舌から脳に至るまでの間に味の情報は統合や修飾などの過程を経て伝達される。口腔内は味を受け取る場所で情報がインプットされる場である。味は主に二種類の方法で受け取られる。一つは舌を中心とする口腔内に点在する味蕾という器官で受け取られる基本味であり、もう一つは舌の表面近くまで伸びてきている神経の末梢部で直接刺激として受け取られる基本味以外の味である。基本味は味蕾中の味質に特化した味細胞中の味覚受容体によって受容され(図1)、受容の情報は細胞内に伝達されて細胞が興奮し、味神経に味を受容した信号が伝えられる。味神経に伝えられた情報は延髄の孤束核にまず伝達され、次々と神経間に伝達される過程で統合や修飾を受け、大脳の味覚野で最終的に味と認識される。また、味の情報は、内臓などにも伝達され、消化吸収などにも寄与することが知られている。
図1.味を受け取る器官、味蕾の舌上での位置とその詳細図。味蕾は左上図に示した乳頭とそれ以外に軟口蓋などにも存在している。右図は、味蕾とその周辺の細胞を示す。味蕾は数十個の味細胞(色のついた細長い細胞)と基底細胞(味細胞の下にある肌色で示した細胞)から構成されている。 味細胞は、基本味をそれぞれ別個に受容し、シナプス結合している味神経にその情報を伝える。一方、味蕾の近傍にある自由神経終末が基本味以外の味を受容する。
今までに解明された味覚受容体
 2000年に苦味受容体が発見されたのを皮切りに、味覚受容体が次々と明らかになって来ている。今年の始めに塩味受容体も明らかにされ、基本味の受容体は一応一通りでそろったことになる。受容体の発見に至るまで、味覚の研究者は様々な生化学的・生理学的を行って、その実体を予測してきた。その中で、甘味、苦味、うま味はGタンパク質共役7回膜貫通型受容体であり、酸味と塩味の受容体はイオンチャネル型の受容体であろうとの予測があったが、同定されてみると、正にその通りであった(図2)。味質に対する味覚受容体の種類は様々で未解決な部分も多い。甘味はこれまでに一種類のみが同定されており、人工甘味料も糖も結合することが明らかにされている。苦味受容体はヒトでは25種類あり、苦味受容体と苦味物質の対応については徐々に示されつつあるものの、まだ大部分が未解明である。うま味受容体は一種類が世界的に広く認められているが、他にも候補がいくつか存在しており、未解明の部分が残されている。酸味受容体も同様に一種類が広く認められているが、他の候補受容体も相互作用する可能性が示唆されている。塩味受容体は、一種類が同定されたが、同時に塩味受容体は少なくとも2種類あることが示唆されている。塩味には塩味の美味しさを伝える分子と高塩濃度の危険を知らせる分子の2種類があることが予想されており、今年始めに同定された一種類(ENaC)は、塩味の美味しさを受け取る分子であるとされている。
 基本味以外の味についても、受容体がいくつか明らかにされている。辛味は味細胞を介さず味蕾の近傍にある神経の自由終末によって受容されるため、痛覚・触覚などの体勢感覚の一部という形で研究が行われているが、受容する分子は一部の味覚受容体と同様チャネルを介して受容される。辛味の受容体は2種類明らかになっている(図2)。唐辛子の辛味成分であるカプサイシンを受容すると開くチャネルとマスタードオイルやわさびの辛味成分を受容すると開くチャネルである。カプサイシンの受容体は熱刺激によっても開き、マスタードやわさびの辛味成分に対する受容体は冷刺激によっても開く。唐辛子の辛さは熱く、芥子やわさびの辛さは冷たい、という感覚は実感として理解していただけるのではなかろうか。また、最近「第6の基本味の候補」としてカルシウムイオンの味の受容体の存在が示唆されている。このカルシウムイオンの味の受容体の候補の一つとコク味を呈するγグルタミル化ジペプチドの受容体が重複することなど興味深い知見が近年発表されているが、不明な点も多く残されており、一般には理解しづらい「カルシウムイオンの味」は「味」として浸透するのか今後の展開に注目したい。
【基本五味】
【基本味以外の味】
図2.現在までに明らかにされている味覚受容体と受容体に結合する主な味物質。ここに挙げた以外にも多数の味覚受容体候補が存在するが、ここではその代表例を図示する。これらの受容体分子は培養細胞に受容体遺伝子を導入することや、遺伝子欠損動物を解析することで、味覚受容体であることが証明されている。
味覚受容体の解明は食品産業にどのように貢献できるか
 以上のような味覚受容体の解明に加えて、味覚受容体研究から新たな味物質の機能も明らかにされつつある。例えば、グルタミン酸の呈するうま味はイノシン酸で増強されることは良く知られている現象であるが、うま味受容体にこの増強作用を担う部位があることが明らかになったことをきっかけに、甘味受容体にも同様の増強作用を担う部位があることが明らかにされ、甘味増強物質というものの同定も行われている。このような新たな視点にたった新規味物質の開発は、味覚受容体の解明がなくては成しえなかったことであろう。また、国を超えた味の評価を行う際には、学術的な用語は共通言語として品質設計の橋渡しをする可能性が高いと考えられ、同様に、科学的な裏付けのある品質評価は信頼性の高い製品の創出に繋がると期待される。
終わりに
 うま味、コク味、といった日本語を由来とする味の用語が世界標準用語になりつつある。味にこだわる日本人であるからこそ、世界に先行してきたのであり、今までこの分野を牽引してきた日本の研究者には頭の下がる思いでいる。その一方で、このような日本人が得意としてきた味質についても、世界中が着目して熾烈な研究競争が繰り広げられている。是非とも、今後の食品の品質に関する研究に着目していただき、世界中どこでも通用するおいしさの要素は何か、その発生メカニズムを含めた理解を深めて世界に通用するおいしい食品の開発に利用していただければと考えている。
著者略歴

日下部 裕子(くさかべ ゆうこ)
1998年東京大学大学院農学生命科学研究科修了(博士(農学))。同年、農林水産省食品総合研究所研究員。2001年 独立行政法人食品総合研究所 研究員、2004年 独立行政法人食品総合研究所 主任研究官を経て2006年4月より 独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構 食品総合研究所 食品機能研究領域 食認知科学ユニット ユニット長 現在に至る。専門は、味覚受容に関する分子生理学的研究。

他の記事を見る
ホームページを見る

サナテックメールマガジンへのご意見・ご感想を〈e-magazine@mac.or.jp〉までお寄せください。

Copyright (C) Food Analysis Technology Center SUNATEC. All Rights Reserved.