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米トレーサビリティ法
社団法人食品需給研究センター 酒井 純
 本年(2010年)10月1日より、米トレーサビリティ制度がはじまった。すでに取引等の記録の作成・保存の義務が始まっており、来年7月1日からは、対象品目の米の産地を情報伝達する義務が開始する。
 精米・玄米などの米そのものだけでなく、米粉・米こうじのような原材料、おにぎり・お弁当のような米飯類、さらに、もち、だんご、米菓、清酒、単式蒸留しょうちゅう、みりんなど、さまざまな食品が対象となっている。それらを扱う事業者に広く、生産者から小売・外食にいたるまで、義務が適用される。
1 トレーサビリティとは
 法律の正式名称は「米穀等の取引等に係る情報の記録及び産地情報の伝達に関する法律」1 である。法律の名称には「トレーサビリティ」という言葉はなく、法律の本文にもない。しかし、制度の検討段階から、テーマはトレーサビリティ、それに加えて産地情報伝達であった。
 食品のトレーサビリティは、「生産、加工および流通の特定の一つまたは複数の段階を通じて、食品の移動を把握できること」2 と定義されている。これはFAO及びWHOにより設置された政府間機関であるコーデックス委員会が2004年に採択した定義3の和訳である。2007年発行のISO 220054でもこの定義が使われている。米トレーサビリティ制度の骨格を2008年10〜11月にかけて検討した「米流通システム検討会」5でも、この定義に基づいて議論が行なわれた。
 トレーサビリティを確保する、つまり食品の移動を把握できるようにするためには、フードチェーンの各段階の事業者が、食品を取り扱った記録を残す必要がある。各段階の事業者の記録をたどることにより、追跡することができる。
 ただ、トレーサビリティにはさまざまな程度がありうる。問題が発生したときに、どれくらいの時間でその移動を把握できる必要があるか。生産者から消費者までのフードチェーンのうち、どこからどこまでの範囲で移動を把握する必要があるか。遡って調査をするときに、どれくらいの細かさまで原料やその生産者・生産場所を特定できる必要があるか。どのような問題発生に備えるかによって、どのような性能のシステムを用意すべきかが変わってくる。
 日本では2010年現在、牛肉と、これから解説する米・米加工品を除けば、トレーサビリティのための記録を作成・保存しておき追跡調査の必要に応じて政府機関に提供する、という義務はない6。どのようなトレーサビリティを確保するかは、基本的には各事業者の自由である。日々の記録作成等のコストと、問題発生時のダメージを回避できる効果とを比較して、また顧客の要請に応じるメリットとデメリットを考えて、どの程度のトレーサビリティを確保するかの経営上の判断をすることになる。
 法律による義務がある品目の場合には、すべての事業者が、法律が定める一定の水準のトレーサビリティ確保をする。それ以上の取組みをするかどうかは事業者の判断、ということになる。
1 http://www.maff.go.jp/j/soushoku/keikaku/kome_toresa/pdf/hou26.pdf
2 「食品トレーサビリティシステム導入の手引き」第2版、2007年3月、
  http://www.fmric.or.jp/trace/tebiki/tebiki_rev.pdf
3 英文は次のとおりである。traceability: the ability to follow the movement of a food through specified stage(s) of production, processing and distribution
4 ISO 22005:2007 飼料及びフードチェーンにおけるトレーサビリティ−システムの設計及び実施のための一般原則及び基本要求事項
5 http://www.maff.go.jp/j/study/ryutu_system/
6 2003年に導入された食品衛生法第3条2と3は、記録の作成・保存と、政府機関への方法提供を求めているが、努力義務に留められている。また食品衛生上の危害の発生の防止に必要な限度において、と目的を限定している。
2 制度の背景と目的
 米トレーサビリティ制度の検討のきっかけは、2008年8〜9月に発覚し大きく報道された、事故米穀の不正流通事件である。農林水産省は、アフラトキシンやメタミドホス等に汚染された米穀やその加工品の販売先を調査した。その調査において、事業者が販売先を特定するための記録がないケース、記録を処分したと主張したとして提供しないケース、さらには記録の提供を拒否したケースがあった。そのために、販売先の特定に日数がかったうえに、すべての販売先を特定するには至らなかった。
食品として安全上問題があるとされた事故米穀については、この事件を受けて、工業用であっても国内市場に供給されず、返送または廃棄されることになった。しかし、米の不正流通は今後も発生しうる。まず、輸入米に778%という高い関税をかける一方で、無関税で入ってくる安価なミニマムアクセス米が存在する。また主食用米の価格を安定させるために、一部の米を「加工用」「飼料用」と用途限定して安く流通させる制度がある。根本的には、こうした制度によって生じている価格差をなるべく是正していくことが必要であろうが、少なくとも当面は、事業者による表示や分別への協力と、政府の指導・監視により、不正流通を防ぐ必要があるだろう。監視といっても、ずっと米の流通を見張っているわけにはいかないので、記録に基づく検証が必要である。
 こうした直接のきっかけや、米流通特有の背景とは別に、食品全般について、最低限のトレーサビリティを確保すべき、また産地表示の対象を加工品にも拡大すべき、との主張がある。2000年ごろから食品の安全性に関わる大規模な事故が発生し、その報道を通じて消費者が不安を感じ、安全上問題がないはずの食品の流通まで妨げられる事態が発生していた。また、産地等の偽装事件も、繰り返し発生していた。それを受けて、EUや米国と同じく日本でも、すべての食品を扱う事業者に、入荷や出荷の記録の保存と、問題が発生した際の政府機関への情報提供を求める制度を設けるべきではないかとの議論があった7 。また加工食品の産地表示の対象拡大も検討されていた。
 こうした背景から、米と米加工品を対象に、入荷・出荷等の記録の作成・保存や、米の産地情報伝達を求める制度が検討されていった。米トレーサビリティ法は2009年4月に国会で可決・公布され、2009年11月に政令・省令が定められている。
7 例えば、2008年12月に当時野党だった民主党が2008年6月にまとめた「農林漁業・農山漁村再生に向けて 〜6次産業化ビジョン〜」 http://www.dpj.or.jp/news/files/20080611nouringyogyou.pdf
3 事業者の要件
 この法律による事業者の要件は、大きくわけて、「記録の作成・保存」と「産地情報伝達」の2つである8
(1) 記録の作成・保存
 事業者は、対象となる米や米加工品を入荷したときに、品名・数量・入荷年月日・取引先、搬入した場所を記録する。「加工用米」「飼料用米」のように、政府が用途を限定した米については、その「加工用米」「飼料用米」である旨を記録する。産地情報伝達が実施される2010年7月以降は、米の産地も記録する(ただし、米穀・米菓生地・米こうじ以外であって、最終的な一般消費者販売用の容器包装に入れられ、かつ、当該容器包装に原料米の産地が印刷等により表示されているものについては、産地の記録は必要ない。記録省令第2条第1項第2項)。また、対象となる米や米加工品を出荷したときは、品名・数量・出荷年月日・取引先、搬入した場所を記録する(法律第3条)。
そして、それらの記録を、原則として3年間保存する(法律第6条、記録省令第7条)。保存する媒体は、納品伝票のような書類でもよいし、受発注や物流管理のための情報システムでもよい。
 米トレーサビリティ法が検討されはじめたとき、「トレーサビリティには膨大なコストがかかる」「生産者ごとに分別管理しなければならないなら大変だ」といった懸念を受けた。しかし実際には、この記録の作成・保存の部分については、後に産地情報伝達の要件のところで述べる産地情報の記録を別にすると、「膨大なコストが生じている」という声をきかない。
 事業者間の取引において、品名・数量・年月日・取引先といった基本的な情報は、もともと記録されていることが多い。しかも、「税法上の証憑書類として、もっと長い期間、税務署に求められている」という事業者も少なくないだろう。
図1 入出荷の記録の作成
 この法律では、対象となる米や米加工品を、最大限どういう単位で把握すべきか(識別単位の定義)についての要求がない。例えば牛肉トレーサビリティ法は、飼養段階では1頭単位で識別し記録することが求められており、加工・流通の段階でも、1つのロットとして扱えるのは、最大50頭分までと決められている(ひき肉等を除く)。米トレーサビリティ法には、こうした識別単位の定義がない。それにともなって、「ロット番号」のような識別記号を原料や製品に表示したり記録したりする義務もない。
 また、「入荷したものと出荷したものの対応関係を明らかにするための記録」、いわゆる内部トレーサビリティについても、努力義務に留められている。
(2) 米の産地情報伝達
 米の産地情報伝達は、法律の対象となる製品に使われた米の産地の情報を消費者に伝達するよう販売者に対して義務付ける。表示だけでなく、店頭に掲示したり、電話・webで問い合わせに応えたりするなど、手段を選択することができる。外食のような、製品への表示が困難な場面でも、消費者への産地情報伝達が実現することが意図されている。産地は基本的は国名であり、国内産については県名など知られた地名でもよい。
図2 一般消費者への産地情報伝達の手段
出典:農林水産省「<パンフレット>米トレーサビリティ法の概要(平成22年3月版)」、2010年2月。
 http://www.maff.go.jp/j/soushoku/keikaku/kome_toresa/pdf/pmh-1021.pdf  
 この産地情報伝達の実行を巡っては、事業者の業種や取り扱い品目にもよるが、新たな負担を生じさせがちである。この産地情報伝達にともなう事業者の負担については別稿9で記したが、以下、代表的な負担について述べる。
 加工食品の原料として使われた米の産地が決まっていて変更が生じないならば、包装資材にあらかじめ産地を印刷しておくことにより、対応できる。しかし、特に米菓では、もともと国産米・輸入米の両方を使ってきた事業者が少なくない。同一の製品であっても、製造する時期によって米の産地が変わることがある。あらかじめ容器・包装に産地を印刷しておくわけにはいかないので、賞味期限日表示と同じように、製造ラインに印刷機を取り付けて、包装の直前または直後に印刷することになるだろう。この場合は、印刷機の導入と、日々の設定確認が必要になる。
 最終製品に産地表示をするのではなく、問い合わせ先やロット番号等を製品に明記したうえで、webで情報開示をする、または電話で問い合わせに答える、といった方法を取ることもできる。この場合は、製造業者がwebや電話問い合わせ窓口を設け、回答するための情報を用意する必要がある。そのうえ、製造業者が出荷する際に、産地(または産地がわかる記号)を記録しなければならない。卸売業者や小売業者も、最終製品に産地表示がない場合には、入荷・出荷のたびに産地(または記号)を記録しなければならない。
8 法律の対象品目や要件についての詳細は、農林水産省が作成し広報に用いている以下の資料を参照いただきたい。
 農林水産省「米穀等の取引等に係る情報の記録及び産地情報の伝達に関する法律、政省令の概要」2009年12月。http://www.maff.go.jp/j/soushoku/keikaku/kome_toresa/pdf/seisyou_rei_gaiyou.pdf
9 酒井 純「米トレーサビリティ法実施の負担と効果を考える」、「農業と経済」2010年11月号。
4 米トレーサビリティ制度の効果
(1) 記録の作成・保存の効果
 先に述べたように、ほとんどの事業者は、入荷や出荷の記録をもともとしてきた、と言ってよいと思われる。したがって、「もともとしていたことを、改めて法律で義務づけても効果があるのか」との疑問を持つ方もおられるかもしれない。
 筆者は、効果がある、と考える立場である。何か問題が生じたときに、この法律に基づいて、政府による立入検査等による追跡調査が行われる。事業者は、みずからに過失がなくても、安全上あるいは表示ルール上、問題のあるものを、そうと知らずに扱っている可能性がある。そうしたとき政府の追跡調査に協力することになるが、取り扱った食品を識別しておらず、内部トレーサビリティの記録やロット情報の記録がないならば、その時期に扱ったすべての原料や製品が、追跡調査の対象になりかねない。安全上問題があるならば回収対象にもなる。それは、事業者やその取引先にとって、大きな被害を生じさせる。そこで事業者は、義務づけられた記録だけでなく、いざというときに範囲を絞り込めるよう、内部トレーサビリティの改善を図る動機づけが高まる。
 また、産地情報伝達の信頼性を高めるために、取引上、原料の産地を特定できる程度の内部トレーサビリティは必要になった、と受けとめる方も多い。
(2) 産地情報伝達の効果
 一方、産地情報伝達の効果とは、どのようなものだろうか。消費者は、米加工品や、外食で提供されるご飯の産地を知ることによって、どのような、またどれくらいのメリットを得ることになるだろうか。
 JAS法にもとづく加工食品品質表示基準で定められた原料原産地表示は、原料の産地が品質に影響する、という理由で義務になっている。一方で、現在の日本の消費者が原料原産地表示を見るのは、安全上の判断をしたいから、さらには特定の国からのものを食べたくないから、との回答がほとんどだというアンケート結果がある10 。「食品の安全性は、製造者や販売者が確保し責任をとるものであり、産地は関係ない」との意見はもっともである。ただ、科学や制度を信頼して論理的に判断するだけでなく、過去の経験にもとづいて判断するのも、ある意味、合理的であろうと私は考える。
 こうした品質や安全性の判断のためだけでなく、みずからが所属する国や地域の(あるいは、自分の旅先の地域で作られた)生産物を食べたいという気持ちを持つ人も多いだろう。また、そうした消費者の選択に期待して、生産者が、産地表示を義務づけてほしいと考えるのも理解できる。
 しかし法律のなかでは、こうしたさまざまな産地表示義務の意図・効果について、あまり語らない。米トレーサビリティ法における産地情報伝達義務についても同様である。輸出国から産地表示が「コーデックス規格を上回る、不必要な非関税障壁」と見なされ、WTOに提訴される危険を避けるためであろう。しかし現実には、日本、それに韓国だけでなく、米国や欧州でも、産地表示を義務づける制度が整えられつつある11 。産地表示や産地情報伝達を、誰の何のためにするのか明らかにされなければ、義務を課せられる事業者には納得できない。
 米トレーサビリティ法の附則第5条第1項では、施行の5年後にこの法律の施行の状況について検討を加え、必要があると認めるときは、その結果に基づいて所要の措置を講ずることを求めている。また附則第5条第2項では、政府は、米・米加工品以外の食品を対象に、トレーサビリティのための記録の作成・保存を義務づけることについての検討と、加工食品の主要な原材料の原産地表示を義務付けることについて検討をし、必要ならば措置を講ずるよう、求めている。
 特に産地情報伝達については、新しい制度である。実施にともなって、その費用をなるべく定量的に明確にするとともに、消費者に産地情報が伝達されることの効果について議論し、そのバランスを考えることが、今後の大きな課題だと考える。
10 農林水産省「加工食品の原料原産地表示に関するアンケート調査」、2008年9-10月実施   http://www.maff.go.jp/j/jas/kaigi/pdf/kyodo_no40_shiryo_3.pdf
11 橋 梯二「食品の原産国表示の意義と国際貿易上の問題点」、『フリシス情報』、2010年10月。ここで公開されている。http://www.ab.auone-net.jp/~ttt/cooljapan.html
著者略歴

 1968年生まれ。1998年より食品需給研究センター勤務。2002年から食品のトレーサビリティに関する調査、システム設計、ガイドラインづくり等の業務を担当。農林水産省主催「米流通システム検討会」委員(2008年10〜11月)。

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