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パンのシンナー臭生成と工場の衛生管理
愛知学泉短期大学 食物栄養学科教授 内藤茂三
1.はじめに
 パンのクラストの水分は32〜35%でクラムの水分は40〜45%と比較的多いために極めて変敗しやすい。また最近のパンのソフト化志向により焼成方法も変わり、クラストの焼きが甘く、クラムの微生物変敗し易くなっている。生地中や焙炉中でのパン酵母の発酵や挙動、細菌の増殖により風味に影響を与える。これらの発酵生産物でパンの風味に関与するものはアルコール、有機酸、エステル、カルボニル化合物であり、主としてパンの焙焼工程における風味生成の前駆物質の役割が大きい。生地中で乳酸菌、大腸菌群による酸発酵は時間が長引くと過度に傾き、酸度の多い生地またはパンとなる。この時期にタンパク質分解酵素を産生する細菌が増殖すると生地の分解が進むためにガス保持力が低下し、粘性ある生地、不快な風味を生成する。パンにおける最も重要な変敗はカビである。カビは焙焼ですべて死滅しているが、焼き上げ後の冷却工程以降の工程で空中落下菌、器具付着菌等により二次汚染される。カビはパンの割れ目やスライスの間より増殖する。細菌による変敗で最も重要なものはバチルス菌によるロープ現象である。ロープ現象はバチルスの変異株のきょう膜で起こり、小麦粉のグルテンが本菌で分解され、同時にアミラーゼででん粉から糖が生成してその形成を助長する。最近のパン工場ではロープ現象やカビ以外の新しいパンの変敗に異臭生成が多発している。製造日の翌日に購入したパンがエタノール臭と共に弱いシンナー臭が生成し、一日放置すると強いシンナー臭が生成する現象である。この原因は工場からに二次汚染菌である酵母であった。従来のパンの微生物変敗はロープ菌とカビであったので、これらの微生物に対して工場のエタノール散布を中心とした衛生管理を行ってきた。工場にエタノールを多用した結果、エタノール資化性酵母が増殖してシンナー臭等の異臭変敗になったと考えられる。
2.パンのシンナー臭生成変敗現象
 パンのシンナー臭生成は製造工場の空中浮遊菌から二次汚染したPichia anomalaに起因するものであった。パン製造工場では従来からロープ菌やカビの変敗が多く発生するために、工場の殺菌の多量のエタノールを使用してきた。エタノールは細菌や多くのカビの生育阻止の効果を上げてきた。しかし、長期間エタノールを散布してきたためエタノールを資化して酢酸エチル(シンナー臭)を生成する酵母、Pichia anomalaが工場に生育してパンの異臭生成現象を発生させてきた。
2.1 酢酸エチル生成に及ぼす糖類の影響
 Pichia anomalaはエタノールに対して親和力が強く、これを炭素源として発育し、また強く酸化する特性を有する。エタノールは酵母の呼吸作用を促進するばかりでなく、酵母による酢酸エチル生成を増進する。酵母はブドウ糖を基質として生育する場合も、エタノール酸化能を有する。またこの場合、エタノールはアセトアルデヒド、酢酸、
アセチルCoAに酸化される。
 工場より分離した5菌株の洗浄Pichia anomala菌体のみを20日間培養しても、ヘッドスペイスガス中には揮発性成分は検出されなかったが、糖の添加により酢酸エチル、アセトアルデヒド、エタノールが検出された。その3成分間の量と比は使用菌株と糖の種類、培養時間により異なった。グルコースを炭素源とした場合はNo2とNo4株で大量の酢酸エチルの生成を認め、いずれも最大生成量を示した培養期間は48時間後であった。またエタノールが生成され、3日後に最大生成量を認めた。シュクロース、ラフィノースもグルコースとほぼ同様の傾向を示した。マルトースは酢酸エチル、エタノールの生成量はグルコースの約1/10であった。またいずれの菌株もラクトースを炭素源とした場合は酢酸エチル及びエタノールの生成は全く認められなかった。
2.2エタノールからの酢酸エチルの生成
 酢酸エチルが生成されると必ずエタノールの生成が認められるところから酢酸エチル生成にはエタノールが関与する。そこでエタノールから酢酸エチル生成能を検討するため5菌株の洗浄Pichia anomala菌体にエタノールを添加して酢酸エチルの生成を検討した。No培養48時間後の結果を表1に示した。培養24時間後にヘッドスペイスガス中の3〜26.4%が酢酸エチルとなり、48時間後ではさらに増加して24.3〜55.1%となった。しかし、培養を継続しても酢酸エチルの生成の増加は認められず、むしろ減少傾向を示した。エタノールは酢酸エチルの生成に伴って減少した。アセトアルデヒドは培養初期の24時間後に1.4〜4.5%認められたが、培養時間の経過とともに減少した。
表1 Pichia anomala菌体によるエタノールからの酢酸エチルの生成(48時間培養)
 
2.3 初発菌数の差によるエタノールから酢酸エチルの生成
 エタノールから酢酸エチルの生成は酵母菌体に含まれる酵素によるものであるから酵母菌体数の差異により酢酸エチル生成の変化が考えられる。今回、5菌株の洗浄Pichia anomala菌体を105〜109/mlに調整し、エタノールから酢酸エチル生成能を検討した。
 酢酸エチルは109/mlの酵母菌体が含まれる場合にのみ大量に発生したが、105〜108/mlではわずかしか認められなかった。いずれの菌株も同様の傾向を示し、エタノールの減少に伴い酢酸エチルが生成し、エタノールの減少傾向と酢酸エチルの増加傾向をよく一致した。
2.4 ピルビン酸から酢酸エチルの生成
 供試酵母菌体には糖からピルビン酸、アセトアルデヒド、エタノールを経て酢酸エチルが生成される生合成経路が予測される。そこでこの経路の中間物質であるピルビン酸を5菌株の洗浄Pichia anomala菌体に添加してアセトアルデヒド、エタノール、酢酸エチルの生成能について検討した。この3成分はいずれの菌株においてもピルビン酸から生成された。3成分の生成様相は菌株により大きく異なり、2つの様相を示した。一つのタイプはNo1菌株に見られるようにまずアセトアルデヒドが生成され(48時間後で44%)、除々に減少するに伴いエタノールが生成し増加する(144時間後で47%)。酢酸エチルはエタノールが除々に減少しはじめるに伴い生成量が増加した(480時間後で49%)。もう一つのタイプはNo5菌株に見られるようにまずアセトアルデヒド(48時間後で13%)、エタノール(48時間後で18%)、酢酸エチル(48時間後で32%)の3成分が同時に増加し、アセトアルデヒドは48時間培養以降減少した。しかしエタノールと酢酸エチルは144時間培養後で最大の生成量を示した。
表2 Pichia anomala菌体による酢酸から酢酸エチル生成(48時間培養)
 
2.5 酢酸から酢酸エチル生成
  エタノールから酢酸エチル生成には酢酸が関与していることが予測される。そこで5菌株の洗浄Pichia anomala菌体に酢酸塩(ナトリウム)及び酢酸を添加してアセトアルデヒド、エタノール、酢酸エチルの生成能について検討した。いずれの菌株も酢酸塩(ナトリウム)添加によりアセトアルデヒド、エタノール、酢酸エチルの生成を認めた。特に酢酸エチルの生成は顕著であった。酢酸を添加するとpHが低下して酵母の生育が遅延して3成分の生成速度が遅延した。酢酸塩添加によるアセトアルデヒド、エタノール、酢酸エチルの生成を表2に示した。
3.パン工場の衛生管理
 酢酸エチル生成にはエタノールの酸化による酢酸の生成が必要であり、酢酸エチル生成酵母にはエタノール酸化機能がなければならない。今回分離した5菌株のPichia anomalaはエタノール資化性が極めて強い。本菌株は糖類からアセトアルデヒド、エタノール、酢酸エチルを生成し、特にグルコース、シュクロースからの生成が著しい。酢酸エチルとエタノールは同時に生成されているところからエタノール発酵が行われている。工場の殺菌にエタノールや酢酸等の有機酸の使用は本菌の生育防止対策とはならない。
 パンはオーブン式か電極式で焼きあげられているが、電極式の場合は普通のパンと異なって外側がこげないように低温で焼くのが普通である。今回の場合は製造後数時間放冷後の製品を30℃で保存した場合、酢酸エチル臭は生成せず、工場で一夜放冷した製品に生成したところから、冷却時での二次汚染であった。しかし、近年のパンの焼成温度の低温、低時間化ではパンの中心部温度の低下により当該酵母が生存してシンナー臭を生成している場合もある。特に電極式で焼いているパンはその注意が必要である。パンの水分は35〜40%であり、酵母の生育には最適である。
 パンは製造後、消費されるまでの期間が短いために酵母やカビなどのよる変敗は比較的少ない。しかし、製造方法が異なると原材料の酵母、カビがそのまま最終製品に移行して変敗の原因となるケースも多い。製造工程中の二次汚染微生物はカビが最も多いがエタノール殺菌が徹底しているとエタノール耐性酵母による二次汚染もある。多くのパン工場は各工程が仕切られておらず、生地の原料混合、第1発酵、混合・分割丸目、成型、第2発酵、焼成、冷却、スライス、包装工程に至るまですべて同一の空間内で行なわれているため、各工程から検出されるカビ、酵母及び細菌の菌数は異なってもカビ、酵母及び細菌の種類はほぼ同じである。パンの変敗に関与する細菌を表3に示した。圧倒的にロープ現象に関与する細菌が多い。またパンの変敗に関与するカビを表4に示した。黒色斑点及び緑色斑点に関与するAspergillusPenicilliumCladosporium  が圧倒的に多い。
表3 パンの細菌
 
表4 パンのカビ
 
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