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腸炎ビブリオ食中毒発生がゼロとなる日(謎は解き明かされたか?)
財団法人食品分析開発センターSUNATEC理事長 庄司 正
消費者の認識と苦情の現状
  食中毒予防は、食品の衛生的な取扱いの徹底(5S:整理・整頓・清掃・清潔・習慣)はもちろんであるが、その病原体についてよく知ることが食中毒防止の大きな武器になる。知識ワクチンと呼ばれるものである。特に腸炎ビブリオ食中毒は、沿岸海水など海洋環境及び気象条件の変化と微妙に関係し、時にはゲリラ的に発生する。これに対抗するには、食中毒発生メカニズムの理解及びそれに基づく生鮮魚介類のリスク分析が営業者には強く求められている。
  さて、弊財団メールマガジン6月号において、腸炎ビブリオ(Vp)食中毒発生の謎を三つ紹介した。(1)沖縄県では発生しない!(2)同時多発する!(3)食中毒患者から分離される溶血毒産生Vpが原因食品から分離されない!であった。Vpは、1950年に日本で初めて発見されてから60年が経過し、今から10年前まで約半世紀にわたって日本で代表的な食中毒の原因菌として君臨し続け、旅館・ホテル・仕出し屋など飲食店営業ではその予防対策が大きな課題となってきた。しかし、これらのことが謎のまま続き、衛生対策の良好な施設でゲリラ的に発生する大規模Vp食中毒は、営業者の最大の脅威となっていた。
  Vp食中毒の謎が解明されて初めて真の予防対策に繋がる。そのためには最大の謎であるが、Vp食中毒の犯人である溶血毒産生Vpが食品中でどのように推移するかをつかまなければ、真の原因には迫れないだろう。小生が1995年4月に赴任した志摩保健所(現在伊勢保健所)において、Vp食中毒患者から分離した溶血毒産生Vp株(血清型H4:K8)を用いて様々な試験を行い、また過去に多発した各Vp食中毒事例について分析したのはそう考えたからである。このプロジェクトには、多くの関係者が賛同し、積極的に参加してくれた。6年間にわたって調査研究は続き、その成果は、平成13年に「Vp食中毒予防研修会みえ」を開催し公表した。
Vp食中毒予防研修会みえ報告書(資料を除く)
腸炎ビブリオ物語(資料を除く)
食品にはカビがどれくらいいるか−食品は無菌にあらず
(1)沖縄県では発生しない!⇒ 汽水域が存在しない!
  「Vpは汽水域に生息している!太平洋側では、干潮時に海水が残っている河川河口部にいる!
日本海側(鳥取・島根県)では、潮の干満が大潮でも約30cmしかないので、溶血毒産生Vpも河川河口部に生息するイシマキガイ(石巻貝)の稚貝から分離することができる。但し溶血は少し弱いが。」
  これは、琉球大学熱帯生物圏研究センター熊沢教眞教授(H7当時)のアドバイスである。当初は正直なところ信じられなかったが、これまでの謎をとく考え方として眼から鱗であったし、その後のフィールド調査では、まさにその通りの結論であった。6月号でも紹介したが、改めて汽水域とVp生息の関係についてスライドにまとめた。
汽水域とVp生息(スライド)
  まず安定した天候下における伊勢湾沿岸海水の定期的なVpモニタリング検査では、木曽三川の影響を強く受ける伊勢湾奥部では、塩分濃度の変動が大きくVp菌量も多かったが、伊勢湾開口部(太平洋)に近いほどVp菌量は次第に減少し、塩分濃度の変化のない太平洋では年間を通じて全く分離されなかった。また、かき養殖で有名な的矢湾は、3本の河川流入があるせいだろう、伊勢湾奥部と同様の傾向であった。スライドに示したように、伊勢湾開口部に行くに連れ白糖分解菌によって培地の色が黄変化していくのが印象的であった。やはりVpは、河川水の影響を受けて塩分濃度が低下する、いわゆる汽水域に生息することが分かったのである。
  さらに、伊勢湾に注ぐ主要河川のイシマキガイのVpモニタリング検査では、干潮時に海水が残っている河川河口部に生息するイシマキガイでは、Vpの菌量も1万から10万CFU/腸管1gであった。しかし、伊勢湾の潮の干満差は大潮で2mを超えるのである。従って、河川流量が多く干潮時には川床が河川水(淡水)に浸かってしまう長良川、揖斐川、雲出川のイシマキガイからは、Vpは全く分離されなかった。また、イシマキガイがこれほど多量にVpを保有したことに着目し、溶血毒(TDH)産生Vpの検出を試みたところ、平成12・13年ともスライドに示したように、太平洋側でも汽水域である河川河口部に生息することが証明されたのである。
  沖縄県にVp食中毒がないのは、それは大きな河川がないことから、Vpの生息に好適環境である汽水域が河川河口部のほんの小さなエリアしか形成されないからであろう。これは三重県の紀州地区にも共通している。
※夏季の日本海沿岸は塩分濃度が低い!
  福井県から日本海側に北上して地図を眺めると、大きな河川が日本海に注いでいるのが分かる。冬期に降り積もった雪が解けて日本海に流れ、河川流量は春に最大となる。潮の干満差が太平洋側と異なり大潮でも30cm位しかないことから河川水は河口から扇状に拡散し希釈されていく。しかも太平洋側の河川と比較すると日本海に注ぐ河川の平均流量はかなり多い。スライドに示したように、木曽三川(木曽・長良・揖斐川)の合計流量(368)ですら、信濃川単独(518)の70%でしかない。日本海の沿岸海水はさぞかし塩分濃度が低いだろうと資料を調べた。そして、石川県保健環境センター及び新潟県保健環境科学研究所のVp調査に関する報告書で塩分濃度の観測結果を見つけることができた。
・石川県:2008年7月1週から10月1週の平均塩分濃度
      七尾市鵜浦海岸→1.9%、白山市石立海岸→2.2%
・新潟県:2006年、2007年の沿岸海域の表層水の塩分濃度(3観測地点)
      2006年(4→12月):1.2%〜2.8% 平均:2.1%〜2.5%
      2007年(4→11月):1.0%〜2.8% 平均:2.0%〜2.3%
  伊勢湾における塩分濃度と比較すると、上記の濃度はかなり低く、大雨後や河川河口部の塩分濃度に相当している。太平洋側から見ると、日本海の夏季の沿岸海水は、まさに汽水状態といえるのである。
日本海と河川(スライド)
(2)同時多発する!⇒ 大雨による広域な汽水域が出現する!
  「あんたの言うとおりだったな!今年の夏は、大雨の後に隣県でVp食中毒が多発したよ!」と富山県の知人から知らされた。2004年の秋、研修会で富山県に出張した時のことであった。この年の7月12日夜から新潟県地方には非常に激しい雨が降り(新潟・福島豪雨)、その1週間後の7月18日未明から今度は福井県が豪雨にみまわれたのである。(福井豪雨)
  豪雨とその後に多発したVp食中毒は、彼も関係あるのではないかと思ったのであろう。かつて志摩地方におけるVp食中毒やカキのノロウイルス食中毒は、大雨の後に発生するという調査研究結果について、富山県の食品衛生監視員研修会で話す機会をいただいたことがあったからだ。また平成13年のVp食中毒予防研修会みえに富山県から多くの参加者があったからことなどが、上記の情報提供に繋がったのであろう。豪雨は全国ニュースとなったが、食中毒発生事例はよほど大きなものでない限りローカルニュースとして報道される。東海地方の三重県で北陸地方の食中毒報道を知ることはできなかったが、ネットワークはありがたいものである。
  (1)で述べたように、河川河口部の貝類や底泥には間違いなく溶血毒産生Vpが生息している。しかし、伊勢湾の海水検査で分かったように、塩分濃度が高い通常の海水にはVibrio alginolyticus(白糖分解菌)等の競合菌がいるので増殖することはできない。Vpが増殖するには、河川河口部のように海が汽水化することが必要である。汽水化をもたらすのは河川水であり、特に台風など大雨をもたらす気象条件である。大量の雨水や河川水によって沿岸海水が広域的に汽水化すると、Vpも広域で増殖し、沿岸海水によって漁港や魚介類がVp汚染を受ける。まさにVp食中毒が同時多発する要因である。現在、このような現象が少なくなったのは、上水道の普及など漁港や市場の衛生管理が向上したこと、そして何よりも魚介類の蓄養が沿岸海水の影響を受けない陸上が主体となったことであろう。
  1998年・1999年に三重県で発生したVp食中毒2例において、患者便以外からも初めて溶血毒産生Vpを検出した。保健所で食中毒の調査を担当した者は、かつてVp浄化実験を行った食監、執念で溶血毒産生Vpを分離したのは、三重県保健環境研究所の研究者であった。これらのVp研究会参加メンバーの協働作業がなければおそらく検出できなかったことであろう。詳細はスライドに示すが、「見つけよう、いるはずです、原因食品にTDH(+)Vp!」なのである。発症率の高い食中毒ほど溶血毒産生Vpの検出確率が高くなることも経験したし、溶血毒産生Vpは見え隠れが甚だしいものであることも分かった。
  ※貝類における汚染・浄化試験や汚染貝類の増殖試験において溶血毒産生Vp(O4:K8)株を用いたが、毒素非産生のVpと異なる性状は見られなかった。また、溶血毒産生Vpの消長とデロビブリオ(Bdellovibrio)の関係についてこれまで何度も関係者から話を聞いたことがある。しかし記述するものを持ち合わせていないのが残念である。
  食中毒の原因調査において、食品残品等からVpが分離されても、数十個のコロニーを拾っていたのでは見つからず、数百から数千個拾えば溶血毒産生Vpは見つけることができるはずだ、これまでは努力が足りなかった、との結論に達したのである。
  そして、ビーズ法やPCR法の導入などの試験法が工夫され、自然界からも溶血毒産生Vpを分離することができるようになった。漁港の汚泥や海水からまず富山県衛生研究所が分離に成功し、秋田県、青森県の衛生研究所では、病院の下痢症患者から分離されたVpと河川河口部など自然界から分離された溶血毒産生Vpとの関連についてまで調査研究が進められた。やはりVp食中毒発生件数の多い、また沿岸海水の塩分濃度が低い日本海側の衛生研究所で多くの成果が得られたのである。これらの成果は、血清型O3:K6による食中毒発生と関連して、全国的に溶血毒産生Vpの分離も含めたVpの調査研究の進展をもたらし、また2001年の食品衛生法に基づく成分規格の制定に繋がっていった。
  さらに、新潟県保健環境科学研究所においては、上記で述べた新潟・福島豪雨後に多発したVp食中毒の関連として2006年、2007年に、汽水域や沿岸海域の表層水・底泥や岩カキを調査した。詳細は報告書をお読みいただきたいが、「降水量増加後に、汽水域におけるV.pの菌数減少や沿岸海域での菌数増加が確認された。汽水域の底泥V.pが増殖する時期に降水量が増加すると、河川流量の増大にともない同菌が沿岸海域へ大量に流出し、海域汚染の原因になると考えられた。」と研究成果を報告している。
  2004年の新潟県・石川県で発生したVp食中毒を一覧にまとめた。新潟県の事例は保健環境科学研究所が大雨との関連を推定している。
溶血毒産生Vp検出食中毒事例(スライド)
Vp食中毒と豪雨(スライド)
※謎が解け、食中毒予防の情報発信に活かされる!
  長い間謎とされてきたVp食中毒、三重県において伊勢湾を中心とした調査研究で、汽水域調査、溶血毒産生Vpの分離によって、小生たちは謎は解けたと感じてきた。Vp食中毒について、「本当の犯人である溶血毒産生Vpは河川河口部などの汽水域に生息し、大雨によって汽水域から沿岸海水に流出して増殖・魚介類を汚染させ、汚染された魚介類が調理場等に持ち込まれ食中毒を引き起こした。特にリスクの高い魚介類は、まさに汽水域に生息しVpの生物学的濃縮機構を有する二枚貝、そしてリスクが高くなる時期は大雨の後!」と結論付けた。そして、三重県では2003年度から伊勢湾沿岸の二枚貝をモニタリングし、保健環境研究所で溶血毒産生Vp遺伝子の動向を調査しながら、50mmを超える大雨の際(塩分濃度躍層形成、長期の汽水化)にはVp食中毒警報を発してきた。(H15Vp食中毒予防情報発信事業実施要領)
  これらのことが、まさに上記新潟県の調査研究によって明らかとなったし、現在の新潟県における腸炎ビブリオ情報は、汽水域の海水及び底泥(3地点)、水揚げされたマアジ(2地点)をモニタリングし、その結果を腸炎ビブリオ情報として食中毒予防のために発信している。素晴らしい取組に敬意を表したい。
新潟県HP:にいがた食の安全インフォメーション→→→腸炎ビブリオ情報
新たなVp食中毒発生の謎は解けるか? ⇒ V型分泌装置
  Vpに関するメルマガ原稿作成に入って、小生は初めてV型分泌装置のことを知った。お恥ずかしい限りであったが、しかし、なぜ溶血毒産生Vpのみが食中毒患者から分離され、人に病原性があるのか?最後に残った謎も解けるような気がしている。
  腸管病原菌が人に感染するためには、正常細菌叢(ミクロフローラ)や腸管粘膜にある免疫抗体などの生体防御機構を突破しなければならない。そのために、腸管病原菌は、針状の突起物を人の腸管細胞に差し込み、エフェクターと呼ばれる細菌の分泌たんぱく質を注入し、宿主細胞をかく乱させ定着や侵入を容易にし、そして増殖するという。エフェクターを注入するための一連の構造物をV型分泌装置(Type V secretion system:TTSS)というそうだ。赤痢菌やカンピロバクターなど様々なグラム陰性菌のV型分泌装置が研究されているが、Vpについても研究が進められている。それによると、VpにはTTSS1とTTSS2の2セットがあり、前者はすべてのVpに存在し、後者は溶血毒産生Vp(神奈川現象陽性株、TDH(thermostable direct hemolysin)陽性株)に特異的に存在するという。
新たな謎は生まれるが ⇒ 食中毒は防げる
  V型分泌装置という病原因子(TTSS2)は、溶血毒産生Vpにしか存在しないことでVp食中毒の臨床的な謎も理解できた。しかし、これからも学問が進めばまた新たな謎が誕生することは必至である。しかし、Vp食中毒発生メカニズムの謎は解けたと小生は考えている。
  「汽水域に生息する溶血毒産生Vp株は多種類の血清型が存在しているのではないか、そのうち食中毒患者から分離された株は一部に過ぎないのではないか? 従って、汽水域の溶血毒産生Vpをモニタリングし、その動向を見極めることが最も重要な食中毒予防対策となりうる」、前記熊沢教真先生の考察である。そういった意味では、汽水域の溶血毒産生Vpまでモニタリングできている新潟県のVp情報発信は、今後のVp食中毒の新しい血清型を予知するという面においてもまさに貴重な取組といえよう。
  これまで、様々な血清型のVpが食中毒患者から分離されてきたが、1996年から始まった海外由来の血清型O3:K6によるパンデミックは、またたく間に日本中にも蔓延し、これまで日本でメジャーであったO4:K8などの血清型をマイナーな存在としてしまった。「今日のVp食中毒の発生状況は、ひょっとすると血清型O3:K6の病原因子そのもの影響(都合)によって減少しているのではないのか? ある日突然、強い病原性を持つ新Vpが出現し、パンデミックが再来するのではないか?」、飲み会でのVp談話ではこんな意見も出されている。
  しかし、これまで述べたVp食中毒発生メカニズムを理解すれば、すなわちVp食中毒予防知識ワクチンによって、食品従事者の衛生レベル(力価)を高く維持できれば、Vp食中毒発生ゼロとなる日がやってくるかもしれない。キーワードは「汽水域」である。
筆者略歴
・汽水域の耐熱性溶血毒産生腸炎ビブリオの動向 新潟県保健環境科学研究年報第23巻2008年
・海水中の腸炎ビブリオ挙動調査結果について 石川県保健環境センター報告書第46号2009年
・総説 病原細菌の分泌装置:その機能と病原性発揮のメカニズム 阿部章夫 感染症学雑誌第83巻第2号(21年3月20日)
・腸炎ビブリオの3型分泌装置2を介した細胞毒性および腸管毒性機構に関する研究 児玉年央 日本細菌雑誌64(2):303-309, 2009
・総説 腸管病原菌のV型分泌装置と細胞付着・侵入のメカニズム 石原(森田)朋子 日本乳酸菌学会誌(Japanese Journal of Lactic Acid Bacteria)Vol.19(2008)
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