財団法人 食品分析開発センター SUNATEC
HOME > においの豆知識(7) 発酵食品のにおい(3) −日本酒のかおり−
においの豆知識(7) 発酵食品のにおい(3) −日本酒のかおり−
 私が日本酒を嗜むようになったのは、学生時代に酒屋でアルバイトを始めたことが切欠でした。接客する以上、店員は扱っている商品を知らなければならない、との指導の元、閉店後にスタッフが揃って飲み比べる日々でした。そうしてみると不思議なもので、同じ「日本酒」でも蔵元や製法により多種多様で、こんな凄いものを酵母とカビが作っているのか、と感心したことを覚えています。
 日本酒(清酒)の豊かな香気はどのようにして作られるのでしょうか。
1) 精酒の作り方
 日本酒は、米を主原料とした日本独自のお酒です。
 日本の歴史に於いて「酒」が現れたのは魏志倭人伝の時代(3世紀)まで遡るとされています。この時代の酒は現在の清酒とは異なり、甘酒に似たような物であったようです。
 清酒を作るには、まず麹を作らなければなりません。麹は、黄麹菌(Aspergillus oryzae)の胞子を振り掛けた蒸した白米を30℃の室で蒸らして作ります。この時用いる米は、糠・胚芽を除去するほか、胚乳も削ります。この精米工程は、清酒の雑味の元となる米の外側に多く含まれるタンパク質や脂肪を除去することを目的としています。
 次に、酒母を作ります。酒母は「(もと)」とも呼ばれ、麹、蒸米と水に酵母を加えて酒造りに必要な酵母だけを増殖させ不必要な雑菌を淘汰した発酵スターターです。酒母造りは開放系で行われることから、空気中の雑菌や野生酵母が入り込みます。そのため、グラム陽性の通性嫌気性菌である乳酸菌を加えて乳酸を生成させて環境を酸性条件下に維持し、雑菌や野生酵母を排除します。この乳酸の加え方により伝統的な生系と山廃、及び近代的手法である速醸系に分類されます。
 酒母ができると、これに米、麹、水を併せて醪(もろみ)とし、これを桶やタンクの中で発酵させます。醪造りは、麹により米由来のデンプンが糖に分解されると同時に酵母は麹により作られた糖を元にアルコール発酵します。この工程では、酵母が活性を失わずに発酵を継続させるため、三回に分けて蒸米と麹を加えます。この手法は段仕込みもしくは三段仕込みと呼ばれる日本酒特異的な方法で、室町時代の民間酒造技術書である『御酒之日記』には既に記載されている、昔から確立していた方法です。
2) 清酒のフレーバー
 清酒のフレーバーに関与すると云われている成分は100種類を超え、それぞれが単独、或いは他の成分との協調により清酒独特の風味を形成しています。酒の香りの由来は、大まかに原料由来、微生物の発酵生成物由来、及び熟成由来の3種に分けられますが、清酒においては酵母の作り出す香りが大部分を占めています。
 清酒の香りは、リンゴ、白桃、ライチ、洋ナシのように果実の香りにオレンジ、アカシアのような花の香りが加わる、大変華やかであると云われます。清酒中に見いだされた香気成分を表-1にまとめました。
表-1 清酒中に認められた香気成分
アルコール メタノール、エタノール、n-プロパノール、イソブタノール、n-ブタノール、イソアミルアルコール、n-アミルアルコール、β-フェネチルアルコール
エステル  C1〜C14直鎖脂肪酸のエチルエステル、酢酸プロピル、酢酸ブチル、酢酸イソブチル、酢酸アミル、酢酸イソアミル、酢酸フェネチル、イソバレリアン酸エチル、イソカプロン酸エチル、酢酸フェネチル、ピルビン酸エチル、ケトイソバレリアン酸エチル、ケトイソカプロン酸エチル、オキシイソバレリアン酸エチル、オキシイソカプロン酸エチル、バニリン酸エチル、フェルラ酸エチル、p-オキシ桂皮酸エチル、p-オキシ安息香酸エチル、乳酸エチル
C1〜C14直鎖脂肪酸、イソ酪酸、イソバレリアン酸、イソカプロン酸、イソカプリル酸、イソカプリン酸、オレイン酸、ピルビン酸、ケト酪酸、p-オキシ桂皮酸、バニリン酸、フェニルピルビン酸
カルボニル化合物 ホルムアルデヒド、アセトアルデヒド、プロピロンアルデヒド、イソバレルアルデヒド、カプロンアルデヒド、ベンズアルデヒド、シンナミックアルデヒド、フルフラール、p-オキシベンズアルデヒド、バニリン、フェニルアルデヒド、ジアセチル、アセトイン、アセトン
アミン類 エタノールアミン、イソブチルアミン、カダベリン、プトレシン、フェネチルアミン
含硫化合物 硫化水素、メルカプタン、ジスルフィド
 清酒には、上記に挙げたようにアルコール香を形成するアルコール類、バラ香(β-フェネチルアルコール)、果実香 (酢酸エチル、カプリン酸エチル)、バナナ香 (酢酸イソアミル)、リンゴ香 (酢酸フェネチル)などの低沸点エステル類など多くの香気成分が含まれ、清酒の特徴であるフルーティな香りに寄与しています。特に、吟醸酒(精米歩合60%以下の白米、米麹および水を原料とし、吟味して製造した清酒で、固有の香味及び色沢が良好なものを云う)ではカプロン酸エチルと酢酸イソアミルのバランスが重要であると云われています。しかし、エステル成分が濃過ぎても、今度は所謂エステル香が強くなり過ぎて、酒自体のフレーバーは悪くなります。
 酵母により形成される酒の香気成分のうち、アルコールは、1)アミノ酸から生成するα-ケト酸から、アルデヒドを経由して生合成される 2)グルコースからアミノ酸生合成途中のα-ケト酸より生合成される 3)酢酸の縮合 の3ルートから生合成されます(図-1)。また、酢酸エステル類の生合成は、アセチルCoAが細胞膜に局在するアルコールアセチルトランスフェラーゼにより種々のアルコールに転移することにより生合成されます。これらの反応に関与する酵素の遺伝子やその発現制御機構も解明されています。
図-1 香気成分の合成ルート
3) 清酒の異臭
  清酒の製造工程において、「火入れ」があります。これは、上述したように残存する微生物の殺菌や酵素の失活が目的です。しかし、最近の嗜好として、敢えて火入れしない新鮮な生酒も好まれています。また、火入れを行っても不十分であった場合、時として異臭を発する場合があります。これは、清酒の保存中に残存する酵素が各種成分と反応することにより生じます。所謂「ムレ香」と呼ばれるもので、イソバレルアルデヒドやイソバレリアン酸エチル、1,1-ジオキシ-3-メチルブタンの複合臭です。また、清酒を汚染する微生物として火落ち菌(乳酸菌の一種)などが知られています。火落ち菌はコウジカビが作るメバロン酸を摂取し、清酒に濁りと臭みを生じさせます。
 また、清酒の熟成に伴い、新酒にあったフルーティな香りが減少して、代わりにカラメル、焦げ、醤油などと表現される老香(ひねか)と呼ばれる香りが生じます。老香の主成分のひとつは閾値の低いソトロン(3-Hydroxy-4,5-dimethyl-2(5H)-furanone ; HDMF)です。このソトロン含量が2ppm以下の清酒ではシェリー様香、3〜6ppmで老酒様香とシェリー様香、7〜100ppmで老酒様香を呈し、7〜20ppbのものが高品質であると云われています。このほかに清酒の貯蔵により増加する成分としてコハク酸モノエチル、リンゴ酸モノエチルなどの有機酸のエチルエステル類、フルフラール、酢酸、ギ酸などの揮発酸、および時メチルジスルフィドなどの成分も報告されています。
4) まとめ
  以上述べてきたように、清酒には様々な香気成分が含まれていますが、これらもまた酵母やコウジカビと云った微生物の力により出来上がります。清酒は、醤油や味噌などと同様に、古くから日本人が知識と経験を積み重ねて作り上げてきた、化学合成では簡単に再現できない豊かな風味を持つ素晴らしい食品の一つなのです。
参考文献
1) 佐藤信, 加藤辨三郎編:清酒の色・香り・味.協和発酵工業(下部)創立25周年記念 日本酒の歴史-酒造りの歩みと研究-. 466-489, 1977.
2) 磯谷敦子:清酒の熟成に関与する成分及びその生成機構 「老香」の主要成分DMTSとその前駆物質.化学と生物.48(3) 157-161,2010.
3) 吉沢 淑ら:市販熟成酒の特徴と主要香気成分.日本醸造協会誌.89(6) 481-488,1994.
他の記事を見る
ホームページを見る

サナテックメールマガジンへのご意見・ご感想を〈e-magazine@mac.or.jp〉までお寄せください。

Copyright (C) Food Analysis Technology Center SUNATEC. All Rights Reserved.