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においの豆知識(5) 発酵食品のにおい(2)−醤油の深秘−

 人間は遥か昔から微生物を用いて食品を作るようになりました。醤油もその一つで、原料からは想像できない趣き深い風味を呈し、食卓を彩ります。醤油のルーツについての定説はありませんが、その昔中国より伝わった「醤(ひしお:塩と麹で漬けた食品の意)」を元に、日本にて独自に改良・進化の末完成したものと推定されています。
 普段、当たり前のように使用している醤油の豊かな香味はどこからやって来るのでしょうか。

1.醤油の作り方

 醤油は大豆と小麦粉を原材料とし、その汎用性の高さから万能調味料とも呼ばれる日本の食卓には欠かせない調味料の一つです。昨今の健康食・和食ブームからその利用は国内に留まらず、海外へも多く輸出されています。
 代表的な醤油作りの概略を図-1に示しました。

図-1 醤油の製造工程概略

 醤油作りは、まず蒸煮した大豆と煎って割砕した小麦を混合したものにAspergillus orizaeA.sojaeを接種して作った種麹を混合して麹を作るところから始まります。麹菌の持つプロテアーゼやアミラーゼ、セルラーゼなどの酵素により、大豆や小麦に含まれるタンパク質やデンプンは旨味の素となるペプチドやアミノ酸、グルコースなど低分子化合物に分解されます。出来上がった麹を食塩水に漬けてもろみを作りますが、高塩濃度且つ低酸素な環境下に置かれた麹菌はもろみの中で長く生きることが出来ずやがて死滅し、残された酵素が原料の分解を続けます。分解により生じた低分子化合物は引き続き起こる発酵において、微生物達の餌になります。
 まずは高濃度の塩や酸に耐性を有する乳酸菌(Tetragenococcus halophilus)が増殖し乳酸を産生してpHを下げた後に、耐塩性の酵母(Zygosaccharomyces rouxii)が増殖して醤油の香味形成に重要な役割を示すアルコールや有機酸、エステル、高級アルコールなどを産生します。更に後熟酵母(Candida versatilisなど)が増殖を始め、醤油香気である4-エチルグアイアコールや4-エチルフェノールなどを産生します。この他にも熟成の進行と共に数種の細菌が産生する低分子化合物も合わさり、香味は複雑なものになっていきます。6ヵ月から1年程掛けて熟成したもろみを圧搾し、生しょうゆと粕に分け、更に加熱(火入れ)をして殺菌、香味・色沢の調熟、熱凝固物の除去、酵素の失活と醤油の特徴である香ばしい風味の形成を行います。最後に生じた沈殿物をろ過して、漸く醤油が出来上がります。

2.醤油の香気成分
 醤油の主な香気成分を図-2に示しました。
図-2 醤油の主な香気成分
 醤油には、300種以上の香気成分が含まれると云われており、バラやバニラ、バター、ヒヤシンス、コーヒー、リンゴ、パイナップルの香りなど、多くの香りが複雑に存在します。その中でも醤油の特徴香とされるのが4-ヒドロキシ-2-(or5)エチル-5-(or2)メチル-3(2H)-フラノン(ホモフラネオール;以下HEMF)です。HEMFは高濃度では強烈な甘い芳香を示しますが、数百ppm程度では正に本醸造醤油の香りになります。そのほかにHEMFと同じくフラノン類であり、キャラメル香を有する4-ヒドロキシ-2,5-ジメチル-3(2H)-フラノン(フラネオール;以下HDMF)や4-ヒドロキシ-5-メチル-3(2H)-フラノン(ノルフラネオール;HMMF)など醤油が有するキャラメル香の形成に寄与しています。これらフラノン類は酵母によりペントースとアミノ酸から生合成されると共に、後述するメイラード反応でも生成します。
 また、4-エチルグアイアコールを代表とする揮発性フェノール化合物も香りに寄与します。4-エチルグアイアコールは木クレオソート臭・薬品臭などと表現されるような臭気を示し、醤油に独特な燻煙香を齎します。揮発性フェノール化合物は、原料小麦由来のリグニン分解物やアラビノキシランの側鎖に存在するフェルラ酸などを用いて、上述のCandida属の後熟酵母が産生することが報告されています。これらの成分が多すぎると薬品臭が強くなり、醤油の価値が下がりますので、製品の品質管理をする上で揮発性フェノール化合物は重要な化合物となります。
 そのほかの醤油のにおいに関与する成分としてはメチオノールやマルトールがあります。アミノ酸のひとつであるメチオニンが変化して生成するメチオノールは薬品臭に似た臭気を有していますが、魚や肉などに由来する生臭さを緩和する働きを示します。また、マルトールはマルトースなど糖類に由来し、醤油のキャラメル香に寄与します。
3.メイラード反応
 さて、醤油の特長の一つに、使用法のバリエーションが豊富であることが挙げられます。食材にそのまま掛けても良し、食材を漬け込んでも良し、汁やタレを作る際には組成の中心となりますし、煮物の味付けにも欠かせません。また、蒲焼や照焼きなどの調理法では、加熱することで一段と風味が増すと共に独特の「照り」が出て、食材を引き立てます。醤油が齎す香気は、醤油製造時、及び調理時の加熱により起こるメイラード反応により生成します。
 メイラード反応は、還元糖をアミノ酸、ペプチド及びタンパク質などアミノ化合物の共存下にて加熱した際に生じ、香気とメラノイジンと呼ばれる褐色物質を生成する非酵素的反応です。その反応は、アミノ化合物と還元糖が縮合しシッフ塩基を経て不可逆的にアマドリ転位生成物を形成する初期段階、アマドリ転位生成物が(その多くは脱水反応を経て)分解し、ジカルボニル化合物、不飽和カルボニル化合物、フルフラール類などを生成する中期段階、中期段階で生成した化合物が更にアミノ化合物と反応したり、反応生成物同士で重合する最終段階に大別されます。メイラード反応は転位、脱水、開裂などが連鎖的に発生する複雑な反応系であることや、多くの反応中間体は活性が高く、分離同定が困難であることから現在に至ってもその全容は十分解明されていません。
 メイラード反応に関しては、生体内においてアルブミンやヘモグロビンなどのタンパク質と血中グルコースが反応して糖化(グリケーション)が進行し、その産物であるAGEs(advanced glycation endoproducts:糖化最終産物)が糖尿病、老化現象、認知症、癌、高血圧、動脈硬化症などに関与していることが良く知られていますが、食品分野においては加工や貯蔵の際に生じる着色、香気成分や抗酸化性成分の生成などに関わる非常に重要な反応となります。醤油の発酵熟成中、若しくは火入れの段階でこの反応が生じ、メラノイジンが形成されることにより醤油は独特の赤褐色となります。また、上述のフラノン類も加熱によっても生成します。 醤油の香気は、乳酸菌や酵母により作られた有機酸や各種エステル、アルコール類とメイラード反応による生成物が絶妙なバランスで存在して初めて成立するのです。
4.醤油の特殊能力
 醤油は複雑且つ繊細なバランスで成り立っています。本稿ではにおいに着目しているため触れませんでしたが、醤油の特長は香気だけではありません。醤油には五味(甘味・酸味・塩味・苦味・うま味)が揃っており、その複雑な組成から相乗現象、対比現象、相殺(抑制)現象、変調現象などの味覚の特殊現象が起こります。例えば、塩鮭に醤油を掛けると相殺現象により塩味が抑制されます。また、煮豆を作る際には醤油を入れると甘味が増すのですが、これは対比現象により甘味が強調されるからなのです。
 普段何気なく使っている醤油ですが、その中には昔の賢人の知恵と微生物の有難さが詰まっているのです。
参考文献
1) 田森 純二ら, ワイドボア型キャピラリーガスクロマトグラフィーによるしょうゆ香気成分の定量. 醤研, 1990; 16: 231
2) 末澤 保彦ら, 醤油醸造関連微生物によるフェルラ酸および-クマル酸の揮発性フェノール類への変換. 日本農芸化学会誌, 1998; 72:43
3) 小浜 恵子ら, 味噌酵母のHEMF生産性と育種. 岩手県工業技術センター研究報告,2006; 13: 62
4) 4) 田森 純二ら, ガスクロマトグラフィーによるしょうゆ香気成分の定量; 農林規格検査所調査研究報告書; 1986; 10: 1
※次号予告
 我々の生活に欠かせない油は、大きく鉱物油、動物油、植物油に分類されます。勿論、これらは用途に応じて使い分けられていますが、においの側面から眺めるとどのような特徴を示すのでしょうか。次号は油のにおいについて解説します。
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