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においの豆知識(4) 発酵食品のにおい(1)−漬物の香味−

 人間が微生物を用いて食品を作り始めた時期は、今から6000年前とも8000年前とも言われています。微生物を巧く利用する大昔の賢者の知恵は、改良を加えられながら連綿と現在まで引き継がれています。発酵食品の種類は醤油や味噌など調味料やお酒、漬物など多彩で、いずれも我々の食生活を豊かなものにしています。発酵食品の特徴とも言える、原材料とは異なる風味はどのようにして形成されるのでしょうか。また、その成分は何なのでしょうか。
 今回は、発酵食品のうち日本人の心の拠り所、漬物の香味に着目します。

1.漬物樽の中の秘密

 漬物は、野菜や魚といった食材に高濃度の食塩を加えるなどの処理をして作る保存食品です。食材を高浸透圧下に置くことで脱水すると共に酵素作用などを抑え、食材の保存性を高めます。また、このような処理と同時に有用な微生物を働かせることで独特の風味も加わり、所謂「香の物」となります(但し、漬物の種類によっては微生物が関与しない物もあり、漬物の全てが発酵食品という訳ではありません)。
 漬物の習慣は日本独自のものではなく、ドイツを中心に見られるザワークラフトや西洋のピクルス、中国のメンマなど世界各国で行われているものです。しかし、日本で行われる漬物の手法は塩漬けに始まり、味噌漬け、糠漬け、醤油漬など、その処理方法も多種多様であり、また漬ける食材も地域によってバリエーションがあり、日本各地に行けばその地方の特色ある漬物に出会えると云っても過言ではありません。 それでは、漬物を作っている樽の中ではどんなことが起きているのでしょうか。
 漬物の漬け始めは、食材に由来するグラム陰性菌が優勢なのですが、発酵が進むに従い初期は球菌(Enterococcus, Pediococcus属菌など)、次第に桿菌の乳酸菌(Lactobacillus属菌など)が優勢になります。乳酸菌の繁殖と共に乳酸が産生されるため、環境中のpHが下がります。この時、樽の中の環境は高塩濃度且つ低pHであり、他の雑菌は繁殖し難い状態となります。乳酸菌は、乳酸の他にも酪酸やカプロン酸など、各種有機酸を産生して漬物の香気と味を形成します。更にエタノールや酢酸エチルなどの各種エステル類、ジアセチル(バター香、日本酒においては「つわり臭」として嫌われる成分)などを産生する耐塩性の酵母も繁殖し、漬物の味を更に複雑で豊かなものにしていきます。乳酸菌や酵母だけでなく、食品由来の雑菌も香味に影響を与えると言われています。また、漬物の種類によって働く微生物の種類は微妙に異なります。そのため、「漬物」で一括りにされる食品の風味は、漬け方や食材によって千差万別になるのです。

2.糖漬け
 糠漬けには、米糠を乳酸発酵させた糠床が不可欠です。作りたての糠床には各種雑菌が繁殖していますが、次第に乳酸菌が優勢となり、暫くの後に酵母も次第に生育するようになります。同時に、糠由来の分解酵素が作用して糖やアミノ酸が作られ、また野菜由来のグラム陽性菌やグラム陰性菌も繁殖して糠床が熟成し、漬物に複雑な香気を与えます。
 糠床の世話には、糠床の底部分を表面に晒し、これまで表面であった部分を奥へ押し込む、いわゆる天地返しを適切に行わねばなりません。これを怠ると糠床の中で酢酸菌など嫌気性菌が繁殖して糠床が腐敗し異臭を放ち、また糠床の表面では「産膜酵母」と呼ばれるハンセヌラ(Hansenula)属の酵母が繁殖して刺激臭がするようになります。このような糠床では美味しい糠漬けが作れません。天地返しは、好気性の産膜酵母への酸素供給の遮断、及び嫌気性細菌の酸素暴露により、糠漬けに悪影響を与える菌の繁殖を抑えるために重要な作業なのです。また、糠漬けは各家庭で風味が異なると言われますが、これは糠床の世話をする方の手の常在菌が各個人で異なるためであると考えられています。
 糠床の特徴的な香気成分については、今井博士らにより詳細に検討がなされ、幾つかの化合物が報告されています。それらのうち、エチルグアイアコール(燻煙のにおい)や、γ-ノナラクトン及びγ-ドデカラクトン(果実様のにおい)、のほか、硫黄化合物であるフェニルイソチオシアネートや4-メチルメルカプトブタン-2-オン、3-(メチルチオ)プロピオンアルデヒドなどが糠床の熟成に従い検出されており、これらの化合物が漬物の風味に関与していることが示唆されています。
3.沢庵
 沢庵は、干したダイコンを米糠と塩を混ぜた床の中に漬けて作る糠漬けの一種ですが、使用する米糠は少なく、一般的な糠漬けと比べると乳酸菌はそれほど増殖しません。その代わり、耐塩性の酵母を中心とした各種酵母が重要な役割を担います。この酵母が産生する酢酸エチルや乳酸エチルが齎す果実臭と、ダイコンの辛味成分の分解物であるメタンチオールやジメチルスルフィドなど硫黄化合物との調和により、沢庵独特の風味が形成されます。
 ダイコンやカラシ、ワサビなどのアブラナ科植物にはグルコシノレート(カラシ油配糖体)が含まれており、これが鼻にツンとくる独特の辛味の元となります。ダイコンには4-メチルチオ-3-ブテニル-イソチオシアネートの配糖体が含まれ、ダイコンを漬けている間にダイコン由来の加水分解酵素であるミロシナーゼにより4-メチルチオ-3-ブテニル-イソチオシアネートとグルコースに分解されます。遊離アグリコンとなった4-メチルチオ-3-ブテニル-イソチオシアネートが更に低温下にて分解し、上述の硫黄化合物が生成します。硫黄化合物の元を大量に有するダイコンを素材としているからこそ、沢庵の風味が成立しているのです。
 ちなみに、ミロシナーゼとグルコシノレートは植物体内では別の場所に存在するので、葉や根の部分のにおいをそのまま嗅いでも刺激臭はしません。植物体の組織が傷つき、ミロシナーゼがグルコシノレートに接触・作用してグルコシノレート内のグリコシド結合が加水分解され、遊離したアグリコンとなると辛味を呈するようになります。そのため、グルコシノレートは草食動物や草食昆虫への防衛システムとして機能しているものと考えられています。
4.まとめ
 漬物に関与する菌は、その食品や漬け方により多種多彩であり、まだまだ研究が進んでいません。単純に乳酸菌の酸と酵母の作るエステル類のみで成立している訳ではなく、食材に付着した微生物や食材由来の酵素、成分、更には作り手を含む環境に由来する微生物さえも関与していると考えられます。これらが複雑に絡み合い、漬物の魅力的な味わいが誕生するのです。
参考文献
1) 今井 正武ら, 糠床の熟成に関する研究−熟成中の菌叢および糠床成分の変化
−日本農芸化学会誌1983; 57: 1105.
2) 今井 正武ら, 糠床の熟成に関する研究−熟成中のフレーバー成分の変化
−日本農芸化学会誌.1983; 57: 1113.
※次号予告
 我々の食生活は漬物や調味料など発酵食品無しには成立しないと言って良い程、身の回りには発酵食品が溢れ、我々はその恩恵に与っています。身近な発酵食品には醤油など調味料が挙げられます。次回は、調味料のかおりについてご紹介します。
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