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農薬基準値違反を出すということ ー検査現場の悩みー
奈良県保健環境研究センター 統括主任研究員 宇野 正清
初めに
 農薬等ポジティブリスト制で採用された一律基準値の0.01ppmは、農薬検査現場に不安と困惑をもたらしました。と言いますのは、検査数値の取り扱いに関して厚生労働省は、通常「分析値として1桁多く求め四捨五入する」方法を示しておりますが、とても0.001ppmの分析機器感度が出ない農薬が多くあります。また1ppmの基準値は1.4ppmまでなら基準値以内とすることに若干の違和感もありました。つまり0.5〜1.4ppmの範囲は四捨五入すると1ppmとなり、基準値が1ppmなら違反ではなくなります。同様に基準値が1.0ppmなら0.95〜1.04ppmの範囲は1.0ppmとなりこれも違反では無くなります。
 このため私共は、農薬等ポジティブリスト制施行前に実施された国の「暫定基準等に係る意見募集」に、いくつかの意見を提出しました。ここでその意見と回答の一部を紹介させてもらいますと、「現在の分析機器の感度上、一律基準の一桁上を求めることに無理な農薬が多い」という意見に対して、「基準値を1桁多く求める必要があるのは、基準値と実測値が非常に近い場合(例えば基準値0.5ppmの場合、実測値が0.5ppmのときなど)であり、常に一桁多く求める必要はない」という回答が得られました。また違反となる数値については、「分析値として1桁多く求め四捨五入する」方法は日本薬局方で採用されており、この方法が一般的であるという回答でした。この2つの回答から、基準値に近い実測値の場合は四捨五入するために、結局1桁低い数値を出す必要があるということになると思われます。
検査値の誤差
 検査値の誤差を生ずる要因はいろいろあります。大きいものから順にあげますと、1番はサンプリング誤差です。以前菜物で違反値を出した農家が再検査を求めたため、改めて畑の5,6カ所からサンプリングして検査を実施したことがありました。この畑では場所により1桁以上の差があり、かつ作物部位により数倍の差も確認されました。これらの測定結果では、採取場所や採取部位によっては基準より低くなる場合がありました。一般農場においては、母集団の適正な選択は大変難かしいものと思われます。2番目はマトリックス効果によるものです。ほとんどは高く出る場合が多いのですが、低く出るものもあり、作物と農薬の組み合わせによりいろいろと変化するため、経験が物を言う事になります。3番目は標準液の誤差です。これは保存期間中の分解や溶剤揮発による濃縮等が起こるためです。4番目はマイクロシリンジの注入誤差です。内部標準物質を使用すれば確認できるのですが、数百項目の一斉分析では使いたくない人が多いですね。その他抽出、精製、濃縮といった試験溶液作成中の誤差は習熟すればそれほど大きい誤差とは成りませんが、これもかなりの経験が必要です。特に通知法に基づくオープンカラムの取り扱いは、必ず溶出試験で事前確認後に使用する必要があります。また抽出時のエマルジョンの処理等々、少しの誤差の積み重ねが大きく測定値を狂わせます。
検査員のジレンマ
 一律基準値0.01ppmが適用される作物で0.014ppm前後が検出される場合は、上記に示したようないろいろな誤差を考えると悩みが尽きません。悩めば悩むほどいろいろな分析方法を試し、検査回数をいたずらに増やしてしまい、データの取捨選択にあたり、更に悩みが深く成ります。このようにならないためには日常の訓練と技術習得といってしまえば話は簡単ですが、なにせ作物と農薬の組み合わせは膨大であり、それぞれに経験を積むのも容易ではありません。この対策としては明快な手順書(マニュアル)が必要です。このマニュアルに一番求められるものは、誰もがいつでも同じ結果を出せるものです。このためには、違反再検査の流れが明確でかつわかりやすいものが求められますが、熟練者には分かり切ったことでも丁寧に記述してあるものが必要です。俗に言う「行間を読む」ことなく分析可能なマニュアルが、いざという場合の検査員の救いとなるものと思われます。
違反試料の再検査
 通常は通知法か独自法の一斉分析法を使用して検査を行いますが、検出された数値により当然、後処理が異なります。ここは私どもが通常実施している流れを紹介します。まず基準値の50%以下の数値はそのまま採用します(ただし同時並行添加回収試験を行い、この農薬の回収率が担保されているのを確認します)。基準値の50%以上〜基準値までの数値なら、通知等個別試験法に基づき再検査を行い、基準値以下なら通知等個別試験法の数値を採用します。
 いずれも基準値を超えた場合は、複数の検査員により複数の分析法(通常は通知一斉分析法及び通知等個別試験法)で各5回検査を実施し、一番低い値を採用します(これ以下にはならないという値)。このときの留意点を以下に示しておきます。(1)標準液のクロスチェックを行う(保証期限内の確認、他社比較、新旧比較)。(2)同種作物試料によるブランク試験を行い、作物成分由来で無いことを確認する。(3)基準値と同程度の濃度を添加した同種作物試料による添加回収試験を実施する。(4)マトリックス効果の有無を確認し、効果が大のときはマトリックス標準液により定量する。(5)吸着・分解等の恐れのあるものは標準添加法による定量をおこなう。(6)MS・MSでの再確認を実施する。(7)実施した操作、データは全て整理・保存しておく。
行政への報告
 違反が出たら検査現場から行政への報告は、検査結果だけではなくいろいろな資料が要求されます。まず(1)毒性、(2)ADI、(3)国民栄養調査による該当作物の摂取量、(4)物理・化学的諸性質、(5)国内外残留報告値、(6)分解指数、(7)該当農薬の出荷量、(8)県内の該当作物出荷量、(9)搬入試料の状況等々を添付し、ADIからみて安全性のコメントを付けて食品衛生担当課に報告します。このように、通常検査の10倍以上の手間がかかることになります。
行政の対応
 食品衛生担当課は農政担当課と協議し、食品衛生法や農薬登録保留基準等の違反を確認後、統轄保健所経由で、出荷停止及び回収命令を出し、作物の処分をさせるとともに、農政行政サイドから農薬の適正使用について指導をする事になります。これと平行して国に報告、記者発表を行い、報道用に作成された資料を各近隣府県に情報提供を行います。たいていは地方版に掲載される事が多いです。
検査現場の緊張
 しかしたまに農家より使用していないという申し出があり、各方面の物議を醸し出す事もあります。特に農薬等ポジティブリスト制施行後は全てに基準が適用されてしまうため、前作物に使用し畑に残っていた、隣の畑からのドリフトだ、たまたま散布器に以前の使用薬剤が残っていた等々の状況でも、一律基準値を超えると違反となります。以前には「使用していない、損害賠償を要求する」というケースもあり、我々が違反検査結果を出すときにはそれなりの覚悟も必要となります。このためデータ等の資料は、裁判に耐えるものを作成し保管しておく必要があります。特にGLPに基づくSOPを遵守しているか否かは慎重に確認しておくことが重要でしょう。データに疑問があれば、時に各地方厚生局のGLP査察を受ける場合もあります。
 また近年、農作物品種の多様化に伴い、「その他野菜」に分類される作物が多くなり、検出農薬に一律基準値が適用される場合が結構多く出てきました。このため違反が出やすい状態となっており、現場検査員は戦々恐々といった状況が続いています。
 とりとめの無い話になりましたが、行政の検査機関において「農薬基準値違反を出すということ」への緊張感が少しでも伝わりましたら幸いです。
著者略歴
昭和24年8月24日生
昭和43年 鳥取大学農芸化学科入学
昭和48年 奈良県衛生研究所残留農薬係着任
現在奈良県環境保健センター統括主任研究員
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