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新春に期待して―フードチェーンを大切に―
北海道大学大学院水産科学研究院安全管理生命科学分野 一色賢司

 明けましておめでとうございます。本年もより良い年になることを期待して、次の世代を育てるためのメッセージをお届けします。

1.食品安全と食品衛生
 安全で美味しい食品の安定的な供給と消費には、食品衛生の浸透が必須である。食品衛生は、WHOの文書にあるように食品安全を達成するめの手段と考えられる。「食品衛生とは、生育、生産、あるいは製造時から最終的に人に摂取されるまでの全ての段階において、食品の安全性、健全性(有益性)、健常性(完全性)を確保するために必要なあらゆる手段である。(WHO)」。人間は従属栄養生物であり、生物に由来する食品を食べている。食品とともに災いを口から入れないようにするためには、(1)食品は種類が多いことや、(2)その構成も単純均一なものから複雑で不均一なものまであること、(3)何でも食べ過ぎれば身体に悪いこと、(4)病原菌等の外来因子や(5)経時変化も理解して対応しなくてはならない。さらに、(6)どのような状態の人に、(7)どのように食べられるかなども考慮する必要もある。
 時代の移り変わりとともに、食料の生産、流通、加工、消費を分業で行うことが多くなった。現在では、生物としての人間と、その食べ物との関係を理解する機会を失っている方も多くなっている。食料の一次生産から消費までの理解と、食品としての衛生的な取り扱いが全過程に求められていることを全国民が理解すれは、無理や無駄のない食品の安全性確保が進むと考えられる1)
  食品安全を達成するためには、(1)食品のリスク分析[SUNATECメールマガジン11月号(2007)]と(2)フードチェーン・アプローチを車の両輪として同時に実行する必要があることが認識されている。食品のリスク分析の後ろに隠れがちなフードチェーン・アプローチは大切な考え方であり、これを無視すれば、安全な食品の安定的生産・供給、ひいては消費に混乱が生じる。国際的には、米国大統領への食品安全性に関するレポートの標題に使われた"From Farm To Table"という言葉が象徴的に使われている2)。欧州では、"From Farm To Fork"を使うことも多い。
 安全性と栄養性は、嗜好性とともに各食品の共通関心事であるが、現在強く求められているのは、信頼感である。表示の偽装等への不信感は、フードチェーン全体に対して高まっている。モラル向上に努めている姿を見せて、次世代の教育に努めることが必要である。食料自給率の低い我が国は、フードチェーン・アプローチを、特に大事にすべきである。食料輸入国の代表として、国内はもちろん、国外からのフードチェーンの確保と食品衛生の普及啓蒙や研究開発に力を入れる必要がある。現在、研究者や行政官も含めて食品関係者に求められているのは、専門知識・技能のみではなく、人間的にも信頼される誠実な人柄である。「衣食足りて礼節を知る」と言われるように、食料が足りなくなると悲劇が到来する可能性が高くなる。食料調達や食生活の過去・現在・未来に思いをめぐらし、誠実に対応することが、信頼感確保の王道であると思われる。フードチェーン・アプローチを、国民各位に理解していただくための貢献も必要である。
2.フードチェーン・アプローチ

 生物学や生態学でのフードチェーンには、食物連鎖という訳語が当てられている。食物連鎖は、生物間の「食べること、食べられること」を通じたつながりのことである。生態系においては、植物が生産する有機物等に関連した被食者・捕食者関係によるつながりがある。食物連鎖は、食べる鎖を指すのが本義であったが、現在ではつながり全体(食物網)を指して場合も多くなっている。食物連鎖では、生物を殺して食べる連鎖を捕食連鎖,寄生による連鎖を寄生連鎖と呼び、生態系の機能から生きている生物(とくに植物)を直接に食べる連鎖を生食連鎖,死骸や落葉などを食べる連鎖を腐食連鎖と呼んでいる3)。人間はいつの間にか、滅多のことでは食べられなくなり、食べるばかりの生物になった。
 食物連鎖は食品安全の観点からも重要である。物質によっては、段階を経るうちに濃縮されていくことが知られている。最終消費者である人間への移行や濃縮の影響が懸念される場合もある。水俣病等は、こうした問題が実際に人間への被害をもたらした例であろう。ノロウイルスは、人間のフードチェーンにも入り込み、感染サイクルを作っていると考えられる4)
 人間の食料調達のフードチェーンは、第一次食料生産者、一次加工、二次加工卸売業、外食産業小売業、最終消費者等をつなぐ食材、食品等の流れを指すことが多い(図1)。これまでの経験から、最終食品の検査だけで安全性を確保する手法には、限界があることが認識されている。食料の一次生産としての農業や漁業、それらの活動の場となる農場や漁場の環境から、食品衛生的な手当てが必要であり、その手当ては、加工、流通、小売、消費にも連続的に必要である。この認識を、フードチェーン・アプローチと呼び、Codex国際食品規格委員会では、このアプローチを基礎とした「食品衛生の一般原則」を採択し、食料調達・消費に関連する全ての場面での活用を呼びかけている。この原則を踏まえた厚生労働省の「食品等事業者が実施すべき管理運営基準に関する指針」とともに、和訳も資料集として食品衛生協会から提供されている5)
 食中毒対策や環境汚染からの食品の保護には、連続した衛生管理が必要である。適正農業規範(GAP)や適正製造規範(GMP)等の考え方の浸透が必要であり、その上にHACCPが導入されることが望まれる1)。HACCPによる衛生管理でも、前提条件があると良くいわれるが、国民全員の食品衛生への理解・実践と他人への思いやりが基本的な土台ではないだろうか(図2)。
 FAOは、安全で健全かつ栄養のある食品の供給には、農業者、農業投入材(特に家畜飼料及び獣医療用品)供給者、漁業者、と畜場及び精肉包装出荷工場事業者、水産加工者、食品製造業者、輸送業者、卸及び小売業者、配膳業者、フードサービス業者、食品の露天商等に加え、消費者の理解と協力が必要であるとしている6)

図1 食料調達のフードチェーン
図2 フードチェーンにおける食品衛生の重要性
3.食品安全の新制度

 2003年7月に食品安全委員会が食品のリスク評価機関として内閣府に設置され、厚生労働省や農林水産省はリスク管理機関として再編成された。食品の安全性確保にはリスク分析の導入・実施が最善であるとして食品安全基本法が制定され、食品衛生法等の関連法案が改正された。食品のリスク分析では、常にフードチェーンを意識する必要がある。リスク評価においても、一次生産から食卓までの危害因子の消長を科学的に解析すべきである。汚染状況が変動し、劇的な増殖や死滅を示す有害微生物では、より一層のフードチェーンでの調査研究が望まれる。
 リスク管理においても、フードチェーンの各段階での自覚と連帯意識を高めて行く必要がある。リスク管理を無視したトレーサビリティを先行させるよりも、フードチェーン・アプローチ、特にCodexの食品衛生の一般原則を参考として、まず基本的な衛生管理ならびに記録の実施に取り組むべきである。「記憶よりも記録」を、「見掛けよりも、いざと言うときのリコール対策」を先行させるべきであろう。
  リスクコミュニケーション(リスコミ)でも、国民全員のフードチェーン全体を理解しようとする努力がなければ、食品の安全性確保は困難である。また、リスコミは公的機関が主催するものだけではない。人数も無関係である。私的なものも、二人だけの情報交換もリスコミである。食品の取り扱いを業として営む方々は、食品衛生のプロであり、リスコミを軽視すべきではない。食品衛生思想の普及もプロの食品取り扱い者の責務である。フードチェーンについて、誤解に基づく発言や情報が放置されることは、無理や無駄を招くことにつながる。食品衛生のプロとして、直ちに対策を取るべきである。
 「百聞は一見にしかず」という言葉がある。全ての国民が食料調達の現場を見ることが望ましい。食料の一次生産や加工等に携わる方々に、積極的に見学者を呼び込んでいただくことが必要である。現場を重視しない想像だけのリスコミは、誤解や無意味な対立の温床となる。ある危害要因の指摘がされ、健康被害の発生確率や程度が考慮されないままマスコミによる不安感の増幅が起こり、社会が混乱する場合もある。消費者の要請という名目で安全対策の強化が要求され、過剰で複雑な規制が始まると、消費者の不安はさらに増幅される。2003年の法改正は、何のためだったのだろうか。「食べられる物まで、食べられなくする」ためであろうか。少なくとも、「リスクの大きさと性質に応じた対策を、皆で合理的に決める」ためである。過剰かつ複雑な規制と取引先からの値引き要求に、ついていけない食品取り扱い関係者が、心ならずも不正に手を染めることがないことを祈っている。

4.児孫のために

 安全な食料の安定供給には、分別ある人間が必要である。食品安全をタイトルに掲げたISO22000sの策定等の国際動向とその内容を注視する必要もあるが、国の内外の人々と良好な人間関係を維持し、フードチェーンを強化することを心がけることが優先されるべきではないだろうか。名もない人々が、清く、美味しく食事が出来るよう、個人レベルにもリスク論に基づいた食品安全が浸透して欲しいと願っている。また、食品安全は、「食べられるものまで、食べられなくすること」ではなく、「許容できるリスクを受け入れ、あるいは許容できるリスクになるよう知恵を絞り、努力すること」であると考えていただきたい。
 我国は、細く長い国土と四季の移り変わりを持っており、各地で多種多様な食生活が営まれている(4)。我が国の食品安全事情は、ノロウイルス食中毒の増加を別にすれば、よくコントロールされており良好である。生食食文化も繁栄している。しかし、電力の供給が止まり、コールドチェーンの機能が失われた場合の準備や覚悟は出来ているのであろうか。ノロウイルスはコールドチェーンによって保護されているとも考えられる。どうやらノロウイルス食中毒の増加は、電力やコールドチェーンに頼りすぎる日本人への警鐘のようである。
 フードチェーンの多様性は、食品安全におけるリスク分散のためにも、維持されるべきである。「児孫のための美田を買わず」と西郷隆盛は書き残したが、児孫のためには、フードチェーンを意識して大切にする食生活が、国民の常識となって欲しいものである。

文献
1) 一色賢司編:食品衛生学、第2版、東京化学同人(2005)
2) 一色賢司:食品衛生における"From Farm To Table"、食品衛生研究、53(2), 37-44(2003)
3) 八杉龍一、小関治男、古谷雅樹、日高敏隆、編:生物学辞典(第4版)、岩波書店(2002)
4) 丸山務監修:改訂ノロウイルス現場対策−その感染症と食中毒−、幸書房(2007)
5) 小久保彌太郎編:HACCPシステム実施のための資料集、日本食品衛生協会(2007)
6) 森田倫子:「農場から食卓まで」の食品安全、レファレンス、N0.620、83-108(2004)
筆者略歴
一色 賢司(いっしき けんじ)
【現職】 北海道大学大学院水産科学研究院教授(安全管理生命科学分野)
【最終学歴】 九州大学大学院農学研究科修士課程 食糧化学工学専攻終了(昭和50年3月)
【職歴等】
昭和25年 福岡県北九州市生。
昭和50年3月 九州大学大学院農学研究科修士課程終了。
昭和50年4月 北九州市環境衛生研究所勤務。
食品や食品添加物等の試験・研究に従事。
昭和60年1月 北九州市環境衛生研究所主査(食品および家庭用品担当)
平成 2年10月 農林水産省食品総合研究所 食品保全部腐敗防止研究室長として転職。
平成3年10月 機構改革により食品機能部健全性評価研究室長となる。
平成6年10月 流通保全部微生物制御研究室長となる。
平成8年10月 機構改革により流通保全部上席研究官となる。
平成9年2月〜14年2月
OECD経済協力開発機構、新食品・飼料安全性検討部会ビューローを務める。
平成10年4月〜16年3月
お茶の水女子大学大学院人間文化研究科教授(食品安全性評価学)を併任。
平成13年4月 独立行政法人食品総合研究所食品衛生対策チーム長となる。
平成15年7月 内閣府食品安全委員会事務局次長に転職。
平成18年8月 北海道大学大学院水産科学研究院教授(安全管理生命科学分野)を拝命、現在に至る。
【専門分野】 食品衛生、食品保全
【主な著書】 「食品検査とリスク回避のための防御技術」シーエムシー出版(共著、2006)
「食品衛生学(第2版)」東京化学同人(編・共著、2005)
「食品の安全性評価と確保」サイエンス・フォーラム(共編・共著、2003)、他
【学会活動】 国際食品保全学会(International Association of Food Protection、編集委員会委員)、
日本食品化学学会(理事、編集委員会委員)、
日本食品衛生学会(評議員、情報委員会委員)、日本食品微生物学会(評議員)、
日本動物細胞工学会(評議員)、他
【その他】 北海道食の安全・安心委員会委員
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