財団法人 食品分析開発センター SUNATEC
HOME >食品安全のこれから - リスクについて考える
食品安全のこれから - リスクについて考える
北海道大学大学院水産科学研究院安全管理生命科学分野 一色賢司
1.口から入る災い
 人間は、生物の一種であり、食べなければ生きて行けない存在でもある。食べることに伴って嘔吐や下痢などを起こし、体調を損なうこともある。栄養学的な問題を別にして、食に伴う健康への悪影響は、食性病害(food borne disease)と総称されている。人類は食生活に伴う健康への悪影響を最小限にする努力を重ね、その知恵を子孫に伝え続けている。我が国は世界で最も安全な食品が供給され、消費されている国の一つであり、世界に誇る生食食文化を維持している1)。一方、食料の生産・調達は、分業化が著しく進んでいる。国民の多くは、努力しなければ食料の一次生産から消費までの仕組みが、理解できなくなっている。古来より、良好な食材を手に入れても放置すれば、腐敗や変敗と呼ばれる変化を起こし、食用不適となることが知られてきた。分業化が進行した現代では、食品の安全性確保を他人に頼ることが当然とされる風潮がある。しかし、国民一人一人が食品の原材料の一次生産から消費までのフードチェーンを理解し、自ら食品の安全性確保ならびに安定的な調達に貢献する努力がなければ65億人の人類とともに食べ続けることは困難であろう。
2.食品とリスク
 良い食品として信頼して食べるためには、これまでの食経験を科学的に整理し、応用することが必要である。客観的な情報収集と、科学的な判断が必要である。「リスク(risk)、ゼロ」の食品はありえない。ここでいうリスクとは、「食品中に危害要因(ハザード、hazard)が存在する結果として生じる健康への悪影響が起きる可能性とその程度(健康への悪影響が発生する確率と影響の程度)」である2)。危害要因は、健康に悪影響をもたらす原因となる可能性のある食品中の物質または食品の状態をいう。例えば、食品自体に含まれる毒素や、有害な微生物、不適切に使用された農薬、添加物などの生物学的、化学的または物理的な要因がある。また、摂取した人の健康に不都合を生じさせるような食品の状態、例えば食中毒菌の増殖を容易にする温度域に食品を放置することも含まれる。
 リスクに関する広義の解釈は、「予測される事態の確からしさとその結果の組み合わせ、または事態の発生確率とその結果の組み合わせ」とされている。その一方で、安全に関する事象の取り扱いでは、国際標準化機構(ISO)代表されるように、「危害の発生する確率及び危害のひどさの組み合わせ」と考えられている3,4)。食品安全分野では、通常、食べた人の健康被害に限定したリスク、いわゆるネガティブリスクが検討対象とされている。金融や投資において、「ハイリスク、ハイリターン」という言葉が使われるように、将来に好ましい結果を期待する、いわゆるポジティブリスクは対象とされてない。
 忘れてはならないことに、十分量の安全な食料が途切れることなく準備される必要性がある。世界中から食料を調達している我が国は、地球上の人口増加(特に発展途上国)、環境保全、新興・再興感染症、南北問題等の影響を覚悟する必要がある。自給率39%(カロリーベース)の我が国が、貧乏になり海外の食料を輸入できなくなる可能性もある。食料の国際貿易においても世界貿易機関(WTO)加盟国である我が国は、食品分野での国際的な紛争処理には国際食品規格委員会(WHO/FAO/Codex)の規格が判断基準とされることへの認識を高める必要がある。
図1 食品の安全性とリスクの関係
図1 食品の安全性とリスクの関係
 食品分野に限らず、国家の紛争や内紛、あるいはテロの影響は、我が国の食生活にも密かに影を落としている。米国は、テロ対策防止法を作り、農業や食品の管理を強化し、その対策に関する研究も推進されている。欧州でも同様の準備が進んでいる。我が国は、危機管理に関する閣議決定を行い、緊急事態対処(危機管理)体制を定めている。食品分野でも、厚生労働省、農林水産省と協力して食品安全委員会は、連絡体制の整備や、政府全体の緊急時対応要綱を取りまとめ、万一の事態に備えている。
 図1のように全ての食品は、食後に起こるかも分からない体調異常等の不都合をリスクとして有している。許容しうるリスクであるか、加工・調理や食べ方で避けうるリスクであるか、あるいは禁止等の制限が必要なものであるのかを科学的に判断する必要がある。科学的なリスク評価(図2および3)に基づいて行い、できる限り多くの人々と情報交換を行って、規制が必要な場合はリスクの大きさに対応した規制を行うことが合理的であり、多くの先進国で採用されている。この考え方は、食品添加物や農薬等の均一な組成を有する化合物について発展したものであるが、有害微生物の制御や組成が不均一な遺伝子組み換え食品等の丸ごと食品(whole food)の安全性確認にも応用されるようになった。
 Codexはリスクを合理的に減らし、許容可能なものとするために、食品の一次生産から消費までの検討を行い、「食品衛生の一般原則」を採択している5)。この一般原則は、生産物、工程等の個別の衛生規範ならびに付属文書「HACCPシステムおよび適応のためのガイドライン」と一緒に使用し、さらなる衛生管理に取り組むべきであることが合意されている。食料の生産から消費までの全ての段階で、安全な食品を確保するための必要条件でもある。フードチェーン(Food chine)と呼ばれるように、食品の生産は、第一次産業とも呼ばれる農業や漁業から始まる。農業者や漁業者もこの一般原則を理解し、食品の安全性確保にさらなる貢献することが要請されている。流通者、加工者、消費者の責任分担も一般原則では明示している。我が国においても食品衛生の実践に活用すべき羅針盤である。先進国を含め多くの国々で食に関する分業化が進み、食料の生産について正確な知識と安全性確保の技術を持たない人々が増えている。全ての人の食料への理解と食品衛生思想の普及が望まれる。
図2 リスク管理の方向性   図3 食品のリスク分析の概念図
図2 リスク管理の方向性 図3 食品のリスク分析の概念図
3.食品のリスク分析
 人生には望まない嫌なことも起きてしまう様に、食生活でも不都合が生じることがある。食品由来の健康被害を合理的に最少化するために、Codexでも検討が続けられている。現在、リスクアナリシス(risk analysis, リスク分析、図3)という手続きを用いてリスクを制御する手法の有効性が認められ、先進国を中心に広く採用されている。リスク分析の導入の利点は、1)事故の未然防止体制の強化、2)科学的根拠の尊重、3)政策決定過程の透明化、4)消費者への正確な情報提供、5)食品安全規制の国際的整合性の確保等、であると考えられている。
 Codexでは、リスク分析を「ある集団が食品の摂取によって有害事象にさらされる可能性がある場合に、その状況をコントロールするプロセスであり、科学的なリスクの評価(アセスメント)をするだけにとどまらず、最終的なリスク管理(マネジメント)と、情報交換やチェックシステムとしてのリスクコミュニケーションが一体として有効に働く枠組みを構築すること」とされている。単に分析作業を行うのではないことに留意すべきである。
 リスク評価は、「食品由来の危害(ハザ−ド)に暴露されることにより起きることが知られているか、または起きる可能性のある健康への有害影響について、科学的に評価することであり、危害同定、危害特性評価、暴露評価、リスク特性評価の4つの要素からなる。リスクを定性的および定量的に解析する一方、評価に付随する不確実性をも明示すること」とされている。我が国においては、内閣府食品安全委員会がリスク評価を担当している6)
 リスク管理は、「リスク評価の結果に基づいて、リスクの受容、最小化、削減のために政策の選択肢を検討し、適切な選択肢の実施を実行する過程」とされ、その実施にあったては、透明性を確保し、ステークホルダーと呼ばれる関係者各位と意見や希望を双方向で交換すること必須である。リスク評価では考慮されないコストの問題、特に費用対効果の問題も、リスク管理では重要な要素となる。さらに、常に、実態調査(モニタリング)と見直しを続けて行くこともリスク管理者の義務である。我が国では、厚生労働省や農林水産省7)や地方自治体等がリスク管理を担当する。
 リスクコミュニケーションは、「リスク評価者・リスク管理者・消費者・産業界・科学者ならびに関係各位で、リスク評価の知見やリスク管理行動の判断の根拠含めて、リスク分析の全過程における、リスクや関連する事項・情報・意見・感覚について、双方向で交換すること」とされている8)
4.苦しくても
 食品のリスク分析において忘れてはならないことに、(1)「最終食品だけではなく、一次生産から最終消費までの、フードチェーンを対象とする」、(2)「人の健康に及ぼす影響の大きさ(程度と発生確率)を、客観・中立・科学的にとらえ、情報交換し、その大きさに応じた対策をとること」等がある。さらに大切なことは、嘘をつかないことである。嘘が紛れ込むと全てが台無しとなり、リスク分析よりも犯罪分析になってしまう。食品の衛生管理に嘘が入り込むと、場合によっては、人に死をもたらすことにつながる。食品取扱者は、その食品安全の第一義的責任(食品安全基本法第8条)を背負っていることを自覚し、食品取り扱いのプロとして自律する必要がある。次の世代を育てることも重要な任務であり、各地の生食食文化も受け継がれて、さらに発展して欲しいと願っている1)
文献
1) 一色賢司:生食食文化と安全性の確保、FFIジャーナル, 212(8), 619-621(2007)
2) 内閣府食品安全委員会:食品の安全性に関する用語集(改訂版追補)、p.1-6 (2006) 注1)
3) 村上陽一郎:安全と安心の科学、集英社(2005)
4) 向殿政男:よくわかるリスクアセスメントー事故未然防止の技術―、中央労働災害防止協会(2003)
5) FAO/WHO/Codex: Recommended International Code of Practice General Principles of Food Hygiene, CAC/RCP Rev. 4 (2003) 注1)
6) 内閣府食品安全委員会:食品安全基本法第21条第1項に規定する基本的事項、第1 食品健康影響評価の実施 (2004) 注1)
7) 農林水産省、厚生労働省:農林水産省及び厚生労働省における食品の安全性に関するリスク管理の標準手順書、改定版(2006) 注1)
8) 内閣府食品安全員会:食の安全に関するリスクコミュニケーションの現状と課題(2003) 注1)
注1:ホームページよりダウンロード可能。
筆者略歴
一色 賢司(いっしき けんじ)
【現職】 北海道大学大学院水産科学研究院教授(安全管理生命科学分野)
【最終学歴】 九州大学大学院農学研究科修士課程 食糧化学工学専攻終了(昭和50年3月)
【職歴等】
昭和25年 福岡県北九州市生。
昭和50年3月 九州大学大学院農学研究科修士課程終了。
昭和50年4月 北九州市環境衛生研究所勤務。
食品や食品添加物等の試験・研究に従事。
昭和60年1月 北九州市環境衛生研究所主査(食品および家庭用品担当)
平成 2年10月 農林水産省食品総合研究所 食品保全部腐敗防止研究室長として転職。
平成3年10月 機構改革により食品機能部健全性評価研究室長となる。
平成6年10月 流通保全部微生物制御研究室長となる。
平成8年10月 機構改革により流通保全部上席研究官となる。
平成9年2月〜14年2月
OECD経済協力開発機構、新食品・飼料安全性検討部会ビューローを務める。
平成10年4月〜16年3月
お茶の水女子大学大学院人間文化研究科教授(食品安全性評価学)を併任。
平成13年4月 独立行政法人食品総合研究所食品衛生対策チーム長となる。
平成15年7月 内閣府食品安全委員会事務局次長に転職。
平成18年8月 北海道大学大学院水産科学研究院教授(安全管理生命科学分野)を拝命、現在に至る。
【専門分野】 食品衛生、食品保全
【主な著書】 「食品検査とリスク回避のための防御技術」シーエムシー出版(共著、2006)
「食品衛生学(第2版)」東京化学同人(編・共著、2005)
「食品の安全性評価と確保」サイエンス・フォーラム(共編・共著、2003)、他
【学会活動】 国際食品保全学会(International Association of Food Protection、編集委員会委員)、
日本食品化学学会(理事、編集委員会委員)、
日本食品衛生学会(評議員、情報委員会委員)、日本食品微生物学会(評議員)、
日本動物細胞工学会(評議員)、他
【その他】 北海道食の安全・安心委員会委員
他の記事を見る
ホームページを見る

サナテックメールマガジンへのご意見・ご感想を〈e-magazine@mac.or.jp〉までお寄せください。

Copyright (C) Food Analysis Technology Center SUNATEC. All Rights Reserved.