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イカの塩辛で腸炎ビブリオ食中毒?
北海道大学大学院水産科学研究院 准教授 山崎浩司
はじめに
 「海上自衛隊横須賀基地の護衛艦「はつゆき」など3隻と第2術科学校で計87人が食中毒症状を訴え,26人が入院し,患者7人の便と護衛艦内で保存食としていたイカ塩辛から腸炎ビブリオ
Vibrio parahaemolyticus)が検出された。」このようなニュースが平成19年9月中旬に飛び込んできました。その後、茨城、群馬、神奈川などの8県で計346人が食中毒症状を起こしたことが判明しました(9月25日現在)。ついに出てしまったかというところでしょうか。
  魚介類の発酵食品には、塩辛、魚醤油、すし、漬物類など数多くの製品が存在します。これらはいずれも、原料に食塩を添加して腐敗細菌の発育を抑制し、原料の自己消化酵素の作用あるいは細菌や酵母の酵素作用によって熟成させ,独特の風味を持たせたものであります。元来、イカ塩辛は冷蔵庫のない時代に、非常に多くの塩を使ってイカを保存しようとした食品でありました。しかし、冷蔵庫の普及と食嗜好の変化によって、現在では塩辛といえども塩辛くない薄味のものへと変わっています。残念なことに、現代の若者に昔ながらの製法で作ったイカ塩辛を食べさせたところ、「こんな塩辛いのは、塩辛でない」とか、「この塩辛の匂いは、腐った臭いです」などとの声も多く聞かれます。
塩辛とは?
 塩辛の起源は古く,塩辛のことを古くは「醢(ししびしお)」と呼び,肉に塩を加えて汁気を少なく作るという意味(肉干塩)であります。醢は中国から入ってきた文字で、中国では紀元前から使われるほど古い加工食品で、肉を塩、麹、酒などに漬け込んで、発酵させたものを意味します。
 日本では奈良時代には、既にこの醢が漬物や鼓(みその原型)と並んで使用されていました。また現在使用されている塩辛は、平安時代で「新猿楽記」に"春塩辛"とあり「今昔物語」にも鰺の塩辛、鯛の醤などの、もろもろな塩辛き物どもを盛りたり”と出ています。したがって塩辛は日本製の呼び名で、「今昔物語」にもあるように" 塩辛い "からきているのは間違いないと思われます。
 現在、塩辛と言われるものには、イカの塩辛、カツオの塩辛(酒盗)、ウニの塩辛、アユの内臓の塩辛(うるか)、ナマコの塩辛(このわた)、サケの腎臓の塩辛(めふん)などがあります。これらのうち、イカ塩辛が最も一般的で、北海道(特に函館)や東北地方を中心に古くから製造伝承されてきたものであり、今日でも生産量の多い製品であります。
イカ塩辛の安全性と食塩の関係
 もともと塩辛に10%以上の食塩を用いるのは、腐敗細菌の増殖を抑えながら、イカの筋肉や肝臓に含まれている酵素の働きと、高塩分でも増殖可能な有用微生物の働きによって熟成を促進させ、独特の風味を醸成させるためと考えられています。実際に、昔ながらの製法で作製したイカ塩辛に抗生物質を入れて微生物の働きを抑制するとイカ塩辛特有の風味が形成されないことが報告されています。また、10%以上の食塩を添加したイカ塩辛では腸炎ビブリオや黄色ブドウ球菌(Staphylococcus aureus)などの食中毒菌もほとんど増殖することができないか、またはその発育は極めて遅くになることも知られています。したがって微生物の面からみると、塩辛に10%以上の食塩を添加するということは、有害微生物と有用微生物をうまく制御しながら美味しい塩辛を作っていると言えます。
 またイカ塩辛の保存性には、イカ筋肉中に含まれるTMAO (トリメチルアミンオキシド)という物質が関与することも明らかにされており、このTMAOが黄色ブドウ球菌の発育を抑制します。さらに、イカ塩辛を作るときに必須のイカゴロ(イカ肝臓)にも黄色ブドウ球菌や腸炎ビブリオの発育を阻止する物質の存在が確認されています。しかし、これらTMAOとイカ肝臓中の抗菌物質は食塩がある一定濃度以上存在しなければ抗菌性を発揮しません。それ故、昔ながらの製法で作ったイカ塩辛では食中毒は起こらないのです。さらにイカ塩辛黒作りでは、イカ墨中の熱に安定な選択的増殖抑制物質の存在も貢献し、その保存性がより高くなります。
最近の塩辛は?
 塩辛は本来、保存のために生まれた食品で、食塩を10%以上添加することで常温(25℃)でもおよそ1ヶ月程度食べることのできる食品であることは既に述べました。すなわち、昔ながらの製法に従えばたとえ洗浄不足や2次汚染による腸炎ビブリオによる汚染を受けたとしても、本菌による食中毒とは無縁のはずであります。しかし、最近のイカ塩辛は「イカ切り身の和え物」様の低塩化(簡易型)塩辛が主流なため、仕込み中も酵素や微生物による風味の醸成は期待できず、しかも常温で腐敗しやすく、さらに製品の塩分やpH、水分活性などから考えると腸炎ビブリオ(8% NaClでも増殖可)や黄色ブドウ球菌(15% NaClでも増殖可)などの食中毒菌も十分増殖可能な製品もあります。今回の食中毒もこのような背景が原因と推察できます。
 低塩分塩辛では長期間の熟成ができないため、自己消化酵素や微生物の働きによる旨み成分の生成が期待できません。そのため、調味料で味付けし、食塩以外の種々の保存料添加(ソルビトール、リンゴ酸ナトリウム、乳酸、化学調味料など)と低温貯蔵との併用により保存性を付与しなければなりません。しかし一方では、いまだに比較的高塩分濃度で作られた塩辛も流通しています。当然、これら塩辛間での流通可能な温度や保存性には大きな差があります。しかし、店頭でこれらの塩辛が同様に扱われている場合も見受けられます。「塩辛いもの」⇒「保存性が高い」。基本的に間違いないと言えますが、前述のように現代の消費者の塩辛さへの感度が大きく変化しています。したがって、藤井建夫先生(現:山脇学園短大)も指摘しているように、これらの塩辛の質的な差異を十分理解した上での品質管理や衛生対策が必要と思われます。
筆者略歴
山崎 浩司(やまざき こうじ)
北海道大学大学院水産科学研究院
准教授
博士(水産学)
1992年 北海道大学大学院水産学研究科水産食品学専攻修士課程修了
同博士後期課程中途退学
1993年 北海道大学水産学部助手
1998年 助教授
2001〜2002年 米国ラトガーズ大学食品科学科 在外研究員
2005年 北海道大学大学院水産科学研究院助教授
2007年 同准教授
現在に至る
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